01_USS_Wasp
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 航空母艦ワスプはワシントン条約制限内で建造された米国空母で排水量16,000トン、全長220m、最高速度31ノットである。小型の船体に航空機を大量に搭載できるようにした結果、装甲を犠牲にすることになった。第二次世界大戦では当初は大西洋戦域に派遣されていたが、1942年に太平洋戦域に移動する。同年9月に日本潜水艦の雷撃により撃沈された。

 

航空母艦 ワスプ

 

 

性能

 基準排水量 15,752トン
 全長 219.5m
 全幅 30.5m
 飛行甲板 225.9m×33.2m
 エレベーター 3基
 機関出力 70,000馬力
 最大速力 30.7ノット
 航続距離 12,000海里 / 15ノット
 乗員 2,167名
 武装 38口径12.7cm高角砲単装8基
    75口径28mm4連装機銃4基
    12.7mm単装機銃24基
 搭載機 76機
 竣工(1番艦 ワスプ) 1940年4月25日
 同型艦 1隻

 

概要

 ロンドン海軍軍縮条約によって米国に割り当てられた航空母艦の排水量制限枠は135,000トンであった。この枠内で33,000トンのレキシントンサラトガ2隻を建造、残枠69,000トンとなった。この枠内で米海軍は13,800トン小型空母5隻を建造する計画を立てた。しかし1番艦レンジャーを建造してみると予定の排水量を大幅に超過して14,576トンとなってしまったため空母5隻を建造するという計画は頓挫してしまった。

 そこに追い打ちをかけるように米海軍が実験艦として申請していた空母ラングレーは実験艦としては認められず空母としてトン数制限に追加されてしまう。残枠からさらにラングレーの排水量11,500トンが引かれたため残枠42,924トン。結局、この枠内で排水量19,800トンのヨークタウン級空母2隻を建造することとなった。

 これで残枠は3,324トンとなったのだが、ここで米海軍は空母ラングレーを水上機母艦に改造するという奇手に出た。空母から類別変更されたためラングレーのトン数11,500トンが空母の残枠に追加され、残枠合計14,824トンで15,000トン級空母が一隻建造できることになった。この枠で建造されたのが空母ワスプである。

 空母ワスプは排水量14,700トンで計画された。まさに制限内ギリギリである。完成時には少しオーバーしてしまうのであるが、そこはそこレキシントン級も実は36,000トンであったし日本の艦艇でも実は制限をオーバーしているものはあった。排水量14,700トンといえば日本では蒼龍飛龍クラスなのでそれなりのものであるが何でもデカい米国である。米国では小型空母の部類に入る。

 

航空母艦ワスプ

 制限枠ギリギリで建造された空母ワスプは小型の船体に航空機を大量に搭載できるように無理をしたため主機関を低出力にすることで重量とスペースを確保した。しかし空母は航空機を発進させる必要があるため低速という訳にはいかない。ある程度の速度を確保するために装甲も省略された。特に魚雷からの防御は皆無に等しい状態であり航空燃料貯蔵庫の防御などもなかった。

 これらの対策によって完成したワスプは全長209.7m、全幅33.2m、主機関は70,000馬力で最高速度は30.7ノットを発揮することができるようになった。搭載機は76機で武装は12.7cm高角砲8基、28mm4連装機関砲4基などを装備する。艦橋は右絃で煙突と一体化しており、機関出力がヨークタウン級よりも弱いため煙突も小さくなった。

 ワスプがもっとも特徴的なのはエレベーターでそれまでの空母が甲板中央部にエレベーターを2〜3基設置したのに対してワスプは2基が中央、1基は飛行甲板端に備え付けられたデッキサイドエレベーターであった。以降、全空母が採用することになるデッキサイドエレベーターを最初に装備した空母であった。このエレベーターは折り畳み式で使用時は展開して使用する。

 ワスプは1936年4月1日に起工、1939年4月4日進水、1940年4月25日に竣工している。

 

戦歴

 竣工後は大西洋艦隊に所属、輸送任務や演習に参加する。米国が第二次世界大戦に参戦した以後も引き続き大西洋艦隊に所属、1942年3月には戦艦ワシントンと共に英国に向かい本国艦隊に加わり、船団護衛や索敵警戒などをおこなった。

 しかし太平洋戦域では日本海軍と米海軍の空母部隊の死力を尽くしての戦闘が行われており、世界初の空母同士の海戦である珊瑚海海戦で空母レキシントンが撃沈、1942年6月のミッドウェー海戦では空母ヨークタウンが撃沈されてしまった。この時点で太平洋に展開する米空母はサラトガ、エンタープライズホーネットの3隻であったが、サラトガは修理中であり竣工したばかりのホーネットとエンタープライズのみという状態であった。

 この窮状を打開するためワスプは戦艦ノースカロライナと共にパナマ運河を通過して太平洋戦域に展開した。1942年7月、日米が血戦を繰り広げるソロモン海に到着、空母サラトガ、エンタープライズと共に米軍のガダルカナル島上陸作戦の航空支援を行った。その後第二次ソロモン海戦の損傷で空母エンタープライズが戦線を離脱、さらに8月31日にはサラトガも潜水艦による雷撃で戦線を離脱してしまう。

 太平洋戦域にに展開する空母はワスプとホーネットだけとなってしまう。このような状況の中、9月15日、伊号第19潜水艦の発射した魚雷3本がワスプに命中して大火災となった。このため総員退艦した後、味方駆逐艦の雷撃により撃沈された。小さな船体に多数の航空機を搭載するために装甲や航空燃料貯蔵庫の防御を省略、ほぼ装甲の無い空母であったことが致命傷となった。

 

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