01_F-84 Thunderjet
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 F-84 サンダージェットはリパブリック社が開発したジェット戦闘機で初飛行は1946年2月28日、最高速度1,001km/h、航続距離3,220km、武装は12.7mm機銃6挺、爆弾最大1,800kgを搭載できる。機首にエアインテークを配置した直翼機であるが、空中給油機能、核弾頭搭載能力を初めて付与された戦闘機である。採用後不具合が相次ぎメンテナンス性も悪かった。朝鮮戦争ではMiG15に劣っていたために対地攻撃機として運用されている。1955年退役。総生産数7,524機。

 

F-84 サンダージェット

 

 

性能

全幅 11.10m
全長 11.61m
全高 3.84m
自重 5,033kg
最大速度 1,001km/h(海面高度)
上昇力 11,000mまで7分54秒
上昇限度 12,344m
エンジン出力 推力2,540kg(アリソンJ35-A-29エンジン)
航続距離 3,220km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 12.7mm機銃6挺
爆装 最大1,800kg
初飛行 1946年2月28日
総生産数 7,524機
設計・開発 リパブリック社

 

開発前史

 1944年 9月11日、米陸軍はP-59に続くジェット戦闘機の性能要求を各社に提示した。その要件とは最高速度966km/h、戦闘半径1,370km(後に1,135kmに修正)、GE製J35-GE7ジェットエンジンを搭載、12.7mm機銃8挺(後に6挺に修正)または15.2mm機銃6挺(後に4挺に修正)を装備という内容であった。これに対してリパブリック社が提出した戦闘機は、1944年11月11日に米軍からXP-84として試作機3機が発注された。

 

開発

 当初、リパブリック社は自社のレシプロ戦闘機P-47サンダーボルトをベースにジェット機化しようと考えていたが、同期の胴体断面が大きすぎるために計画を断念、新規に設計することとなった。 1945年1月4日にはXP-84が完成する前に米陸軍はYP-84Aを25機、量産型であるP-84Bを75機発注している(これは後にYP-84Aは15機、P-84Bは85機に変更) 。その後、試作機は1945年12月に完成、1946年2月28日に初飛行をした。

 P-84は全長11.61m、全幅11.1mで、自重5,033kg、エンジンは推力2,540kgを発生させるアリソン製J35-A-29エンジンで最高速度は1,001km/h、上昇力は11,000mまで7分54秒、上昇限度は12,344m、航続距離は3,220kmであった。武装は米軍伝統の12.7mm機銃6挺で最大1,800kgの爆弾を搭載することができる。

 機首にエアインテークを配置、翼は直翼で翼端に増槽を装備することができる。特徴としては戦闘機で初めて空中給油能力が付加されたことや単座戦闘機として初めて核爆弾を搭載することができることなどが挙げられる。愛称のサンダージェットという名称は同社の傑作戦闘機P-47サンダーボルトと推進機関のジェットを合わせた名前である。

 

運用開始

 米空軍での運用は1947年12月より開始した。しかしP-84は初期のジェット戦闘機であったためにエンジンの推力が弱く、離陸には長い滑走距離が必要であった。その上、高速では機体外板に皺が寄ることや翼のねじれ等の問題が噴出した(翼のねじれに関しては翼端燃料タンクが原因と判明)。このため1948年5月24日には全てのF-84B(空軍発足により名称がP-84からF-84に変更)の飛行が禁止、一時は配備計画の中止も検討されたが、F-84Dがそれらの主要な欠陥を改良していたために事なきを得た。

 その後も改良が続けられF-84E型、続くG型によって一応の完成をみた。しかし折から始まった朝鮮戦争に参加したF-84は部品不足とメンテナンス性の悪さで整備員には不評で「整備士の悪夢」というあだ名を付けられるに至った。

 実際の運用でもソビエト製ジェット戦闘機MiG15には機動性で劣り、F-86セイバーが実戦配備されるとF-84はその爆弾搭載量を生かして地上攻撃、F-86は制空戦闘にと役割分担することとなった。MiG15に対して機動力が劣っていた原因の一つはやはり直翼であったためでF-84を後退翼化したF-84Fサンダーストリークが開発されることになる。

 1952年にはF-84は順次退役していくがF型が完成するまでの「つなぎ」としてG型が開発された。このG型は「つなぎ」にも関わらず3,000機が製造、NATO加盟国を中心に多数の機体が供与された。1953年に発足した米空軍のアクロバットチームであるサンダーバーズの初代使用機はこのG型で1955年まで使用された。

 

 

バリエーション

 試作機のXP-84が2機、エンジンをJ35-15に換装したXP-84Aが1機、増加試作機でXP-84Aと同じエンジンを搭載したYP-84Aが15機製造されている。P-84Bは初期量産型で226機が製造、P-84Cはエンジンを信頼性の高いJ35-13に変更した上で各部を改良したモデルで191機が製造された。

 F-84DはエンジンをJ35-17に変更、前述の飛行中止の問題に対処するために様々な構造上の改良が施された機体で翼のねじれの原因が翼端燃料タンクであったことからタンク後部に三角フィンが追加された。154機が製造された。

 F-84EはエンジンをJ35-17Dに変更、胴体が延長されAN/APG-30レーダーを装備。843機が製造された。G型はJ35-A-29エンジンに変更、空中給油機能が装備された他、核爆弾を装備することができる。シリーズ最多の3,025機が製造された。

 

戦歴

 朝鮮戦争に参加するがソビエト製MiG15戦闘機に機動性で劣っていたために主に対地攻撃機として使用された。その後、順次退役していくが、ポルトガル空軍や中華民国空軍が実戦で運用している。

 

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