
(画像はwikipediaより転載)
要約
P-39エアラコブラはベル社が開発した戦闘機である。全幅10.36m、自重2,853kg、37mm機関砲、12.7mm機銃、7.62mm機銃4挺を装備する。初飛行は1938年4月6日で最高速度579km/h、航続距離1,770km。にエンジンを胴体中央に配置しているため重量バランスの変化に敏感な機体となった。米軍で採用された他、多くがソビエト連邦に供与されて運用された。
P-39エアラコブラ
性能(P-39D)
全幅 10.36m
全長 9.21m
全高 3.6m
自重 2,853kg
最大速度 579km/h(高度4,600m)
上昇力 5,000mまで6分24秒
上昇限度 - m
エンジン出力 1,150馬力(アリソンV-1710-35)
航続距離 1,770km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 37mm機関砲1門(弾数15発)、12.7mm機銃2挺(弾数各200発)、7.62mm機銃4挺(弾数各500発)
爆装 225kg爆弾1発
初飛行 1938年4月6日
総生産数 9,558機
設計・開発 ベル社
概要
P-39の最大の特徴はエンジンが胴体中央にあることである。このような特殊な設計になった理由としては37mm機関砲という大口径砲を搭載することにあった。この37mmという軽戦車並の大口径砲を搭載するためにはそれまでのようにプロペラとの同期で発射するには37mm砲の発射速度や搭載弾薬量の関係で難しかった。
このため37mm砲モーターカノンを前方に配置、エンジンをコックピット後方胴体中央に配置した分けである。これによりプロペラの回転の影響を受けないプロペラスピナーから37mm砲の発射が可能となっただけでなく、機体中央部に機関砲を設置することで照準交差を考慮する必要がなくなり命中精度の向上に貢献した。同時にこの設計をすることによってP-39はスマートな流線形の胴体を構成することができた。
技術的な問題として、胴体中央にエンジンを搭載するということは機体先端にあるプロペラへの動力供給を延長したプロペラシャフトによって行うことになるが、P-39の場合は故障や不具合の問題はなかったようである。これはのちに日本の局地戦闘機雷電がプロペラシャフトを延長したことによる振動問題に悩まされたのと対照的である。
1938年4月6日、試作機XP-39は初飛行を行った。本来、迎撃戦闘機として計画されていた本機は、排気タービンを装着しており、高度6,100mまで5分、さらに同高度で最高速度630km/hという高性能を発揮した。しかし陸軍は排気タービンを外し中高度戦闘機として設計すること指示、エンジンを一段一速過給器のV-1710-35エンジンに変更したため性能は大幅に低下した。
この排気タービンを廃止した理由についてははっきりしないが排気タービンの構造が複雑すぎるためであったからであるとも言われている。事実、排気タービンが廃止されたことによりメンテナンス性は向上したと言われている。
問題山積
武装は37mm砲1門と他に機首に12.7mm機銃を装備していたが、これらの武装により重量が増加した上にエンジンを胴体中央に配置するという独特の設計により、P-39は胴体内に燃料タンクを配置するスペースがなく、翼内とさらに投下式燃料タンクとなった。このため航続距離は低下している。
その他、エンジンを胴体中央に配置したことにより、特に機銃弾を撃ち尽くした後、機体の重量バランスの変化によりスピンが起こりやすくなったことや、後方、上方からの攻撃に対しては脆弱であるという問題があった。逆に地上からの攻撃に対しては耐久性が向上している。
P-39は1944年8月まで生産が続けられ、総生産数は9,558機である。しかし米陸軍での運用は少なく、半分近くである4,773機がレンドリース法に基いてソビエト連邦に供与された。その他英国も同機を取得しているが、これは37mm砲の代わりに20mm機銃、6基の7.7mm機銃を装備したモデルで675機を発注したものの、性能が不十分と判断し、英国では80機を運用したのみでその他200機はソビエト連邦に送られ、さらに200機はP-400として米軍で採用、一部はオーストラリア空軍で運用された。
戦歴
1941年8月6日、英空軍はP-39 2機を受領した。10月9日には4基のP-39が実戦に初参加している。しかし英空軍は整備性の悪さなどからお気に召さなかったようで不採用、部隊配備された分と米国から納品予定であった機体は全てソビエト連邦に引き渡された。
これに対して米陸軍は英国向けの機体を徴用、P-400として実戦配備、ソロモン方面で実戦に投入した。初空戦は1942年4月30日で日本海軍の零式艦上戦闘機と交戦している。のちにアリューシャン列島にも配備されるが高高度性能の低さや航続距離の短さのため目立った戦果は挙げられなかった。北アフリカ戦線でもP-39は運用されたが対航空機戦闘よりも地上攻撃に威力を発揮したようである。
P-39の活躍での白眉はレンドリース法によりソビエト連邦に提供された4,719機のP-39でこれはP-39の生産量の半分に相当する。東部戦線に配備されたP-39はその特徴的な重武装と重装甲でドイツ航空機に対して大きな戦果を挙げている。
P-39は対航空機戦闘よりも対地攻撃に威力を発揮したと言われることもあるが、ソ連で運用されたP-39は対地攻撃よりも対航空機戦闘で戦果を挙げており、ソ連空軍のエースパイロットであるアレクサンドル・ポクルィシュキンは総撃墜数59機中48機、グレゴリー・レチカロフは総撃墜数56機中44機をP-39で撃墜したと主張している。
激戦に投入されたP-39は損害も多く、ソ連に提供された4,719機中、1,030機が大戦中に失われている。ソ連空軍では1949年まで運用された。
オーストラリアでは1941年から1943年頃まで第一線で運用されたが徐々にスピッツファイア等の航空機に更新されていった。その他フランス、イタリア、ポルトガル等でも運用されている。戦後はソ連空軍が1949年まで運用、米空軍が極少数の機体を1948年まで保有している。最後まで運用したのはイタリアで1951年に退役した。
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コメント
コメント一覧 (2)
使い方次第なんだろうな。
コイツでも既存のソ連機より機敏に動けたそうだし。
ドイツ空軍機てどんだけ雑魚なんだ?
とりねこ
が
しました