01_P-47
(画像はwikipediaより転載)

 

P-47サンダーボルト

 

 

性能P-47N

全幅 12.95m
全長 11m
全高 4.48m
自重 4,997kg
最大速度 735km/h(高度10,668m)
上昇力  -
上昇限度 12,939m
エンジン出力 2,100馬力(P&W R-2800ダブルワスプ)1基
航続距離 3,158km
乗員 1名
武装 12.7mm機銃8挺
爆装 1,000ポンド(454kg)爆弾3発
   ロケット弾10発
初飛行 1941年5月6日
総生産数 15,660機
設計・開発 アレキサンダー・カルトベリ / リパブリック社

 

概要

  P-47サンダーボルトとは米陸軍航空隊が第二次世界大戦中盤から運用を開始した高高度戦闘機である。全幅13m、全長11mという巨大な戦闘機であった。当時の日本陸軍の主力戦闘機である一式戦闘機隼が全幅11m、全長9mと比べればその巨大さが分かるだろう。一式戦闘機とは全幅、全長共に2mも違っているのだ。この巨大戦闘機、さすがに米軍パイロットもその巨大さに驚いたようだが、P&W R-2800エンジンを搭載した上にターボ過給機を装備している本機は鈍重とは程遠い高速戦闘機であった。

 今回はこの高高度戦闘機の生まれた経緯について書いてみたいと思う。このP-47サンダーボルトのベースとなったのはAP-4という機体で、1939年の米陸軍戦闘機トライアルでカーチス社製P-40ウォーホークと競合した機体であった。最終的にトライアルではP-40に軍配が上がり制式採用されたものの、この機体に米軍はを惜しみ評価試験用としてXP-43の名称を与え発注した機体であった。

 ターボチャージャーを装備したXP-43は最高速度565km/hを発揮、米陸軍はP-43として54機の発注を行った。しかし、当時の航空機の進歩は目覚ましく、すでにこの性能ではドイツ空軍の戦闘機には太刀打ち出来ないことが判明、P-43の後継機として大量注文されていたP-44も全てキャンセルされてしまった。これによりリパブリック社は深刻な経営難に陥ってしまうが、実力主義の米国でもさすがに見捨てることは出来なかったようで、結局P-43戦闘機の生産をさせることになった。このP-43戦闘機は第二次世界大戦ではほとんど活躍することはなかったが272機が製造され、中華民国空軍に108機が引き渡され日本軍とも交戦しているものの多くは偵察機として運用された。

 この間、P-43の改良も進んでいた。凄まじい勢いで進歩し続ける航空機の流れに追いつき、そして追い越すために設計者アレキサンダー・カルトベリはP43の機体を大型化、エンジンをP&W R-2800ダブルワスプエンジンに変更、ターボチャージャーを装備した。このR-2800エンジンはF6FヘルキャットF4Uコルセアなどに採用された傑作エンジンで出力は2,000馬力にも達するものだ。これに4m4翅のプロペラ、胴体内にターボチャージャーを装備したため胴体は太くなり主翼には12.7mm機関銃8門、自動防漏燃料タンクも装備するという強力な戦闘機になった。

 1941年5月6日、この巨大戦闘機XP-47Bは初飛行を行った。しかし後の事故により不具合が発覚、1942年9月、それらの問題点を改良したP-47Cが米軍に引き渡された。そしてさらに改良が進み、ついに決定版となるP-47Dが登場する。このタイプは総生産数12,602機で、P-47の総生産数15,660機のほとんどを占めている。

 

 

実戦での運用

 1942年末、P-47サンダーボルトはまず危機に瀕している英国に送られた。この時のタイプはP-47Cである。この時、やはり連合軍のパイロット達もその巨大な戦闘機に度肝を抜かれたという。当時の英国空軍は日本空軍と同じくドッグファイトを重視しており、戦闘機もスピットファイアやハリケーンといったドッグファイト向きの機体であった。そこに翼面荷重246kgの重戦闘機が登場したのだ。因みに翼面荷重とは航空機の重量を翼面積で割った値でその数値が低ければ低いほど、機体が軽く翼が大きいということになり旋回性能が高くなる。零戦や一式戦闘機の翼面荷重は100kg前後、スピットファイアの初期型は117kgである。

 当然、ドッグファイトではこれらの戦闘機に太刀打ちできず、最大離陸重量8トンにも達するその機体は離陸するまでも距離を必要とした。しかし高高度になると運動性能は高く、頑丈で防弾性能に優れた本機は多くのパイロットの命を救うこととなる。P-47も改良が進むにつれ燃料タンクが大型化、これにより航続距離が増大、重爆撃機の援護も出来るようになった。

 初の戦闘は1943年3月のヨーロッパ戦線で、8月には太平洋戦線でも初陣を飾った。戦争も後半となり、P-51マスタングが登場すると護衛任務はP-51に譲り、P-47はその8門の12.7mm機銃と重装甲、爆弾搭載量の大きさから戦闘爆撃機として運用されるようになった。第二次世界大戦終結後もP-47は1947年までは陸軍航空隊で運用され、1947年米空軍が誕生するとF-47として1949年まで現役で運用され続けた。その後は州軍で1953年まで運用された後に退役している。

 第二次世界大戦中、それ以降もこの傑作戦闘機は米国、英国以外にも多くの国で運用されている。最も多く運用したのが自由フランス空軍で米国より446機を受領、1950年代まで運用を続けた。ソビエト連邦に対してもレンドリース法に基づいて203機が送られたものの目立った活躍はしていない。戦後は中華民国に102機のP-47Dが送られ、国共内戦に使用されている他、トルコ空軍、イタリア空軍、イラン空軍や南米の国々等多くの国で運用された。最後まで運用したのはペルー空軍で1966年に最後のP-47が退役している。

 

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