01_USS_Enterprise
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 ヨークタウン級はワシントン条約制限内で建造された米国空母である。1937年9月30日竣工、排水量19,000トン、全長251mで最高速度は34ノット、航空機約90機を搭載できる。防御力も空母レンジャーの経験を踏まえ防御力が強化されている。太平洋戦争では初戦から活躍、1番艦ヨークタウンはミッドウェー海戦で3番艦ホーネットは南太平洋海戦で失われている。2番艦エンタープライズのみ終戦まで生き残った。1947年エンタープライズは除籍、スクラップとして売却された。

 

航空母艦 ヨークタウン級

 

 

性能(建造時)

 基準排水量 19,000トン
 全長 251.38m
 全幅 33.37m
 飛行甲板 248.07m×29.73m
 エレベーター 3基
 機関出力 120,517馬力
 最大速力 33.65ノット
 航続距離 12,500海里 / 15ノット
 乗員 2,279名
 武装 38口径5インチ(12.7cm)砲単装8基
    1.1インチ(28mm)4連装機銃4基
    12.7mm機銃24挺
 搭載機 80〜90機、最大98機
 竣工(1番艦 ヨークタウン) 1937年 9月30日
 竣工(2番艦 エンタープライズ) 1938年 5月12日
 竣工(3番艦 ホーネット) 1941年 10月20日
 同型艦 3隻(ホーネットを含む)

 

条約枠内での建造

 ワシントン海軍軍縮条約で米海軍に与えられた航空母艦の保有制限枠は135,000トンであった。この中から建造中であった巡洋戦艦レキシントン級2隻を33,000トン空母に改装したため残り69,000トンとなった。この残り枠内での空母建造について米海軍では大型空母を少数建造するか、小型の空母を多数建造するかで議論となった。

 この論争は小型の空母を多数建造して多くの海域に配置するという意見が優勢となり、13,800トン空母5隻を建造することで決着した(13,800×5=69,000)。この計画により中型空母レンジャーが建造されたものの、建造してみるとレンジャーは13,800トンには収まらず14,576トンと大幅にトン数が超過してしまった。

 さらに1930年のロンドン海軍軍縮条約で米海軍初の空母ラングレー(11,500トン)も実験艦としては認められずにトン数制限に追加されたことにより残り枠は42,924トンとなり、当初計画していた小型の空母5隻を建造するという案は実行不可能となってしまった。

 このため1931年よりそれまでの空母建造計画は仕切り直し、新たに残枠42,924トンでの空母建造計画の検討が開始された結果、残枠で2万トン級空母2隻を建造することとなった。この空母2隻の建造は、空母の性能の検討や建造予算の問題から時間がかかり、認可されたのは計画変更から4年近く経った1934年暮れになってからであった。

 

ヨークタウン級空母

 基本設計は空母レンジャーを踏襲したものであったが、空母にしては低速で装甲が皆無に近かったレンジャーの欠点を補い、主機関はレンジャーの53,500馬力に対して120,000馬力、設計上の最高速度は32.5ノットとなった。防御も6インチ(15.24cm)砲の直撃にも耐えらえる垂直防御、500ポンド(227kg)爆弾に耐えられる水平防御が施された。

 それまでの空母の運用経験から艦橋は右側飛行甲板上に設置、直立式煙突と一体化した大型のアイランド型艦橋となった。1934年5月21日に1番艦ヨークタウンが起工、2ヶ月後の7月16日に2番艦エンタープライズが起工している。進水はヨークタウンが1936年4月4日、エンタープライズが同年10月3日で、1937年9月30日にヨークタウンが、1938年5月12日にエンタープライズが竣工している。

 両艦の起工が2ヶ月遅れであるのに対して竣工が9ヶ月近く遅れているのは、この建造が失業者雇用対策の一環であったため造船所での作業が継続するように工期を調整たためである。完成したヨークタウン級空母は、排水量は19,800トン、全長251.38m、全幅33.37m、飛行甲板は248.07m×29.73m、最高速度33.65km/h、80〜90機の航空機の搭載が可能な大型空母となった。

 

3番艦ホーネット

 本来、ヨークタウン級空母は2隻のみ建造予定であった。しかし1936年に日本がワシントン海軍軍縮条約を脱退したことにより、1938年にワシントン海軍軍縮条約は失効した。条約による制限がなくなったため米国はヨークタウン級空母をもう1隻建造すること、さらには後継空母のエセックス級の建造を決定した。2番艦エンタープライズと3番艦ホーネットの間には2年のブランクがあり、この間に空母ワスプが建造されたため、船体分類番号はヨークタウン級空母でありながらCV-5ヨークタウン、CV-6エンタープライズの連番ではなく、CV-8となっている(CV-7はワスプ)。

 以上の経緯を経て、1939年9月25日、ヨークタウン級空母3番艦ホーネットは起工、1940年12月14日に進水、1941年10月20日にノーフォーク軍港で竣工した。条約の制限がなくなったことにより排水量が200トン増加している。

 

 

戦歴

 1941年12月7日(米国時間)、日本が米国と戦争状態に突入した時、1番艦ヨークタウンと3番艦ホーネットは米国東海岸の軍港ノーフォークに在泊していた。2番艦エンタープライズは真珠湾に在泊している予定であったが、天候不良により真珠湾への帰港が7日昼に遅れた。このため日本海軍の真珠湾攻撃を回避することができた。2番艦エンタープライズはヨークタウン級空母で唯一終戦まで生き残った空母であったが、開戦初日から非常に幸運だったといえる。

 1941年12月12日、空母ヨークタウンはノーフォークを出航して太平洋に向かった。1942年1月まで輸送任務についたのちエンタープライズを中心に第8任務部隊、ヨークタウンを中心に第17任務部隊が編制され、第8任務部隊はマーシャル諸島、第17任務部隊はギルバート諸島への攻撃を行っている。

 1942年2月、ヨークタウンとエンタープライズは南太平洋に展開、4月にはエンタープライズはドーリットル空襲を行うホーネットの護衛を護衛に参加する。この空襲がホーネットにとっての初陣である。5月7日、ヨークタウンは珊瑚海海戦に参加空母祥鳳を撃沈するも大破、5月27日には何とか真珠湾に帰港、修理を行うが日本軍のミッドウェー作戦のために3ヶ月は必要であった修理をわずか3日の応急修理で完了、空母サラトガの艦載機を搭載してエンタープライズ、ホーネットと共にミッドウェー海戦に参加した。

 この海戦で日本軍の攻撃機はヨークタウンに集中、空母飛龍の攻撃を受け大破、曳航しようとするが伊168潜の雷撃により6月7日撃沈した。この間にエンタープライズは日本海軍の重巡洋艦三隈を撃沈している。以降、主戦場はソロモン海となり、エンタープライズは7月、ホーネットは8月にソロモン海へと進出した。

 8月24日にはエンタープライズとホーネットは第二次ソロモン海戦に参加、サラトガと共に空母龍驤を撃沈するもエンタープライズは大破してしまったため9月には真珠湾に帰港している。10月にはエンタープライズの修理が完了、再びソロモン海に進出10月26日にはホーネットと共に南太平洋海戦に参加するがこの海戦でエンタープライズは中破、ホーネットは撃沈されてしまった。

 

ヨークタウン級空母はエンタープライズのみとなる

 ヨークタウン級空母唯一の生き残りとなったエンタープライズは損傷を修理するために後方の工作艦による修理を受けていたが、エセックス級は未だ竣工しておらず、大西洋から回航してきた空母ワスプは撃沈、サラトガも修理中で太平洋における米空母が皆無となってしまった。このためエンタープライズは修理をしながら再びソロモン海に進出している。

 1943年5月には久しぶりに真珠湾に帰港、ここで本格的な修理と改装が行われ、艦載機もF4FワイルドキャットからF6Fに変更された。1943年11月、エンタープライズは修理と改装を完了、1944年1月頃までギルバート・マーシャル諸島の攻撃に参加、2月にはトラック島空襲、6月にはマリアナ沖海戦に参加する。さらに9月にはペリリュー島攻略支援、10月にはレイテ沖海戦に参加する。

 12月にはサラトガとともに夜間空母に変更、1945年2月には夜間空母として日本本土空襲に参加したが、6月、本国に帰還修理とオーバーホール中に終戦となった。エンタープライズはサラトガとともに太平洋戦争開戦前に建造され、苛烈な太平洋戦域で数々の激戦をくぐり抜けて生き残った空母であったため、保存運動が行われたが資金が集まらず、1947年2月17日に除籍、スクラップとして売却された。

 

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