(画像はwikipediaより転載)
要約
航空母艦レキシントン級は1927年に竣工した米海軍最初の実用空母であった。条約下の建造であったが排水量は条約の規定を3,000トン上回っている。過渡期の空母であったため20.3cm砲8門を搭載しているが、太平洋戦争開戦後に撤去している。1942年5月に珊瑚海海戦でレキシントンは撃沈したもののサラトガは終戦まで戦った。戦後核実験により沈没している。
航空母艦 レキシントン級
性能
基準排水量 36,000トン
全長 270.66m
全幅 32.30m
飛行甲板 264.00m×32.28m
エレベーター 2基
機関出力 180,000馬力
最大速力 34.99ノット
航続距離 10,000海里 / 10ノット
乗員 2,791名
武装 20.3cm砲連装4基
12.7cm砲単装12基
搭載機 90機
竣工(1番艦 レキシントン) 1927年11月16日
竣工(2番艦 サラトガ) 1927年12月14日
同型艦 2隻
実は条約違反
レキシントン級航空母艦は、日本の金剛級巡洋戦艦に対抗する目的でレキシントン級巡洋戦艦として建造が開始された。35ノットの高速巡洋戦艦として計画、バルバス・バウを採用するなど意欲的な艦であった。同型艦6隻建造予定で主砲は14インチ砲10門、5インチ砲18門を搭載予定、さらには16インチ砲8門、6インチ砲16門と強化された。
しかし1920年のワシントン海軍軍縮条約により建造中止、6隻中4隻は廃棄となったが、条約では主力艦の内2隻を空母に改装することは認められているのでもっとも建造が進んでいたレキシントン、サラトガを航空母艦に改装することが決定した。日本ではこの規定を活用して巡洋戦艦赤城、戦艦加賀が航空母艦に改装されている。
この航空母艦のトン数の上限は33,000トンであったため航空母艦に改装されたレキシントン級は33,000トンと公表したものの、実際にはこのトン数を遥かにオーバーした36,000トン、満排水量では40,000トンを超えてしまっている。
レキシントン級の特徴
動力は蒸気タービンで電動機を駆動、その電気でスクリューを回転させるというターボ・エレクトリック方式で飛行甲板は平甲板式を採用、主砲の射撃指揮装置も備えた大型のアイランド型艦橋を備えている。さらに後方には巨大な煙突があり、艦の識別を容易にするためにサラトガの煙突には縦に黒い線が入っている。
草創期の空母のため8インチ(20.3cm)砲8門が装備されており(空母赤城も当初は20cm砲を装備していた)、この砲の最大射程は29,133m、仰角は最大+41°-5°である。一応、飛行甲板側で撃つことも可能であるが飛行甲板を損傷する可能性があった。太平洋戦争が始まるとあまり有用性はないため1942年1月にサラトガ、同年3月にレキシントンが砲を撤去している。この8インチ砲はオアフ島の沿岸防衛用に使用された。
大型空母であったため密閉式格納庫ではあったものの航空機は90機の搭載が可能であり、当初は水上機用カタパルトも装備されていた。しかしこのカタパルトも有用性が認められず、レキシントンは1934年、サラトガも1936年以降に撤去している。
起工、進水、竣工
起工、進水、竣工は以下の通りである。
1920年9月25日サラトガ起工、1921年1月8日レキシントン起工
1925年4月7日サラトガ進水、10月3日レキシントン進水
1927年11月16日サラトガ竣工、12月14日レキシントン竣工
戦歴
竣工後は実質的には最初の空母として各種演習に参加、1929年にワシントン州西部の干ばつが起こった際にはレキシントンが水力発電ができなくなったタコマ市へ電力を供給している他、1931年にはレキシントンはニカラグアの地震での救援活動に活躍している。
1941年2月にサラトガにレーダーが装備、さらに同年6月にはレキシントンにもレーダーが装備された。太平洋戦争開戦時にはレキシントンはミッドウェー島に航空機を輸送中、サラトガはサンディエゴで整備中でどちらも真珠湾に在泊していなかったため真珠湾攻撃から逃れることができた。
1942年1月11日、サラトガが伊号第6潜水艦の雷撃を受けたためドック入り。この際に8インチ砲が撤去されている。レキシントンは第11任務部隊として南太平洋や珊瑚海で活動している。2月にはニューギニア沖航空戦に参加、日本海軍の一式陸上攻撃機の攻撃を艦載機F4Fが撃退、九七式大型飛行艇2機の他、来襲した一式陸攻17機中15機を撃墜撃墜するという戦果を挙げた。
その後空母ヨークタウンと第17任務部隊を編成、1942年5月には珊瑚海海戦に参加する。この海戦では空母祥鳳を撃沈、翔鶴を大破という戦果を挙げたものの日本海軍第5航空戦隊の空母翔鶴、瑞鶴の攻撃により爆弾2発、魚雷2本が命中、5月7日燃料が爆発し大火災となったため駆逐艦により雷撃処分された。ヨークタウンも被弾したが、真珠湾で応急修理を行いサラトガ航空隊を搭載してミッドウェー海戦に参加している。
サラトガの戦い
(画像はwikipediaより転載)
唯一のレキシントン級空母となったサラトガは、1942年8月第二次ソロモン海戦に参加、日本海軍の軽空母龍驤を撃沈するが伊号26潜の雷撃により行動不能となるものの重巡ミネアポリスに曳航され真珠湾に帰港した。その後1943年11月から1944年2月にはギルバート、マーシャル諸島攻略戦に参加したのち、1944年3月にはインド洋でイギリス艦隊と合流、スマトラ島やジャワ島周辺を空襲した。
1944年9月には夜間戦闘機を搭載夜間空母となり、艦載機も夜戦型F6F、TBF アベンジャーに変更された。1945年2月には日本本土空襲作戦であるジャンボリー作戦で日本本土を空襲するが、1944年2月21日特攻機の攻撃により大破、修理のため本土に帰還する。
1944年5月22日修理完了、真珠湾で航空隊の訓練に従事して終戦を迎えた。その後1946年7月25日ビキニ環礁での核実験の標的艦として沈没。1946年8月15日除籍。
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