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(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 航空母艦ラングレーは米海軍初の航空母艦である。給炭艦ジュピターとして竣工した艦を航空母艦に改装した。同時期の空母鳳翔に比べて小型で速力も遅かった。このため試験用、訓練用として運用された。太平洋戦争初期に日本海軍航空隊の攻撃を受け撃沈された。

 

航空母艦 ラングレー

 

 

性能

 基準排水量 11,500トン
 全長 165.3m
 全幅 19.81m
 飛行甲板 159.4m×19.8m
 エレベーター1基
 機関出力 7,200馬力
 最大速力 15.5ノット
 航続距離 3,500海里 / 10ノット
 乗員 468名
 武装 51口径127mm砲単装4基
 搭載機 36機
 竣工(航空母艦) 1922年3月20日
 同型艦 1隻

 

給炭艦ジュピター

 米海軍初の航空母艦(空母)であるが、当初から空母として設計された艦ではない。1911年10月18日にプロメテウス級給炭艦ジュピターとして起工、1912年8月14日進水、1913年4月7日に竣工した。全長165.2m、全幅19.81m、排水量は19,360トンで最高速度は15ノットで竣工後は第一次世界大戦等で輸送任務に活躍した。

 第一次世界大戦の航空機の発達からそれを運用するための空母の必要性が高まっていた。最初に空母を竣工させたのは英海軍で大型軽巡洋艦を改装、1917年に空母フューリアス、1918年にアーガスを竣工させた。それに触発されて各国も空母の建造を開始、米国も1919年には給炭艦ジュピターを空母へと改装することに決定した。

 

空母ラングレー

 空母化されたジュピターは1920年4月11日進水、1922年3月20日に竣工、空母ラングレーと名付けられた。ラングレーは排水量11,500トン、全長165.3m、全幅19.18m、最高速度は15.5ノットと低速であった。平甲板式で広さは159.4m×19.8mである。同時期の日本海軍の空母鳳翔と比べてみるとトン数こそは鳳翔の1.5倍程度あるものの飛行甲板は鳳翔の168.25m×22.7mに比べ小さく、最高速度も鳳翔の25ノットに対して15.5ノットと低速であった。

 このため竣工したものの艦隊に随伴することはできず、もっぱら試験用、訓練用として運用された。ワシントン海軍軍縮条約では制限外(軍縮条約の対象外)とされていたラングレーであったが、1936年の第二次ロンドン海軍軍縮条約では制限内(軍縮条約の対象)とされた。このためラングレーも空母としてカウントされることとなったが、ラングレーは艦隊型空母としては能力に欠けるためラングレーを水上機母艦に改装することで代艦として空母ワスプを建造することが決定した。

 

水上機母艦ラングレー

 1936年10月25日よりラングレーは水上機母艦への改装工事を開始、1937年2月26日に改修が完了した。水上機母艦に類別が変更されたラングレーは太平洋艦隊に所属、太平洋戦争開戦時にはルソン島に停泊中であったが、劣勢であった米艦隊はフィリピンを脱出、ラングレーはオーストラリアポートダーウィンに到着した。以降、水上機での対潜哨戒を行っている。

 1942年2月23日、水上機母艦ラングレーはP-40ウォーホーク戦闘機のインド・ビルマ方面への輸送を命じられオーストラリアを出発するが26日に日本の偵察機に捕捉された。翌27日、日本海軍高雄航空隊の一式陸上攻撃機17機による攻撃を受けて航行不能となり乗組員は艦を放棄、ラングレーはクレムソン級駆逐艦ホイップルの雷撃により沈没した。

 その後、ラングレーを脱出した乗組員は駆逐艦2隻に分乗して海域を脱出することに成功した。ラングレー乗組員を乗せた駆逐艦2隻は、クリスマス島で給油艦ペコスに合流、ラングレー乗組員はペコスに移乗してオーストラリアに向け出港したものの、3月1日、南雲機動部隊に捕捉されてしまう。同日、空母赤城加賀蒼龍から出撃した九九式艦上爆撃機の攻撃により撃沈された。多くのラングレー乗組員の生命が失われたものの救助された生存者は駆逐艦ホイップルによってオーストラリアに送り届けられた。

 

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