01_P-51
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 P-51は米国製の戦闘機であるが、当初は英国に送るために開発された戦闘機であった。それに米軍が興味を示し制式採用した。初期のA型は高空性能が低く凡庸な機体であったがエンジンを換装したB型、C型は見違えるような高性能機となった。さらにエンジンをより強力に換装したD型は最高速度710km/hを叩き出す上に航続距離や空戦性能も優れた高性能機となった。

 戦後も運用され続け、1969年のサッカー戦争においてF4Uコルセアと空戦をしたのがP-51最後の空戦であった。最後まで運用していたのはドミニカ空軍で1984年に退役している。速度、航続距離、空戦性能と全体的に高スペックを誇った万能戦闘機と言われている。

 

P-51マスタング

 

 

性能

全幅 11.28m
全長 9.83m
全高 4.08m
自重 3,463kg
全備重量 4,173kg
最大離陸重量 5,488kg
最大速度 710km/h
上昇力 16m / 秒
上昇限度 12,800m
エンジン出力 1,490馬力(エンジン名 パッカード、マーリンV-1650-7エンジン)1基
航続距離 2,660km(増槽使用時)
乗員 1名
武装 12,7mm機銃6挺(全て翼内、携行弾数は内側4挺380発、外側2挺270発)
爆弾 500ポンド(230kg)爆弾2発
初飛行 1940年10月26日
総生産数 15,675機
設計・開発 エドガー・シュミュード / ノースアメリカン社

 

開発経緯

 P-51は第二次世界大戦に登場した戦闘機の中で最優秀機と言われる機体である。これは当然ではあるが、全てのスペックにおいて最優秀であるということではなく、トータルで見た場合の最優秀ということである。無論、速度や航続距離、空戦性能で本機を凌ぐ性能を発揮する戦闘機は多く存在する。

 P-51戦闘機の開発は1940年に遡る。1940年に英国の兵器購入委員会は英国へ送る米国製戦闘機を物色していた。しかし当時の欧州の戦闘機の性能に達する機体は少なく、P-40ウォーホークがその水準に達していた程度である。このため同委員会はP-40の購入を検討していたが、P-40を製造するカーチス社の工場の稼働率は限界にまで達していた。

 このため同委員会は練習機の品質などで評判の良かったノースアメリカン社にカーチスP-40のライセンス生産を提案した。ノースアメリカン社の空いている工場でP-40を生産させようという狙いであった。これに対してノースアメリカン社は何と自社での戦闘機の独自開発を主張。同委員会に対して120日以内に新型戦闘機の開発を約束した。この時点で戦闘機の開発をした経験がないノースアメリカン社としては随分と思い切った主張であった。

 

N73完成

 この日から102日目にノースアメリカン社は新型戦闘機N73を完成させ、1940年10月26日に初飛行も成功させた。4ヶ月で設計をする条件であったため設計は保守的で目新しいものはなかったが、性能は全体的に良好であり、特に燃料搭載量は他の戦闘機を圧倒していた。但し、エンジンに起因する高高度性能の低さという欠点があった。

 このN73を英国はまず300機購入(最終的には620機)、マスタングMk気般震召靴拭1941年10月には英国に到着、1942年1月部隊配備が完了、1942年5月10日のフランスへの飛行が初の実戦飛行であっ た。但し、前述のように高高度性能が低いため対戦闘機には用いられず、低空性能や長大な航続距離を生かした偵察機や対地攻撃機として使用された。

 

P-51として制式採用

 このマスタングに米陸軍も注目、P-51として採用した。このP-51はエンジンを換装したもので150機が製造された。この内、93機は英国に渡され、57機は米軍で偵察機等として使用している。戦闘機として開発されたP-51であったが、対地攻撃機としても採用されている。これはエンジンを1,325馬力のアリソンエンジンに換装、さらに12.7mm機銃6挺とダイブブレーキを装備、500ポンド(230kg)爆弾2発を搭載したものでA36アパッチと命名された。

 このA36アパッチからエアブレーキを外して再び戦闘機としたのがP-51Aである。エンジンはバージョンアップしていたものの相変わらず高空性能は低かったものの各戦線に配備した。1943年3月には欧州戦線に投入、さらに1943年11月にはビルマ戦線にも投入された他、英国にもマスタング兇箸靴50機が引き渡された。このP-51Aの総生産数は310機である。

 

ロールスロイス製エンジンを搭載したB、C型

02_P-51B
(画像はwikipediaより転載)

 

 このP-51に対して、ほぼ同径のエンジンであるロールスロイス製マーリンエンジンを搭載してはどうかという話が持ち上がった。P-51の高高度性能の低さはエンジンに起因するのでこのエンジンを英国製の高性能エンジンに換装しようというのだ。エンジンと同時にプロペラもそれまでのカーチス製の3翅プロペラからからハミルトン製の4翅プロペラに変更して試作機を作ってみると予想通りの高性能を発揮した。このためこのタイプはP-51B、P-51C命名され生産が開始された。

 このB型、C型というのはB型が古くてC型が新しいということではなく全くの同一機で、B型はカリフォルニア州イングルウッドの工場で製造された機体、C型はテキサス州ダラスの工場で製造された機体という製造工場の違いでしかない。総生産数はB型1,987機、C型1,750機である。

 このB、C型は1943年末頃から欧州戦線に登場、英国でもマスタングMk靴箸靴B型を308機、C型を636機購入して爆撃機の護衛等に活躍した。この機体は日本陸軍に鹵獲され日本に運ばれたのち各種の実験や訓練に使用されている。

 

傑作P-51D型

 1944年5月頃には今でも航空機ファンに一番人気のあるP-51D型が誕生した。この機体はエンジンをさらに強力なV1650-7(マーリン66)に換装した上で機銃を12.7mm6挺、キャノピーを水滴型風防に変更した型で最高速度は710km/h、スーパーチャージャーの性能が上がったため高高度性能も良くなった。D型の総生産数は8,200機で英国はマスタング犬箸靴282機を購入した。このD型は1944年11月以降に欧州戦線や太平洋戦線に登場、太平洋戦争後期にはB-29の護衛に活躍している。

 

H型、K型

 D型はP-51の中で最も完成度の高い機体となったがノースアメリカン社はこのD型の軽量化モデルを開発した。これはエンジンを水メタノール噴射式V1650-9(2,000馬力)に換装、高度6,919mで最高速度はなんと759km/hを記録。さらに垂直尾翼を高くして安定性を増したタイプで、日本侵攻作戦の際はD型に代わり使用される予定であった。総生産数は555機である。

 D型はP-51の中で最も大量生産された型であったため、プロペラの生産が追い付かないことを見越した米軍はエアロプロダクツ製アルミプロペラを採用してK型としたが振動による故障が相次ぎ生産中止となった。それでも総生産数は1,500機と多い。

 

日米の戦闘機との比較と評価

 P-51の初飛行は1940年10月26日、同じ1940年に初飛行をした戦闘機としては米海軍で採用されたF4Uコルセアが5月29日、日本陸軍の二式単座戦闘機鐘馗がP-51と同じ10月に初飛行をしている。P-51Dの最高速度が710km/hで航続距離が2,660kmであるのに対してF4U-1が最高速度671km/h、航続距離が3,573km/hで二式単戦鐘馗は最高速度が605km/hで航続距離が1,296kmとなっている。

 こう見てみると同年同月に初飛行をした二式単戦の性能がダントツで低い。しかしこれは高性能エンジンを開発することが出来なかった日本の問題であり仕方のないことだろう。エンジンというのは技術の蓄積が必要であり基礎工業力の低い当時の日本では致し方ない。

 これに対してF4Uは最高速度こそP-51に40km/hほど劣るが航続距離は上回っており互角の戦いと言える。武装もどちらも12.7mm機関砲6門と全く互角で万能戦闘機として有名なP-51であるが、実はF4Uも万能戦闘機であることが分かる。

 世界的に評価の高い機体ではあるが、対戦国であった日本においても鹵獲したP-51Cをテストした陸軍でもBf109や四式戦闘機と比べて総合的にP-51が優れていることが確認されているし、海軍の戦闘機パイロットであった坂井三郎氏も第二次世界大戦最高の戦闘機としてP-51を一番に挙げているなど日本においても評価の高い機体であった。

 

戦後のP-51

 P-51は第二次世界大戦後も運用され続けた。1947年に米空軍が誕生するとP-51は空軍の所属となり、1948年には命名規則の変更によりF-51に変更された。因みにPとは「Pursuit airplane」の頭文字でFは「Figter」の頭文字である。

 1950年に朝鮮戦争が勃発するとF-51も戦線に投入された。この時代になると第一世代のジェット戦闘機が主力になりつつあったため主に戦闘爆撃機、対地攻撃機としての運用であったが、軽量化されたF-51Hは軽量化が災いして対地攻撃機としては強度が足りなかったため主にD型が運用された。H型は高性能を期待されつつも実戦ではほとんど使用されずに州軍に引き渡され活躍することなく運用終了となった。

 これに対してD型は朝鮮戦争でも運用された他、1948年の第一次中東戦争でも実戦に投入された。英国では1947年に退役、米軍でも1957年に退役したがその他の国では運用され続けた。F-51最後の空戦は1969年にエルサルバドルとホンジュラスの間で勃発したサッカー戦争でエルサルバドル軍のF-51Dとホンジュラス軍のF4Uという同じ1940年に初飛行をした戦闘機同士が空中戦を実施、F4Uの勝利であった。もっとも最後まで使用していたのはドミニカ共和国で1984年に退役している。

 

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