01_工作艦メデューサ
(画像はwikipediaより転載)

 

 工作艦メデューサは米海軍で初めて工作艦として建造された工作艦である。主に太平洋戦争で活躍した本艦は開戦後、真珠湾での復旧活動、南方での損傷艦艇の修理に活躍した。この工作艦メデューサの活動海域をみると当時の米軍が安全と認識した海域が良く分かる。

 

工作艦メデューサ 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 10,620トン
 最大排水量 -トン
 全長 147.47m
 全幅 21.41m
 吃水 6.07m
 機関出力 7,000馬力
 最大速力 16ノット
 航続距離 -
 乗員 499名
 武装 51口径12.7cm砲単装4基
    50口径7.6cm高角砲単装2基
 同型艦 1隻

 

開発前史

 第一次世界大戦に突入して米海軍の艦隊規模が拡大すると洋上での大規模な修理を行う必要性に迫られた。つまり戦闘や事故等で損傷した戦闘艦をいちいち本国のドックに帰還させて修理しなければならないというのはいかにも効率が悪いのだ。そもそも大破した艦艇等は本国のドックまで帰還することすらできないこともある。

 そうなると戦力を維持することがかなり困難になることは想像できると思う。自力で本国に帰れる艦は長期間戦列から外れ、大破して戻れない艦は廃棄さえることになる。この際の戦力低下はかなりのものだ。このため艦隊に随伴して洋上である程度の修理をこなせる工作艦の必要性が高まったのだ。

 工作艦に関しては日本が早かった。日清戦争、日露戦争と艦隊での戦闘を多くこなしてきた日本海軍にとって工作艦の必要性は米国以上だったのだろう。日露戦争さ中の1904年にはロシアから拿捕した汽船を工作艦関東丸として運用を開始している。これに対して米海軍も1913年には給炭艦を改造したヴェスタルを工作艦として運用したが、しょせんはにわかの改造であり工作艦として設計された新造艦が求められるようになった。

 

開発

 1916年と1918年に計画が認可された工作艦メデューサは1920年1月2日に起工、1923年4月16日に進水したのち1924年9月18日に竣工している。完成したメデューサは全長147.47m、全幅21.41mで艦隊に随伴することが求められていたため16ノットの速力を持つ。16ノットという速度は若干遅いように感じるが、当時の米海軍戦艦ワイオミング級、ニューヨーク級、ネバダ級等の最高速度は21ノット程度であったことを考えると十分に艦隊に随伴可能であった。

 

特徴

 メデューサは独力で水上艦艇の大規模修理を完遂する能力を持つ米海軍で初めて工作艦として設計された艦で艦内には鍛冶、ボイラー修理から溶接、旋盤等、艦底を修理するためのあらゆる工作機械が装備されていただけでなく、水上機の修理も行えるようになっており、さらには大型洗濯機や製パン設備、冷蔵庫なども持つ給糧艦的な艦でもあった。本艦は日本海軍工作艦明石の建造時に設計の参考にされている。

 明石は1939年に竣工した艦で排水量が9,000トン、全長158.5m、全幅20.6mであった。メデューサの排水量10,620トン、全長147.47m、全幅21.41mと比較してみてもほぼ同じサイズであることが分かる。最高速度は明石が19ノットと3ノット高速である。

 

戦歴

02_工作艦メデューサ
(画像はwikipediaより転載)

 

 メデューサは竣工すると太平洋艦隊に配属、第二次世界大戦に米国が参戦するまで主にカリフォルニア州サンペドロで任務を遂行した。1925年7月に艦隊に随伴してオーストラリア、ニュージーランドを航行、その支援能力を実証した。以降、太平洋戦争開戦までの平時の任務は主に輸送任務だったようだ。1941年12月7日の太平洋戦争開戦時には真珠湾に停泊しており、日本海軍の真珠湾攻撃" target="_blank" title="">真珠湾攻撃時には艦載砲により特殊潜航艇甲標的や日本軍の爆撃機を攻撃している。

 日本軍の攻撃終了後には工作艦としての修理任務に活躍した。以降、1942年3月までは真珠湾で復旧活動を行った。1942年4月、メデューサはニューヘブリディーズ、エファテ島に進出した。このエファテ島とは、ガダルカナル島東南約1,000kmにある島で日本軍の根拠地であったラバウルからガダルカナル島までの距離に等しい。メデューサはここで1944年3月まで戦闘で損傷した艦艇の修理任務を遂行した。

 1944年3月メデューサはエファテ島を出航、ニューギニア、ガダルカナル島とソロモン海近海で修理任務を行った。日本海軍のラバウル航空基地は1944年2月にはほぼ全航空隊の撤収を完了しており、本艦がソロモン海近海で作戦行動を行ったということはこの海域が後方地帯となったことを意味すると考えてよいだろう。

 以降、アドミラルティ諸島マヌス島を拠点として艦艇修理を担当、1945年1月にはニューギニア島ホーランディア(ニューギニア島中央北部パラオ諸島の南方)で艦艇修理を行った。1945年7月には再びマヌス島に進出終戦を向かえる。1946年11月退役、1947年除籍され1951年に解体された。

 

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