(画像はwikipediaより転載)
要約
M59はS&W社が1971年に発売した自動拳銃で全長192mm、重量840g、装弾数は14発で使用弾薬は9mmパラベラム弾である。M39をダブルカラム弾倉にしたもので米国初の9mmDAオートとなった。フレームをアルミ合金にしたことで軽量化に成功したもののグリップが大型化したため握り心地は悪かった。1988年に製造中止、後継モデルM5904が発売されている。
S&W M59
性能
全長 192mm
重量 840g
口径 9mm
使用弾薬 9mmパラベラム弾
装弾数 14発
完成 1971年
設計・開発 S&W
開発経緯
1954年に発売されたM39は市場で大成功を収めた。何せS&W初の9mmDA(ダブルアクション)オートであるだけでなく、米国初の9mmDAオートだったのだ。このM39は装弾数8発で、これは当時の自動拳銃からしてみると普通の装弾数であった。
しかし現場としては装弾数は少しでも多い方がイイ。何しろハンドガンを使用する場所というのは常に命の危険に晒されている状況だ。そこで1934年に開発された名銃であるブローニングハイパワーで採用されたダブルカラムマガジンを装着しようというアイディアが生まれた。これは海軍特殊部隊向けに試作された銃で装弾数13発のオールステンレス製M39が十数種類が試作されたという。これらの銃はベトナム戦争中に海軍特殊部隊によって戦場での評価試験が行われたものの採用には至らなかった。
特徴
このモデルを基に開発したのがM59である。1971年に発売されたM59は、M39と同様にフレームはアルミ製、スライドはスチール製でダブルカラムマガジンを装備した装弾数は14発、全長192mm、重量は840gであった。スライド後部にあるデコッキングレバーを兼ねたサムセイフティの他、マガジンセイフティを装備、グリップはプラスチック製であった。
現在では装弾数14発のオートというのは普通、いや、むしろ平均よりも弾数が少ないのではないかと感じてしまうが、当時のハンドガンの主力はリボルバー、装弾数6発が普通であった。オートにしてもブローニングハイパワーこそ装弾数13発と多かったが、その他のオートは装弾数は7〜8発というのが普通であった。この中で14発のファイアーパワーを持ったM59は圧倒的な存在感を示したのは言うまでもない。ダブルカラムマガジンを持つ9mmDAオートを米国では通称「ワンダーナイン」と呼ぶが、このM59は米国初のワンダーナインであった。
フレームにアルミ合金を使用したことで軽量化に成功、大型オートでありながら重量840gを実現している。命中精度も比較的高く、トリガーはM39ゆずりのスムーズな動きであったものの、一番の問題はそのグリップの太さであった。ダブルカラムマガジンを装備したためにグリップが大型化、角材を握っているようなグリップフィーリングになってしまった。さらに初期のマガジンはスプリングのテンションが弱く、装填不良がしばしばおこった。これは15連マガジンに変更された際に修正されたが、何でも最初の製品には苦労が付きまとうものだ。
第二、第三世代へ継承
1982年には生産が終了、1984年には第二世代M459として市場に再登場する。この第二世代への改良は主に装填機構の変更で、それまでFMJ(Full Metal Jacket)弾を使用することを前提に設計していた自動拳銃であったが、自動拳銃でもJSP(Jacketed Soft Point)弾、JHP(Jacketed Hollow Point)弾の使用が徐々に多くなってきた。FMJとは弾丸が完全に銅で覆われた弾丸で、JSPは半分のみ、JHPはJSPの弾頭に窪みを付けたものでJSP同様に半分しか被鋼されていない。
M39系統の銃はFMJでは弾頭が銅で覆われているために抵抗なくスムーズに装填されるが、他の弾頭に鉛が露出している弾丸は装填時に抵抗があり、しばしば装填不良を起こした。このためこれらのカートリッジも使用できるように改良したのが第二世代の自動拳銃であった。因みにこのM459は、1986年のFBIによるマイアミ銃撃事件の際、FBIの捜査員が所持していた銃で、この銃撃戦で2名の死傷者を出したFBIは38口径や9mmのハンドガンの威力の弱さを痛感、リボルバーから自動拳銃に更新するのと同時により強力な10mm弾を採用するに至った。
とにもかくにも第二世代でM459となったM59はさらに1988年には製造中止、第三世代のM5904となる。第三世代ではグリップの形状が変更されたため握りやすくなった。この結果、ステンレスモデルであるM5906が海上保安庁の特殊部隊に採用されることとなった。日本人の手でも使用できるほどのグリップになったのだ。どちらも現在では生産されていないが米国初の「ワンダーナイン」である記念碑的な銃である。
トイガンと日本
現在ではM59はマイナー中のドマイナー、クソドマイナーと言っても良い銃であるが、1980年代には結構メジャーな銃であった。当時はインターネットなんてなく銃の情報と言えば発売されるモデルガンと専門誌があるくらい。当時のガンファンにとってはこれらの情報が銃のすべてであったと言っても良い。
1979年、MGCからM59が発売される。実銃の発売から8年後なのでまあ早い方かもしれない。当時と今は時間の感覚が違うのだ。多分、この銃の発売によりM59は一挙にメジャーになったのだと思う(管理人の想像)。翌年にはマルゼンがエアガンでM59を発売、1984年には伝説のカート式M59エアガンが発売される。
翌年にはマルシンもM59を発売したようだがこれは詳しくは分からない。この時期になるとモデルガンは徐々に下火になりエアガンの時代へ。6mmBB弾が主流になったのもこの頃だ。1986年には本家(?)のMGCも第二世代のM459、M659(シルバーモデル)を固定スライドガスガンとして市場に投入した。
M59豊作の1987年
1987年はM59豊作の年でたくさんのM59が実った。まずMGCが固定ガスガンでロングスライドモデルのM559を発売、そして同じくガスガンのスーパー・マスター・カスタムモデルのM759を発売した。これは通常モデルと1,000挺限定モデルがあり、価格が通常タイプが12,000円だけど限定モデルは22,000円とビックリする高価格であった。まあバブルなのでありなのだ。
さらにマルゼンもガスガンのM659を発売した。マークスマンガバメントやワイルディマグナムを発売していたチヨダからもこの年にM559が発売されている。これはコッキング式でデザインも相当ディフォルメされたモデルであったが、この時代はディフォルメなんて当たり前だったのだ。銃の外観なんて何となく似ていりゃいい程度の空気もあった(もちろんリアル志向の人も大勢いる)。
東京マルイのM59
忘れてはならないのがこの年、当時は今ひとつのマイナーメーカーであった(失礼!)東京マルイもガスブローバックのM59を投入した。因みにこれは私もベイビーの頃(小学生)に購入して微妙に気に入っていた。
このモデルは小型ガスボンベをグリップに挿入してブローバックさせるタイプでマガジンはスライド後方から棒のような細いマガジンを挿入する。装弾数は15発くらいはあった気がするが、このギミックからも分かるように現在のガスブローバックとは外観も性能もレベルが違う。でも好きだったし楽しかった。
1990年代のM59
ここまでの流れを追ってみても分かるように1980年代においてはM59というのはかなりメジャーだったのだ。しかしこの流れは1990年代まで続く。1990年にはグンゼ産業(昔はエアガン作ってた)が第三世代のM5904を発売、翌年にはM5906を発売している。トイガンの世界にも第三世代の波が来た。この年にWAも固定スライドガスガンM6906を発売した。
1991年には今は無きコクサイがM5904を発売している。これも固定スライドガスガンだ。恐らくここらへんまでが日本でのM59とその後継機の全盛時代だっただろう。1992年にはチヨダがコンドル10というもやはスケールモデルであることを完全に拒否した名称でM559の後継機を発売、1994年にコクサイがM5904ポイントゲッターというレーザーサイトが付いたカスタムモデルを発売したのがM59系の最後のモデルアップだったハズ(私が調べた限り)。
昭和の人気銃
このように今では忘れられてしまったクソマイナー銃であるM59であるが、かつてのヤング達はこぞってM59を買っていたのだ。MGCのM59はカスタムモデルも多く発売されており、石原プロの刑事ドラマ『太陽にほえろ』でもドック刑事が愛用していた。いろいろな会社からモデルアップされテレビでも活躍した大人気の銃、それがM59だったのだ。でもグリップは握りにくい。
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