01_no3リボルバー
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 S&W社が1868年に発売したリボルバーである。それまでの同社の銃が低威力であったのに対して44口径と十分な威力を持っていた。このためカートリッジもセンターファイアに変更、装填方式もそれまでの銃身を跳ね上げる方式からトップブレイク方式に変更されている。日本軍が初めて採用した拳銃であり、日本以外でも各国の軍隊に採用されている。

 

S&W No3

 

 

性能

全長 346mm
重量 1,300g
口径 44口径
使用弾薬 44口径リムファイア、44-40、32-44、38-44、45スコフィールド弾等
装弾数 6発
総生産数  -
完成 1868年
設計・開発 S&W社

 

大口径化に成功

 金属カートリッジを使用するNo1No2リボルバーで成功を収めたS&W社、どちらも金属カートリッジを使用することで成功したのだが、問題は口径が小さく、当然威力も弱いことであった。当時の主流のリボルバーは大体44口径か36口径で、これに対してNo2は32口径、No1に至っては22口径であった。コルト社M1860アーミーの半分の口径である。

 そこでS&W社は自社のハンドガンの大口径化を目論む。しかし大口径化といっても簡単ではない。金属カートリッジを使用するため、銃本体の強度の問題はもちろん、カートリッジ自体も新たに開発する必要があった。No2で使用した32口径RF(リムファイア)弾をそのまま大型化すればいいじゃないかと思うかもしれないが、それはそれ、簡単ではないのだ。このリムファイア弾というのはカートリッジの下部の淵が大きめに作られており、そこに起爆用の火薬が詰められていた。これを大型化した上に薄く作るというのはどうも技術的に難しかったようでカートリッジもリムファイアから中央部を打撃して発火させるセンターファイア方式に変更された。

 この方式は現在の多くの銃が採用している方式でカートリッジ後部中央にあるプライマー(雷管)を打撃することで火薬を発火させる方式である。No3では初めてこの方式、口径も大口径化して32口径から一挙に44口径となった。銃本体もその大口径に合わせて大型化、737gであったNo2に対して1,330gと倍増、S&W社のリボルバーはNo1の315g、No2の737g、No3の1,330gと倍々ゲームで増えていく。小さなものから初めて徐々に大型化していくというのは工業製品の基本なのでS&W社はあくまでも基本に忠実であったともいえる。

 

構造

 大型化しただけでなく、No3からは装填方法も変更、それまでチップアップと呼ばれる銃身とフレームの接合部に蝶番のような接合部があり、装填の際はバレルを「上へ」跳ね上げる構造であった。しかしNo3ではトップブレイク方式という銃身を下に折って装填する方式に変更されている。さらにバレルとシリンダーが一体化しており、装填の際にシリンダーを取り外す必要がなくなった。これはかなり革新的なことで、それまでは装填の際に銃身を上方へ跳ね上げ、シリンダーを抜き取って装填しなければならなかったが、No3からは銃身を下に折り、銃身上部にあるシリンダーにそのままカートリッジを込めれば良くなった。

 将来的にはトップブレイク方式では構造上より強力なカートリッジを使用できなくなるため、のちにはスイングアウト方式というシリンダーを左方向へスイングさせて装填する方式に代わっていくが、このトップブレイク方式も英軍では使用され続け、何と1970年代後半まで使用されていたという。100年以上の使用に耐えるほどの革新的な方式であった。

 この方式はかなり話題になり、米軍にも採用されたが一部部隊に装備されたのみで本格的な採用に至ることはなかった。それでも諸外国の軍隊の注目するところとなり、ロシア軍が改良型を採用している。ロシア軍が採用したNo3は口径は同じであるが威力を増した44口径カートリッジである44ロシアン弾を使用、銃身長も38mm短縮して165mmとしてさらに反動を抑えるためグリップ後方上部にでっぱり、さらにトリガーガード下部に意味不明の妙な形をした指掛けが追加された。41,000丁が帝政ロシア軍に納入されたようだ。

 

各国軍隊で採用、だけど米軍全面採用にはならず!

 この通称ロシアンモデルは1877年からトルコとの間で起こった露土戦争でかなりの威力を発揮したようだ。これによってこの戦争でNo3に「やられた」トルコが今度はS&W社にNo3を注文、ロシアン同様に銃身長を165mmとしたモデルを装備している。他にもなぜか明治期の日本軍もNo3を装備、オリジナルのNo3と共にロシアンも購入、一番形として採用された。日本海軍でも採用され、こちらは錨のマークが打刻されている。しかしこの銃、頑丈ではあったが重量があり過ぎ、日本人にはちょっと厳しかった。このため明治26年に二十六年式拳銃が開発されることになる。

 それはともかくS&W社はこの評判の良いモデルを何としても米軍に採用させたいと思い、口径を45口径としたスコフィールドモデルを開発、米軍のトライアルに出したものの、コルト社の有名なコルトシングルアクションアーミー(SAA)に敗れてしまった。45口径に改良したといってもコルト社の45口径ロングコルト弾ではなく、それよりも若干カートリッジ長の短い45口径スコフィールド弾であった。当時米軍では45ロングコルト弾を使用しており、それなりに在庫があった。No3ではこの45ロングコルトは発射することができないが、SAAではどちらも使用することができる。ここらへんが勝敗を分けたともいわれる。

 

バリエーションなど

 そうは言ってもNo3、人気はあったようで、有名な保安官ワイアット・アープがOK牧場の決闘で使用したのもNo3であったし、西部に徘徊する悪い人達も愛用していた。このスコフィールドモデルは全長318mm、銃身長7インチ、重量1,135gであったが、米西戦争の後、町の鍛冶屋が米軍が払い下げた大量のNo3の銃身を2インチ切り落とし5インチモデルにしたNo3モデルも相当数が出回っていたようだ。

 1877年になるとS&W社はこれらNo3全モデルの生産を中止、シリンダーを延長して44-40弾を発射できるようにしたモデルを発表した。その他32-44モデル、38-40モデル等もあったようだが、特に38-40モデルは激レアモデルであった。

 このS&W社の傑作であるNo3、1868年から1898年まで製造されたが、何と最後に生産されたのは2003年である。もちろん生産され続けていた訳ではなく、2000〜2003年の間、リメイクしたものを発売していた。しかし完全な再生産ではなく、全体的に強度を増した上で安全装置や暴発防止機能が追加されたモデルである。完璧な複製でないのは残念だが訴訟を起こされてもたまらないのでそうなったのだろう。

 

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