
(画像はレミントンM10 wikipediaより転載)
要約
レミントンM31
高品質・高価格ショットガン
レミントンM31とは米国レミントン社が製造していたショットガンである。重量は3.2kg、口径は12ゲージ、16ゲージ、20ゲージがあり、装弾数は4発である。当時のショットガンはウインチェスター社が1912年に発売したショットガンM1912が圧倒的なシェアを誇っていた。これに対してレミントン社には、1908年以来販売している同社最初のショットガンであるM10があった。しかしM10は構造が複雑であり故障が多く今ひとつ評判が良くなかった。このためレミントン社は、1921年にはM17を発売。これはかの有名な天才銃器デザイナーであるジョン・ブローニングによって設計されたショットガンである。このM17は構造もシンプルで故障も少なかったものの、これもセールス的には今ひとつであった。そして1929年にはM10を改良してM29を開発、対抗して販売していたもののこれもまたセールスは今ひとつであった。このためレミントンはこのM1912に対抗するために新型ショットガンの設計を開始することになる。設計はチョウンシー・ルーミス、ジョン・ペダーセン(レミントンで最初にポンプアクションショットガンを設計した人)によって行われた。
設計者C・ルーミス、J・ペダーセンはレミントン製ショットガンM10、M17がなぜM1912に対抗できないのかを検討した結果、ウインチェスターM1912は、射撃終了時の薬莢が側面から排出されるのに対してレミントン社製ショットガンは下部から排出される構造であった。設計者達は、射手が単発でロードする際には横から排莢する機構の方が便利であることから多くのユーザーがウインチェスター社製を選んでいると推定、新たに横に排莢する機構を開発した。1930年1月、M17をベースに設計を開始、1931年8月にM31として発売された。当初は12ゲージモデルのみであったが、1933年に16ゲージと20ゲージモデルが追加された。フレームサイズは12ゲージ用と16、20ゲージ用がある。
しかし発売された1931年はちょうど世界恐慌のただ中であり、このような高性能、高品質のショットガンを製造するには不利な時期であった。このためライバルであるM1912は売価を下げたものの、製造コストのかかるM31はそれができなかった。製造は1931年から1949年まで行われ、総生産数は189,243丁で、内、12ゲージモデルが117,709丁、16ゲージモデルが40,309丁、20ゲージモデルが31,225丁である。しかし同時期のウインチェスターM1912の販売数が588,000丁であったことを考えると1/3程度の生産数でしかない。
M31は製造コストが高すぎる上に利益率が低すぎたために1949年に製造中止されるが、後継機のM870に比べて高品質であること等から愛好家たちの間ではM870よりも人気の高いモデルである。バリエーションは、ベンチレーテッドリブを装備したモデルなど実に35種類にも上る。特に有名なバリエーションとしては、1941年頃に発売されたアルミ製レシーバーとトリガーハウジングを備えた軽量モデルであるM31Lがある。
トイガン事情
日本では1975年にMGCからM31Rを金属製モデルガンとして発売。実銃の所持が許可されているショットガンタイプのモデルガンであったためか、実弾が装填できないようにチャンバーレス機構で発売した。さらに1981年にはABS製モデルとしても発売している。これは当時のテレビドラマ『西部警察』とのタイアップであったこともあり大ヒットした。
因みに『西部警察』とは1979年から1984年までテレビ朝日系列で放送された刑事ドラマで、西部署という架空の警察署の激闘の物語である。西部署の刑事たちは通称「大門軍団」と呼ばれ、大門部長刑事の指揮下に危険な捜査や毎週激しい銃撃戦を展開する。特殊車両と呼ばれるスーパーカーが登場、刑事たちは44マグナム銃やショットガン、競技用のPPCカスタム等の個性的な銃で武装、毎週最後には「敵」との激しい銃撃戦が展開されるという男の子ココロをこれ以上なく刺激するドラマであった。
しかし刑事たちがやっている捜査方法がかなり問題があったり(取り調べで手をグーにして凄い勢いで相手の顔に触る等)、その他「むしろこの刑事たちを逮捕するのが先なのではないか?」と思ってしまう描写があまりにも多いため決して再放送されることはない。
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