01_防人
(画像は防人。本物そっくりだ。 wikipediaより転載)

 

防人

 

そもそも防人ってなんなのさ!

 663年、日本軍は白村江において唐・新羅連合軍に大敗する。白村江の戦いである。日本軍の水上部隊の総兵力は2万、それに対する唐・新羅連合軍の総兵力4万。大陸での長い戦いの歴史の中で集団戦闘を訓練されている唐・新羅軍に対して豪族とその私兵を中心として集団戦闘の訓練も受けていない日本軍はあまりにも弱かった。フルボッコにされた日本軍は内地に帰還、朝廷はすぐに逆撃体制を整える。

 対馬から九州、西日本一帯にはおびただしい数の山城を構築、防御の拠点となる九州北部の大宰府は1,200mにも及ぶ水城と呼ばれる城壁を設けて要塞化していた。そして山々にはと烽と呼ばれる狼煙を設けて各拠点間の通信設備も整えた。そして防御の専門部隊として防人が充てられた。防人とは「さきもり」と読み、語源は不明であるが、「岬(みさき)守(もり)」あたりが語源だと言われている。現在でも、国境警備に当たる自衛隊やその他の公務員を「○○の防人」などと表現することもあるが、そもそもこの防人とはどんな存在だったのか、知名度の高さの割には意外と知られてない防人。今回はこの防人に関して解説してみたい。

 

律令以前の防人

 簡単に防人といっても古代で防人がいた期間というのは意外に長く、7世紀中葉から9世紀まで断続的ではあるが主に北九州に配備されていた。防人の初見は646年の大化改新の際に朝廷より出された改新の詔であるが、これはちょっと胡散臭い。ガチ確実なのは、664年で先述の通り、白村江以後の日本の防衛のために配備されたものである。ただ、この時期の防人というのはどのような編成でどこに配備されていたのかというと詳しいことは分からない。685年に朝廷が「任期満了した防人は返せ」とわざわざ指示していることから任期があるのだが、その任期はあまり守られていなかったのかもしれない。

 

大宝律令で明記された防人

 701年、大宝律令が制定されると防人は律令によって明確に規定されることになる。防人は当時の常備軍である軍団から選別されたが、どうも現在の関東甲信地方の軍団から選抜されていたようだ。関東甲信地方は、現在でこそ東京があり、埼玉、神奈川があり、全国のオシャレ人(びと)が集結する夢の大都会だが、古代ではこの一帯は「ド田舎」どころか、さらにもう二つ三つ「ド」が付くような辺境である。逆に人々はハングリーだったようで、この辺の地域は朝廷の軍事力の供給源となっていた。

 明確な規定は無いが、防人の規模は2,000〜3,000人、東国から摂津(大阪府)を経て水路で北九州に送られた。ちょっと細かいことを書くと、古代といえども政府の組織は官僚が管理している。防人の管轄は、防人の徴収から摂津までが徴収した国の国司が担当、摂津から大宰府までは兵部省の管轄、そして大宰府に到着すると大宰府麾下の防人司に管轄が移る。総司令官は大宰帥(だざいのそつ)という大宰府の総責任者だ。古代でも管轄やら手続やらいっぱいあるのだ。

 防人の任期は3年で、赴任先は北九州。当時、唐や新羅と緊張関係にあった古代日本にとって西部方面の防衛は最重要だった。装備は弓や剣、さらには弩と呼ばれる巨大ボーガンのような重兵器も使用した。当時は全国に軍団が設置されていたため北九州は防人と軍団によって「爪牙(そうが)の備え」とも呼ばれる鉄壁の守りを誇っていた。

 ただし、防人に選ばれた人はけっこう悲惨である。徒歩で関東から大阪に行き、はるばる船に揺られ瀬戸内海を通過、北九州に到着するのであるが、帰り道で野垂れ死にしてしまう防人もいた。それが理由なのか何なのか、奈良時代中葉になると防人は北九州諸国からも徴発されるようになる。しかし現場の大宰府は困ったもの。唐軍や新羅軍が攻めて来ることはないが横行する海賊に対して九州の兵は今ひとつだったようだ。再び剽悍な東国兵の復活を申請するが認められなかった。

 

廃止

 帰順した蝦夷を防人として送り込む等の奇策も行ったものの、795年には壱岐対馬以外の防人は廃止、804年にはとうとう壱岐対馬の防人も廃止されてしまう。廃止の理由は良く分からないが、防人とその家族の負担があまりにも重すぎることや財政的な負担が理由と考えられる。826年になると北九州は軍団も廃止され、代わりに地元の金持ちの子弟で編成される統領・選士と呼ばれる少数精鋭の兵士が沿岸防衛任務に就くこととなった。

 この時期の北九州の軍縮の理由は不明だが、この時期は、東北での大侵攻作戦を行っており大規模な軍が投入されていた。これに対して北九州は、この150年の間に唐や新羅の軍事侵攻の可能性は低くなり、強力な部隊を北九州に展開する必要がなくなったのだろう。これより以前、8世紀末には全国の軍団も廃止されていることからも財政的負担を軽減するための措置だったのではないかと思う。

 

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