
(画像はwikipediaより転載)
要約
F-86D セイバードッグはノースアメリカン社が開発した戦闘機である。F-86をベースにレーダーを装備したが火器管制システムが未熟であるためパイロットの負担は大きかった。初飛行は1949年12月22日で全長11m、自重6,132kg、最高速度1,115km/h、武装は70mmロケット弾を装備する。1974年にユーゴスラヴィア空軍での運用が終了したことで全機が退役した。総生産数2,847機。
F-86D セイバードッグ
性能
全長 11.27m
全幅 11.31m
全高 4.57m
自重 6,132kg
全備重量 8,245kg
最大離陸重量 9,060kg
最大速度 1,151km/h
上昇力 61.7m / 秒
上昇限度 15,163m
エンジン出力 推力2,463kg(GE製J47-GE-17Bエンジン)1基
推力3,405kg(アフターバーナー使用時)
推力重量比 0.41(全備重量アフターバーナー使用時)
航続距離 1,344km
乗員 1名
武装 Mk4 70mmFFARマイティマウス24連式空対空ロケット弾
爆装 -
アビオニクス AN/APG-36全天候型レーダー
初飛行 1949年12月22日
総生産数 2,847機
設計・開発 ノースアメリカン社
開発前史
1947年5月19日、ソビエト連邦は同国初の戦略爆撃機Tu-4の初飛行に成功した。さらに1949年8月29日には核実験に成功、戦略爆撃機と核爆弾により米国に対して核攻撃ができる能力を持った。それまでは米国というの大西洋と太平洋という大洋に守られており、陸続きのカナダは強力な同盟国でメキシコは軍事的には問題外という他国から神聖不可侵の状態であった。
そこに最悪の敵国ソ連が戦略爆撃機と共に核兵器を手に入れたのだ。その衝撃の強さは現在の我々からしても容易に想像できる。そこで米国は抑止のためにB-29やB-36等の戦略爆撃機で世界一周をしたりして「やられたらやり返すぞ。俺らヤベェからな!」と言わんばかりに威嚇した。
同時にTu-4が飛来した場合の迎撃機の開発も開始した。その迎撃機に求められる何よりも重要な要件は昼夜問わずどんな気象条件でも迎撃可能である全天候型戦闘機であることであった。天気が悪いので迎撃できませんでは済まないのだ。そこで候補に挙がったのがF-89スコーピオン、F-94スターファイア等であったが、これに対してノースアメリカン社は同社の傑作戦闘機であるF-86セイバーを全天候型戦闘機に改良して対応しようとした。
開発
設計は1949年3月28日から開始、戦闘機を視界不良時にも飛行可能にするにはレーダーを装備する必要がある。このため当初は戦闘機を操縦するパイロットとレーダーを操作するオペレーターが搭乗する複座機として計画されたものの、性能低下や燃料搭載量の現象等が問題となり断念された。
機体はF-86の改良型という形であったが、全天候型に必要なレーダーを機首に配置したためにエアインテークの形状を変更、エアインテーク上部にレーダードームを設置、内部にはAN/APG-36索敵レーダーが搭載された。
同時に機首に装備されていた12.7mm機銃6門は廃止、攻撃兵装としては機体下部にFFAR70mmロケット弾24発が装備された。このロケット弾は火器管制システムが距離や偏差を測定して合致すると24発が一斉に発射される仕組みであった。これは空対空ミサイルが未発達であった当時としては最も強力な対爆撃機兵装と考えられていた。
エンジンはGE製J47-GE-17ターボジェットエンジンで推力は2,463kg、敵機の侵入に対して速やかに迎撃できるように推力3,405kgを発揮するアフターバーナーも搭載されており、さらに自動で燃料の供給量の調整を行う機能が備えられている。
これらの装備により機体の性能は飛躍的に高くなったもののオペレーターが搭乗していないためパイロットの負担は膨大なものとなった。このためE-4火器管制システムが採用されたのだが、この火器管制システムも未だ発展段階にある装置で信頼性は低く故障も多かった。このためパイロットの負担は尋常ではなかったという。
これらの改良のため機体は大幅に設計を変更したためにF-86との部品の共通率も25%ほどとなりほぼ別の戦闘機といって良い機体となった。このため機体番号もF-86とは別の機体であることを示すYF-95Aが割り当てられた。
初飛行から制式採用へ
1949年9月に試作機がロールアウト、初飛行は1949年12月22日であったがこの時点では火器管制システムやロケット弾が搭載できない状態であったためこれら無しでの飛行となった。テストパイロットはF-86の初飛行と同じく太平洋戦線で16機を撃墜したエース、ジョージ・ウェルチであった。この後2年間にわたって試験飛行を行ったが、その間に火器管制システムやロケット弾も搭載して作動を確認した。
着陸距離が長いことが問題であったが、これはのちにドラッグシュートを採用することで解決した。1950年7月24日には政治的な理由から名称を新型戦闘機を意味するXF-95AからF-86の改良型であるとしてF-86Dに変更されている。
バリエーション
試作機のYF-95Aが2機、量産型のF-86Dが2,504機製造された。他にはD型のエンジンを換装したF-86G、70mmロケット弾を廃止して20mm機関砲を搭載してアビオニクスを変更したF-86K型が341機製造されている。
戦歴
F-86Dは1951年3月から米空軍に配備され以降、戦略爆撃機への抑止力として機能した。しかし実際に運用してみるとE-4火器管制システムの信頼性は低くエンジンの故障が頻発した。このため1956年にF-102デルタダガーが実戦配備されると運用停止が検討されるようになり、1957年9月には段階的に廃止していくことが決定した。そして1958年4月には米空軍から退役、州軍に引き渡された。この州軍での運用も1965年に終了している。
米空軍の迎撃機がF-102へと変更が完了すると余剰となったF-86Dは同盟国に輸出されるようになり、日本を始め世界各国で運用されたが1960年代には各国空軍からも退役した。最後まで運用していたのはユーゴスラヴィア空軍で1974年に退役している。総生産数は2,847機。
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