
(画像はwikipediaより転載)
友鶴事件
1934年3月12日、佐世保港外で僚艦千鳥と夜間訓練を実施した千鳥型水雷艇友鶴は、帰投途中に荒天に遭遇して消息を絶った。同日、漂流中の友鶴を発見、佐世保港に曳航したが、全乗組員113名中100名の殉職者を出した。事故後、この事故に対する査問委員会が設置され事故の原因究明を行った結果、原因は同艇の復元力不足と結論付けた。
復元力不足の原因は、海軍がロンドン海軍軍縮条約で制限外に置かれた小型艦艇に重武装を施したことであった。用兵側の無理な性能要求に対して設計側が追従した結果、艦艇の重心が上昇して復元力が低下したことであった。これに対して海軍は、全艦艇の復元力調査を実施、性能改善を行った。
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