01_B-45
(画像はwikipediaより転載)

 

B-45 トーネード

 

 

性能

全長 23.14m
全幅 29.26m
全高 7.67m
自重 20,726kg
最大速度 917km/h(高度 - m)
上昇力  -
上昇限度 14,100m
エンジン出力 推力2,712kg(GE J47-GE-13 ターボジェットエンジン)4基
航続距離 2,213km
乗員 5名
武装 12.7mm機銃2挺
爆装 最大10,000kgまたは
   マーク5核爆弾1発
初飛行 1947年3月17日
総生産数 143機
設計・開発 ノースアメリカン社

 

開発

 1944年9月、ドイツ空軍の世界初のジェット爆撃機であるアラドAr234が実戦配備された。これに脅威を感じた米陸軍は ジェット爆撃機を開発することを決定、同年11月17日には各社に性能要求を提示した。要求された大きさは80,000〜200,000ポンドであるので軽爆撃機といったところである。この要求に対してノースアメリカン社はXB-45、コンベア社はXB-46、ボーイング社はXB-47、マーチン社はXB-48を提示した。因みにこの4機種は「1945年クラス(The class of 45)」と呼ばれている。

 1945年9月、第二次世界大戦は終結した。このため兵器への予算配分はかなり少なくなり多くの兵器が予備役に編入、各軍需メーカーへの注文もキャンセルされた。しかし爆撃機に関しては、戦後すぐに米ソの対立が表面化したこともあり高い優先順位が与えられたため開発は継続された。当然、最先端のジェットエンジンを装備した爆撃機の開発も継続されたが、前述4社の機体の内、XB-47、XB-48は完成までに2年以上かかるため米陸軍は早期の完成が見込まれるXB-45、XB-46の開発計画を優先させることとした。

 

完成

 しかしコンベア社のXB-46は試作機1機が完成したのみで開発中止、1947年1月2日にXB-45の生産契約が締結された。初飛行は1947年3月17日で機体は全長22.96m、全幅27.13m、空虚重量20,726kg(45,694ポンド)の中型爆撃機であった。エンジンはGE製J47-GE-13ターボジェット(推力2,712kg)4基、最高速度は917km/hで巡航速度が587km/h。航続距離は3,490km、上昇限度は14,000mというものであった。

 XB-45の試作機は3機あったが、このうち2機を事故で失っている。米国初のジェット爆撃機の開発は試行錯誤と危険の連続であった。このXB-45に射出座席と通信装置、E-4自動操縦装置、爆撃航法レーダーを装備したのがB-45Aで1948年4月に米空軍に納入された。1950年3月までに96機が納入されたもののジャイロコンパスの故障、エンジン火災や与圧室の故障など様々なトラブルに悩まされたものの第一線の爆撃機として活躍した。

 

バリエーション

 総生産数は143機と少ないものの数種類のバリエーションが存在する。B-45Aが最も生産数の多い量産型で総生産数は96機、前述の試作機に各種装備を搭載したタイプで続くB-45Bはは計画のみで生産はされていない。B-45Cは燃料タンクを増設した空中給油機タイプで1949年5月3日に初飛行している。生産されたのは10機のみである。RB-45Cは写真偵察機型で最大12台のカメラを搭載可能である。初飛行は1950年4月で総生産数は33機、一部が英空軍で運用された。

 

 

戦歴

 多くの事故や故障に悩まされた米空軍初のジェット爆撃機B-45であったが、朝鮮戦争が始まるとその評価は急上昇した。このB-45は爆撃でも写真偵察でも非常に有効であり、核爆弾も搭載できることからB-29スーパーフォートレスB-36ピースメーカーのような超大型爆撃機でなくても核抑止力としての価値を持つようになった。これら核搭載可能なB-45は1952年に英国に配備されソ連に対する抑止力として機能した。

 朝鮮戦争では写真偵察型のRB-45Cが実戦に投入、1950年12月4日にはMiG-15によって1機が撃墜されているもののそれまでのB-29の偵察機型であるRB-29に比べれば生存率は高かった。この写真偵察はソビエト連邦に対しても行われた。これは柔術作戦と呼ばれる作戦で当時の米国では米空軍機がソ連上空を飛行するのが禁止されていたため英国より出撃、1952年から1954年の間にソ連領内に侵入して写真偵察を行った。この写真偵察はのちにU-2偵察機によっても行われている。

 

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