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(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 F-84F サンダーストリークはリパブリック社が開発したジェット戦闘機でF-84を後退翼にした機体でである。全長13.23m、重量6,200kg、初飛行は1950年6月3日で最高速度1,119km/h、航続距離1,304km。F-84とパーツの互換性を高める予定であったが実際にはほぼ互換性はなかった。想定したほどの推力は得られなかったが爆弾搭載量と航続距離は優れていた。部隊配備と同時に運用中止、州軍に移管され1971年には退役した。サンダーバーズの使用機。総生産数3,428機。

 

F-84F サンダーストリーク

 

 

性能

全長 13.23m
全幅 10.25m
全高 4.39m
自重 6,200kg
最大速度 1,119km/h(海面高度)
上昇力 42 m / 秒
上昇限度 14,000m
エンジン出力 推力3,262kg(ライト J65-W-3 ターボジェットエンジン)1基
航続距離 1,304km(増槽2個装備時)
乗員 1名
武装 12.7mm機関銃6挺(携行弾数各300発)
爆装 最大2,727kgまたはMark7核爆弾
初飛行 1950年6月3日
総生産数 3,428機
設計・開発 リパブリック社

 

開発前史

 1945年5月に第二次世界大戦でドイツが降伏するとドイツの技術者の知識と技術が米国にもたらされた。この時に米国技術者は後退翼の情報を得ることとなった。この情報は真っ先に当時開発中の新型爆撃機で1945組のひとつであるB-47ストラトジェットに反映された他、ノースアメリカン社が開発中の新型戦闘機XP-86にも反映された。

 この後退翼はリパブリック社においても検討され、1947年にはリパブリック社はP-84の後退翼バージョンの開発を陸軍に提案したものの、時は第二次世界大戦後の軍縮の真っ只中で陸軍からの許可は下りなかった。1947年に米陸軍から陸軍航空隊が独立、米空軍が誕生するがリパブリック社はこの米空軍にもF-84(空軍戦闘機は「P」でなく「F」となった)の後退翼バージョンの開発を希望、やっとのことで試作機XF-96Aとして2機の開発を認めた。

 

開発

 1950年6月3日、XF-96Aは初飛行に成功。最高速度はF-84Gの1,001km/hに対して1,115km/hと100km/h以上の高速を発揮した。この結果、XF-96AはF-84Fサンダーストリークとして制式採用された。これは当初の試算でF-84と55%の部品の互換性があるために経済的であるという米空軍の判断もあった。

 一方、新型エンジンの採用により更なる性能向上に期待した米空軍はそれまでのJ35エンジンから英国アームストロング社製エンジンのライセンス生産品であるJ65エンジンに換装することを希望した。しかしこのエンジンはJ35に比べて大型だったために機体の大掛かりな再設計が必要となった。その結果、胴体を正面から見て楕円形に改造、さらには空気取入口も形状を変形することとなった。これらの改造の結果、当初の見込みである55%の部品の互換性が15%にまで低下することとなった。

 この設計変更のためにF-84Fの生産は遅れ、空軍はF-84の改良型F-84Gを開発、生産してその間の空白を埋める必要が生じた。しかしさらに問題が発生する。それはF-84Fで使用しているパーツの製造機がB-47のそれと同じであったことだ。この製造機は当時、米国には3基しかなかったのだが、この製造機ではB-47のパーツの製造を優先させることと決定、この結果、F-84Fの量産型が初飛行するのは1952年11月22日になってしまったが、その後にさらに様々な問題が続発、これらの改善に時間がかかったため運用開始は1954年5月12日となってしまった。

 

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(画像はwikipediaより転載)

 

性能

 完成したF-84Fは強力なエンジンを採用したものの設計上、エンジンの推力損失が大きくエンジンを換装したことによる重量増加と胴体の設計変更による空気抵抗の増加により当初予想したほどの出力は得られなかった。このため離陸距離は長く、特に炎天下では2,000m以上の離陸距離を必要としたさらに錐もみ状態になると回復不可能であった。しかしF-84から受け継いだ爆弾搭載量と航続性能は優れており性能は向上している。

 

バリエーション

 試作機YF-84(YF-96)が2機、量産型のF-84Fが2,711機製造された。この内1,301機はNATOに送られている。その他、主な改良型としては空気取入口を機首から主翼左右付け根に移動させ、機首に偵察用カメラを搭載したRF-84Fがある。これはサンダーフラッシュの愛称で呼ばれている。715機製造。その他、爆撃機に懸架されて運用される寄生戦闘機の試作機を始め試作機が数機生産された。

 

 

戦歴

 1954年に空軍に配備されたものの配備とほぼ同時に運用中止が決定、1958年までに運用が終了した。1961年にベルリンの壁建設で東西の緊張が増したため再導入されたが、1964年には空軍での運用を終了して州空軍へ引き渡された。そして1971年には州空軍での運用も終了して米国でのF-84Fの運用は終了する。

 このため朝鮮戦争には間に合わずベトナム戦争時には引退していたため目立った活躍はない。総生産数は3,426機で1955年から1956年までの1年間だけ米空軍アクロバットチームのサンダーバーズの使用機として運用された。

 F-84Fは米国以外でも西ドイツ、フランスを始め11ヶ国で運用されており、米国での退役後も1970年代まで各国で運用された。最後まで運用していたのはギリシャ空軍で1991年に退役している。

 

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