01_彩雲
(画像はwikipediaより転載)

 

読書の感想4冊

 

柳谷 晃『一週間はなぜ7日になったのか』

 最近、中学高校の数学をもう一度やり直したくなって読んだ一冊。数学が大の苦手だった文系のアタクシ。いきなり教科書を読んでしまうと失神、卒倒してしまうのでまずは数学に慣れるところからとあまり勉強と関係のないところから攻めたのだ。

 内容はピラミッドの数学的な法則から始まり、ピラミッドが宇宙の法則を表していることを解説している。もちろん宇宙の法則といってもスピリチュアルなものではなく、地球が太陽を一周するのが365日であることや地球と太陽の距離などの科学的なもの。当時のエジプトの学者はそれらを理解しており、それらをピラミッドの構造に表現しながら設計していた。

 タイトルに関しては中盤に説明があるが、そもそも人間は目で見てすぐに分かる月を時間の基準にしていたようだ。月は29.5日で満月から次の満月になる。この29.5日を4等分すると大体7日になるというのが理由だそうだ。なぜ4等分かというと、それは満月→半月→新月→半月→満月と4等分は見た目で分かりやすいのだ。

 奇しくも以前から何故暦は一年を12ヶ月に分けてさらに一週間に分割されているのだろうと疑問に思っていた私としてはスッキリしたのだった。内容は面白かったが、中学高校の数学の勉強のとっかかりとはならなかった。もちろん著者が悪い訳ではない。

 

 

高橋一雄『つまずき克服!数学学習法』

 それではイカン!と思い読んだのが本書。こちらは本当の中学数学の入門書。小学生の算数から数学になったときに付いていけなくなる理由は、小学生の算数に対して中学の数学は抽象的だからだという。それまでの具体的なものをイメージしやすい算数から「x、y」等の記号が登場してくる。さらにそれを基礎としてどんどん抽象的になっていくのだ。

 アタクシが本書に興味を持ったのが、著者の高橋一雄氏は高校三年生まで数学の偏差値が38という超数学劣等生。中高の数学に付いていけなかった人が書いた数学の本は文系一筋のアタクシには非常に理解しやすいのだ。数学に限らず面白く学問を解説する系の本を書いているのは大体、その筋(暴力団関係者とかではなく)の専門家、専門家とは大好きな人がなるものなので、その学問が理解できない人や嫌いな人の気持ちが分からないのだ。

 そこにいくと高橋一雄氏は出来ない人や嫌いな人の気持ちが良く分かっている。出来なかった人は大体できないままで終わるのでこういう人の著書はかなり貴重なのだ。因みにあまりにも面白かったので同氏の著作を検索していたら高橋一雄『神龍特別攻撃隊』というのが出てきて爆笑してしまった。もちろん数学の学習書ではなく、同姓同名の別人である。数学がちょっと面白そうだと思えた一冊であった。

 

 

 

高橋一雄『神龍特別攻撃隊』

 せっかくなのでこちらも紹介。こちらは旧日本海軍のパイロットであった高橋一雄氏。海軍のパイロットなのでもちろん数学は出来たと思うが、上記書籍とは全く無関係の別人。高橋氏は予科練6期生という超ベテラン搭乗員。日本のトップエースの一人である西澤廣義飛曹長よりも一期先輩ということですごさも分かるというものだ。

 高橋氏は戦闘機ではなく水上機一筋。水上機というのは離着水がかなり難しく、水上機から陸上機への転科は出来るが逆はないと言われるほどだ。重巡熊野乗組から重巡利根乗組と艦載水上機の道を歩む。我々オタクの興味を引くのは伊400潜搭載の特殊攻撃機晴嵐の搭乗員であったことだろう。

 晴嵐とは潜水艦搭載の攻撃機で当時の零戦数十機分のコストをかけて製造された超高性能機であった。完成すると「潜水空母」伊400型に搭載されパナマ運河を攻撃する計画であった。実際にパナマ運河の攻撃は行われなかったが、終戦直前に晴嵐を搭載した伊400型は出撃している。

 本書はパイロットとしての側面から晴嵐について書かれた珍しい本だ。著者は操縦性の良い晴嵐に惚れ込んでしまったようだ。晴嵐を操縦した操縦員はかなり少ない。本書は貴重であるが、それだけではなく、潜水艦伊37潜に乗艦していた時、第6潜水艦隊司令部の命令で撃沈した商船から脱出した無抵抗の乗組員を銃撃して虐殺したというような戦争の暗部もまた描かれている。

 

 

 

田中三也『彩雲のかなたへ』

 偵察機といえば高速艦上偵察機彩雲。著者の田中氏は偵察機偵察員。偵察員とは操縦ではなく航法や写真撮影等をやる専門家。GPSが無かった当時、航法というのは職人技といえる精密なもの。特に方角と速度、偏流のみで測定する推測航法は難易度が高く、1,000回測定して一人前と言われるような技の世界だ。写真偵察も同様。当時の写真機は大型で操作にも熟練が必要なのだ。

 田中氏はこの偵察のエキスパート。海軍の教育課程の最上位に位置する特修科で訓練を受けた一流のオペレーターであり写真偵察の専門家であった。田中氏は前述の高橋氏同様、水上機搭乗員として利根乗組から二式艦偵に移る。因みに高橋氏が1942年5月に利根から移動となり、田中氏が同年7月から利根乗組となっているので入れ違いであったようだ。

 まさに偵察のエキスパートであり、戦法も悪天候を利用して敵艦隊上空に到達、急降下して艦隊の隙間をすり抜けて脱出する等、実戦で鍛え上げた強烈な戦い方だ。南太平洋海戦では空母ホーネット発見の功績も挙げている。その後、水偵から艦上偵察機に移り、二式艦偵、彗星、そして新鋭偵察機彩雲と乗り継いでいく。

 彩雲とは米国の新鋭戦闘機F6Fヘルキャットの追跡を振り切り「我に追いつくグラマンなし」と電報を打ったことで有名な高速偵察機である。田中氏はこの彩雲で紫電改で編成された決戦部隊である343空に参加、沖縄への強行偵察等も行う。戦後は海上自衛隊で対潜哨戒部隊に所属、定年を迎えるが、戦後も民間で空撮を行い総飛行時間は合計で5,500時間という偵察に一生を捧げた人生であった。読んでいて鳥肌ものである。

 

 

 


彩雲のかなたへ 海軍偵察隊戦記 (光人社NF文庫)
田中 三也
潮書房光人新社
2020-05-25


 

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