
(画像はwikipediaより転載)
要約
P-61ブラックウィドウはノースロップ社が開発した双発戦闘機である。初飛行は1942年5月26日で全幅2.12m、自重9,979kg、最大速度589km/h、航続距離3,100km、武装は20mm機関砲4門、12.7mm機銃4門という重武装であった。1944年5月にはヨーロッパ戦線に投入、6月には太平洋戦線にも配備された。レーダーと重武装により戦果を挙げた。後継機は1945年に開発がスタート。早期に更新されるはずであったが後継機の開発が難航したために1949年まで運用されることとなった。総生産数706機。
P-61 ブラックウィドウ
性能(P-61B)
全幅 20.12m
全長 15.12m
全高 4.34m
自重 9,979kg
全備重量 13,472kg
最大離陸重量 16,420kg
最大速度 589km/h(高度6,100m)
上昇力 12.9m / 秒
上昇限度 10,090m
エンジン出力 2,250馬力(P&W R-2800-65W)×2基
航続距離 3,100km(増槽装備時)
乗員 3名
武装 20mm機関砲4門(携行弾数各200発)、12.7mm機銃4挺
爆装 1,600ポンド(726kg)爆弾4発または
12.7インチロケット弾6発
アビオニクス SCR-720A
SCR-695
初飛行 1942年5月26日
総生産数 706機
設計・開発 ノースロップ社
概要
第二次世界大戦初期、バトルオブブリテンを見た米軍は夜間戦闘機の必要を認識、1940年10月には夜間戦闘機の性能要求を各メーカーに提示した。これに対してノースロップ社はロッキード社製戦闘機P-38ライトニングと同形式の双発双胴、20mm機関砲4門、12.7mm機銃4挺のターレットを持つ夜間戦闘機の案を提出した。
1941年1月にノースロップ社は米陸軍から試作機XP-61として2機を受注、1942年5月26日に初飛行に成功する。完成した機体は全幅20.1m、全長15.1m、重量10,090トンという巨大な機体で大きさはドーリットル隊の爆撃で有名なノースアメリカン社製爆撃機B-25ミッチェルに匹敵するもので、重量に至っては20%ほど重い。
乗員は操縦員、砲手、レーダー手の3名で中央の胴体部に搭乗する。コックピット操縦員と砲手は階段のような形状で設計されているためどちらも正面から前方、上方を視認することができた。レーダー手は胴体後端にあり、機体上部の12.7mm機銃ターレットは砲手とレーダー手のどちらからでも遠隔操作可能である。レーダーは当時としては高性能のSCR-720Aを装備しており、これは目標物を8km先まで捕捉可能であった。尾部警報レーダーとしてSCR-695を装備している。
P-61A
1943年3月より増加試作機YP-61Aが13機完成、10月には最初の量産型であるP-61Aが出荷された。このA型にはA-1、A-5、A-10、A-11の4種類あり、最初のP-61A-1はR-2800-10(2,000馬力)を搭載した機体で45機が製造されたが、内7機には上部ターレットはなかった。さらにエンジンをR-2800-65(2,250馬力)に強化したP-61A-5が登場、A-1型で機体上部に設置されたターレットが気流を乱すことが判明したためターレットは廃止されている。P-61A-10は水メタノール噴射式のエンジンを装備した機体で100機が製造された。A型はA-1が45機、A-5が35機、A-10が100機、A-11が20機の合計200機が製造されている。初期の機体はオリーブドラブで塗装されている。
P-61B
P-61Bはより高性能になったSCR-720AIレーダーを搭載した機体である。このレーダーを収容するためにレドームが20cm強延長、同時にAPS-13尾翼警報システムも搭載されている。1944年7月より陸軍への引き渡しが始まっている。B型は様々な改良が加えられたため全部で8タイプ存在する。この内、P-61B-11、12では機体上部のターレットが復活しているが、P-61B-16ではそれまで4挺であった機銃が2挺に減少している。さらにP-61B-20では再び4挺に増加、P-61B-25になるとターレットがレーダーと連携して発射されるようになった。合計で450機が製造されている。
P-61C
R-2800-73(2,800馬力)エンジンにゼネラルエレクトリック社製スーパーチャージャーを装備した機体である。これにより最高速度が高度9,145mで692km/hとなったものの機体重量も増加したため離着陸距離が長くなってしまった。500機以上が発注されたが終戦のためキャンセル、41機のみ製造された。
その他のバリエーションとしては昼間長距離掩護戦闘機として改造されたXP-61E、気象調査用に改造されたP-61G、タンデム式のコックピットに改良された写真偵察型のF-15A等がある。
戦歴
1944年5月よりヨーロッパ戦線で運用が開始されたが、登場する次期が遅すぎたため大きな活躍をすることはなかった。このP-61が最も存在感を示したのがドイツのV1飛行爆弾の迎撃で終戦までに18機を撃墜している。6月には太平洋戦線でも運用が開始、6月30日には一式陸上攻撃機を撃墜した。これがP-61の初撃墜である。夜間戦闘機としては高性能でついに枢軸国軍は1機も撃墜することが出来ずに終戦となったが、やはり登場した時期が遅すぎたため、第二次世界大戦でのP-61の総撃墜数は127機(V1飛行爆弾18機を含む)と少ない。
第二次世界大戦以降
1945年にはP-61の後継機の開発がスタート、カーチスXP-87とノースロップXP-89が試作された。その後、XP-87は不採用となりXP-89がP-89スコーピオンとして制式採用されることが決定したものの予想外に開発は難航して実戦部隊への配備は遅れてしまった。
早期の更新を予定していたため部品の生産ラインは閉鎖されてしまい部品の供給が不足、完成している機体から部品を取る「共食い」整備を行い凌いでいたが、暫定的な代替機としてはF-82ツインマスタングが充てられることとなりP-61は実戦部隊から姿を消すこととなった。
1949年までにほぼ退役してしまったため朝鮮戦争には参加しておらず、試験用に運用されていた機体も1954年に退役している。現在では米国に3機、中国に1機の合計4機が現存している。
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コメント
コメント一覧 (1)
1930年にフランスで産まれた双発万能機のコンセプトを
実現したモデルとも言える。
日本にこそ必要な戦闘機だったな。
ピエール隊長
が
しました