(画像はwikipediaより転載)
超要約
第一次世界大戦が始まると日本は強引に参戦。ドイツ権益の山東半島や南洋諸島を占領しまくる。中国に対しては対華二十一ヶ条の要求を突きつけ、山東半島の権益を日本のものにしてしまった。大戦中、日本はすげー儲かったのでその金を使って中国の政権に金を貸しまくったがその後焦付く。ついでにロシア革命が起こったのでシベリア出兵、そのため米騒動が起こるなど大騒ぎだったのだ。
第一次世界大戦と日本
ドイツ権益を奪取
1914年6月、第一次世界大戦が勃発すると、当時の総理大臣大隈重信、外相加藤高明は、日英同盟を根拠に強引に参戦。同年中に山東半島、南洋諸島のドイツ権益を占領してしまう。1915年には当時の中国中央政府である袁世凱政府に対してドイツ権益の継承、満洲や内蒙古の権益の強化、さらには中国政府に日本人軍事顧問を置くこと等、ここぞとばかりに要求した二十一ヶ条の要求を行った。
さすがにこれは内外から批判が殺到したが、日本は海軍の艦隊を出動させたり、満洲駐屯兵で圧力をかけた。その結果、1915年5月9日に条約成立。当時の中国国民はあまりの悔しさからこの日を「国恥記念日」とするほどだった。
大戦好況
逆に日本は笑いが止まらない。第一次世界大戦では連合国に軍需品を売りまくり、列強が後退したアジアでは綿織物、アメリカには生糸を輸出、世界的な船舶不足から造船業や鉄鋼業も好況となり、多くの成金が生まれた。空前の好景気となったのだ。
1916年には、これらの資金を基に寺内正毅内閣が西原借款と呼ばれる巨額の借款を中国に対して行った。これは中国利権を獲得することが目的であったが、のちに返済されずに大損害を被ることとなる。
ドイツ権益を各国に認めさせる
1917年にはイギリスが日本の艦隊を地中海に派遣することを要請。受諾する対価として日本は大戦で獲得したドイツ権益を英・仏が承認するという密約を得た。前年にはロシアと第4次日露協約を結び英・仏・露との間で日本のドイツ権益を認めさせている。1917年には、日本の中国進出に警戒感を持つアメリカも第一次世界大戦参戦のために太平洋方面の安全を確保する必要から、中国での日本の権益を認める石井・ライジング協定を結んだ。
シベリア出兵と米騒動、そして終戦
1918年にはロシア革命によりロシア帝国が崩壊、新しく誕生したソビエト連邦はドイツ・オーストラリアと単独講和を結ぶと、日本は社会主義国家誕生を恐れた英・仏・米と共にシベリアに派兵する。このシベリア出兵を当て込んで米の買い占めが行われたために日本では全国で大騒動が発生、米騒動と呼ばれるこの騒動はのちに警官隊によって鎮圧されるが寺内内閣は総辞職することとなり、同年9月、新たに原敬が首相に就任する。
第一次世界大戦は1918年11月11日に休戦協定が締結され、翌年1月にはパリ講和会議が行われる。この結果ヴェルサイユ条約が結ばれ正式に第一次世界大戦は終戦した。1921年にはワシントン会議が開催され、アジア・太平洋の戦後問題が協議された。このワシントン会議の結果、日本はアメリカの仲介の下、中国と協議して山東半島を放棄することになる。
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