(画像はwikipediaより転載)
超要約
摂政は天皇の代行、関白は天皇の補佐、摂政は制度としては現在でも存続しているが、関白は明治時代に廃止された。臣下で最初に摂政になったのは藤原良房、最初に関白になったのはその子、藤原基経である。
摂政と関白
摂政、関白とは
日本史上初めて臣下で摂政に任じられたのは藤原良房である!すっ、すげーよぉ〜。臣下でありながら摂政とは。そして史上初の関白に任じられたのは藤原基経なのだ。そっちもすげーよぉー。摂政になったり関白になったり。だって偉いんでしょ?摂政も関白も!
そう偉いのだ!摂政も関白も偉いのだ。天皇に次いで偉いと言っても良い。どっちも偉い。と言っても偉いだけなら貴族だって偉いし、大臣も偉い、天皇なんてもっと偉いのだ。では、何がどのように偉いのか。摂政と関白の違いも分からないし、最初に登場した藤原良房と藤原基経って何?わからないことだらけの古代の制度。ここから簡単にというよりも出来るだけわかりやすく説明してみよう。まず摂政と関白の違いだ。摂政とは天皇に代わって政務をみる役割、天皇が幼かったり、病気だったり、その他大人の事情があったりと、何らかの事情で政務をみられない場合に皇族や臣下が天皇の代わりに政務をみる。それが摂政である。古い時代から主に皇族が摂政として天皇を代行したが、初めて臣下で摂政となったのは前述した藤原良房である。
これに対して関白とは天皇の補佐役、要するに宰相と考えて良い。みんなの大好きな三国志の時代、劉備を補佐していたのが諸葛孔明、劉備が天皇であるならば孔明の立場が関白に近い。まあ、ほぼ同じだ。天皇は発言権と決定権を持ち続けているが、そのナンバー2として存在するのが関白なのだ。当然、天皇を除くと政界の頂点に君臨する最高権力者である。
摂政と関白、その後。。。
古くは聖徳太子がなったと言われる摂政、実は現在でも制度としてはあるのだ。摂政も古代から近世まで存続、明治時代になっても大日本国憲法に摂政の制度が定められた。摂政というのは天皇の代行であって天皇に万が一のことがあった時には必要不可欠な存在である。近代以降でも実は摂政がいた時代があった。その時代とは大正時代で、大正10年(1921年)から大正15年(1926年)まで大正天皇に代わって、皇太子であった裕仁親王が天皇の代行、摂政を務めた。この裕仁皇太子は言うまでもなく、後の昭和天皇である。当時は摂政を務めていたので摂政宮(せっしょうのみや)と呼ばれていた。この摂政の制度は現在でもあり、天皇に何かあった場合は摂政に就任する順位も決まっている。
これに対して関白というのは平安時代に誕生、以降、藤原氏が継承するようになり、中世、近世と続いていく。戦国武将の豊臣秀吉も就任するなど権力の頂点に君臨した関白であったが、江戸時代になると関白といえども江戸幕府には逆らえない。関白に就任するには幕府の許可が必要であった。その後、明治時代になると関白という職は廃止されて現在に至る。関白というのはあくまで補佐なのでその役割は、明治時代になると維新の元勲たち、そして総理大臣に継承されていった。
藤原良房と基経
つまりは摂政は天皇の代行、関白は天皇の補佐というのが摂政と関白の違いである。ところで最初に登場した藤原良房やら藤原なんちゃらさん、具体的にどういうことなのかこれも説明しよう。藤原氏というのは藤原鎌足から始まる。その子が不比等、男の子が4人おり、それぞれが家を起こした。この四家は藤原四家と呼ばれるが、それぞれが権力を争い、平安時代になると北家と呼ばれる次男の一族が権力を掌握する。平安時代前期、この一族に生まれたのが藤原良房である。
パパである藤原冬嗣は弘仁元年の政変で藤原北家台頭の基礎を築いた。子である良房は当時の上皇(退位した天皇)の支援等を受けて順調に昇進、30歳で参議、翌年には従三位と貴族の中でも「公卿」と呼ばれる一段上の地位に上る。さらに36歳で中納言と権力街道まっしぐらであった。家柄だけでなく本人もかなり有能で、文徳天皇の外戚(皇后のお父さん)となり絶大な権力を手に入れた。
そんな時に応天門の変という事件が起こる。この事件により当時の左大臣、右大臣が一挙に力を失った。この空白を埋めるために良房は摂政に就任する。これが日本史上初の臣下による摂政だ。その後、権力は子の藤原基経が継承する。基経も摂政となり、そして日本史上初の関白となった。
天皇の代行である摂政に比べて関白というのは一段グレードが下がるのではないかと思われるかもしれない。確かに制度上はそうであるが、そこはそこ、実際はかなりの権力を持っていた。例えば、基経の力によって即位した宇多天皇が基経を関白に任命する際「阿衡に任ずる」と詔を下した。阿衡とは関白のかっちょいい表現であったのだが、基経は、「阿衡とは有名無実の役職」との話を小耳にはさみすっかりへそを曲げてしまった。
ブチ切れて政務を放棄してしまった基経、宇多天皇も「違うんだよ〜」「そんな意味じゃないよー(涙目)」と基経に言うのだが納得しない。仕方なく宇多天皇は「ハイ!僕が間違っていました!(涙)」というような詔を発布して何とか政務に復帰して頂いたのだ。それほどの権力を基経は持っていた。良房と親子二代、どちらも有能な人物であったのだ。
最後に簡単にまとめると、摂政は天皇の代行、関白は天皇の補佐、臣下で最初に摂政になったのは藤原良房で最初に関白になったのは藤原基経ということなのだ。因みに関白自体は制度としては亡くなってしまったが、「亭主関白」などの言葉としては残っている。もちろん絶対的な権力を持っている夫という意味であるが、よーく考えると関白というのはあくまでも天皇の補佐である。家族で亭主が関白に就任するということは、つまりは天皇は妻ということになる。どっちが偉いのかというと。。。
⇒歴史・戦史一覧へ戻る
amazonで摂政 関白を探す
|
|
|
↓良かったらクリックして下さい。
ミリタリーランキング
コメント