(画像はwikipediaより転載)
要約
SBDドーントレスはエドワード・ヘンリー・ハイネマンが設計、ダグラス社によって開発された急降下爆撃機である。初飛行は1940年5月1日で最高速度410km/h、1,020kgの爆弾を搭載可能である。速度は若干遅いものの機動性、操縦性に優れている上に頑丈で防弾性能も高く爆弾搭載量も多いという高性能機であった。海軍のみならず海兵隊や陸軍でも採用された。後継機のSB2Cヘルダイバーに更新された際も海兵隊は本機を使用し続けたという信頼性の高い機体であった。
SBDドーントレス爆撃機
性能(SBD-5)
全幅 12.66m
全長 10.09m
全高 4.14m
自重 2,905kg
最大速度 410km/h(高度4,300m)
上昇力 8.6m / 秒
上昇限度 7,780m
エンジン出力 1,200馬力(ライトR-1820-60 エンジン)1基
航続距離 2,519km
乗員 2名
武装 12.7mm機関砲2門、7.62mm機銃1挺
爆装 最大1,020kg
初飛行 1940年5月1日
総生産数 5,936機
設計・開発 エドワード・ヘンリー・ハイネマン / ダグラス社
開発
SBD-1ドーントレスとは米国の艦上爆撃機で名称のdauntlessとは「恐れを知らない。不屈の」という意味で、SBDとは(scout(偵察) bomber(爆撃) douglas(ダグラス))の略である。設計は1935年に開始され、1940年5月1日に初飛行、同年後半に初期型のSBD-1が初めて海兵隊に配備された。続いて改良型のSBD-2が海軍に引き渡されている。
速度は若干遅いものの、機動性、操縦性に優れ、爆弾搭載量も多く、頑丈で防御性能も高い爆撃機であった。全長10.09m、全幅12.66m、全高3.94m、戦闘重量4,492kg、プロペラは3翅3.30m、エンジンはライトR-1820-60エンジン(1,200馬力)、最高速度410km/h(高度4,785m)、実用上昇限度7,650m、航続距離1,794kmで武装は12.7mm機銃2門(各360発)、後席に7.62mm機銃2門(各1,000発)、爆弾倉に最大725kgの爆弾を1発、翼下には45kg爆弾2発を搭載可能である(データはSBD-5)。フラップは穴あき式でダイブブレーキも兼ねており、母艦搭載機であるが翼は折り畳むことができない。
バリエーションは主にSBD-1からSBD-6までの6種類あり、SBD-2は海軍用で燃料搭載量が増加している。1941年初頭に製造が開始されたSBD-3は機首の機銃を12.7mm2挺へ変更、防弾タンクと防弾鋼板を装備してエンジンをライトR-1820-52(1,000馬力)に変更している。SBD-4は陸軍モデルの海軍呼称で、SBD-5はエンジンをライトR-1820-60(1,200馬力)に変更したものである。このSBD-5が最も量産されたモデルで約2,400機が生産されている。最終型のSBD-6はエンジンをライトR-1820-66(1,350馬力)に変更したモデルである。
実戦参加とその後
初の実戦参加は1941年12月10日で、空母エンタープライズ搭載機が日本の潜水艦伊70を攻撃、撃沈している。その後も様々な作戦において使用されており、ミッドウェー海戦では日本の機動部隊に致命傷を与えている。このため当時はSBDの頭文字に因んで「Slow But Deadly」(遅いが致命的)というニックネームで呼ばれていたという。
海軍・海兵隊のみならず陸軍でも採用され、A-24バンシー爆撃機として第二次世界大戦全般を戦っている他、イギリス海軍、ニュージーランド空軍、自由フランス空軍、メキシコ軍でも使用された。海軍では1944年後半から後継機SB2Cヘルダイバーに変更されていったが、ドーントレスはヘルダイバーに比べ速度や爆弾搭載量では劣るものの、逆に低速、軽量で着艦時の操作性に優れていたためドーントレスを使用し続ける部隊が多かった。海兵隊は終戦間際までドーントレスを使用し続けている。
1940年から1944年7月まで製造され、総生産数は5,936機で内、SBD-5が約2,400機、陸軍モデルのA-24が953機(または948機)である。陸軍では戦後も使用され続け、1947年の空軍創設時にも存続、戦闘機として分類されF-24と改称された。この最後のF-24が廃棄されたのは1950年であるが、メキシコ軍ではその9年後の1959年まで使用し続けられた。
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