
(画像はwikipediaより転載)
要約
A-2(AJ) サヴェージはノースアメリカン社が開発したレシプロジェット攻撃機である。全幅21.76m、自重12,319kg、最大5,400kgの爆弾または核弾頭1発を搭載できる。初飛行は1948年7月3日で最大速度758km/h、航続距離2,786kmで核弾頭を搭載することを目的に開発された艦上攻撃機である。1950年以降空母に配備、1960年に退役した。総生産数143機。
ノースアメリカン A-2(AJ) サヴェージ
性能
全長 19.22m
全幅 21.76m
全高 6.25m
自重 12,500kg
全備重量 21,319kg
最大離陸重量 23,112kg
最大速度 758km/h
上昇力 15m / 秒
上昇限度 12,400m
エンジン出力 2,400馬力(P&W R-2800-44Wエンジン)2基
推力2,088kg(アリソン J33-A-10ターボジェットエンジン)1基
推力重量比 0.87(J33ジェットエンジンのみ)
航続距離 2,786km
乗員 3名
武装 -
爆装 最大5,400kgまたは
Mark4核爆弾1発
アビオニクス -
初飛行 1948年7月3日
総生産数 143機
設計・開発 ノースアメリカン社
開発前史
第二次世界大戦後、核爆弾という究極の兵器を手に入れた米国であったが、この核爆弾を運用するのは主に空軍のB-29爆撃機によってであった。1947年9月に米空軍が独立すると核攻撃を行うという行為は米空軍が独占することになりかねなかった。
これに危機感を覚えた海軍は核攻撃可能な爆撃機を運用することで政治的な存在感を示そうとした。B-29が世界中どこでも核攻撃できることを示したように海軍も航空母艦から発艦する爆撃機によって空軍と同じ能力を持っていることを占めそうとしたのである。
しかし当時の核爆弾は大きかった。いかにA-1スカイレイダー攻撃機が爆弾搭載量が多くても核爆弾を搭載することはできない。このため海軍は対潜哨戒機として運用していた双発大型機であるロッキードP-2ネプチューンを改造して核爆弾搭載可能として空母に搭載した。
ではこの大型機が空母からどのように発着艦するのかであるが、まず発艦はロケットブースターJATOを装着して発艦、着艦は出来ないのでそのまま陸上基地に着陸するかもしくは海上に不時着することになる。もちろんこんなやり方は臨時に過ぎない。早急に核爆弾搭載可能で尚且つ空母で運用可能な爆撃機の開発が求められた。
開発
1945年8月13日、米海軍は次期艦上爆撃機として10,000ポンド(4,540kg)の爆弾搭載量を持つ爆撃機の開発を航空機メーカーに提示した。これに対してノースアメリカン社がこの案件を受注、さらに同年後半には核爆弾が搭載可能な爆撃機という条件が追加された。
試作機はXAJ-1と呼ばれ、全長は19.2m、全幅21.8mで空虚重量が12,500kgで主翼は直翼で上翼、艦載機らしく主翼は真ん中で上方に折り畳むことが可能であり、翼端には燃料タンクを増設することができる。垂直尾翼と水平翼は胴体よりやや上部に位置していた。
エンジンはアリソンJ33-A-1ターボジェットエンジンで推力は2,088kg1基が胴体下部に搭載されていた。特徴的なのはこのXAJ-1には別に2,400馬力P&W R-2800-44Wダブルワスプエンジンが左右主翼に各1基装備されているというジェットエンジンとレシプロエンジンの混合機であった。
XAJ-1は離発着と通常飛行時にはこのレシプロエンジンを使用するが目標付近で最高速度が必要な場合のみジェットエンジンが使用された。このため機首下部にあるエアインテークはレシプロエンジン使用時には閉じられていた。
機銃は装備しておらず、爆弾搭載量は5,400kgでもちろんMk4核爆弾が搭載可能である。燃料タンクは胴体内に1個、翼内に各1個、主翼端と爆弾倉に燃料タンクを増設することができる。
初飛行
初飛行は1948年7月3日で最高速度は758km/hと同時期のジェット機としては高速の部類に属する。前述のように通常の飛行はレシプロで行い緊急時にはジェットエンジンを使用して目標に侵入または敵機からの回避を行うことになっていた。そのために機銃は装備されていない。
飛行試験中に試作機3機の内2機が失われたものの量産化には問題はなく、量産機は1949年5月に初飛行に成功している。試作機とはコックピット内の搭乗員の配置が変更されている。1949年9月には早速実戦部隊に配備されている。
実戦部隊に配備されたAJ-1はおおむね不評であった。理由は何よりも大きすぎることであった。あまりに大きすぎて重すぎるため当初は運用できる空母がミッドウェイ級しかなかった。その後改修を受けたエセックス級空母でも運用が可能になっている。 1962年に名称をA-2に変更された。
バリエーション
試作機XAJ-1が3機。AJ-1(A-2A)は最初の量産型でエンジンを2,400馬力P&W R-2800-44Wエンジン2基とJ33-A-10ターボジェットエンジンを搭載した機体で55機が製造された。AJ-2(A-2B)は1953年2月19日に初飛行した改良型でレシプロエンジンのみを2,500馬力P&W R-2800-48エンジンに換装、燃料搭載量が増加している。外観は尾翼が高くなり胴体が若干長くなった。これも55機が製造されている。その他写真偵察用のAJ-2Pが30機製造されている。1954年には試作機XAJ-1が空中給油機に改造されている。
戦歴
最初に配備されたのはミッドウェイ級空母3番艦コーラル・シーで1949年9月に配備、1950年4月21日に初の離艦、8月31日に初の着艦が行われた。その後順次空母に配属されていったものの、実は核兵器は1953年までは空母に搭載されていなかった。核攻撃用として計画されたA-2であったが、後半はその燃料搭載量を生かした空中給油機や写真偵察機AJ-2Pの活躍が主になっていった。
1959年以降A-3Dスカイウォリアーが実戦配備されるようになるとA-2は退役していった。最後の機体は写真偵察用のAJ-2Pで1960年に退役している。1960年から3機が米国航空宇宙局(NASA)に貸与されているが事故により2機が墜落、最後の1機は1968〜1969年の間に廃棄されている。現存機は1機でフロリダ州の博物館に展示されている。
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