01_B-25
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 B-25ミッチェルはジョン・リーランド・アトウッドが設計してノースアメリカン社が生産した爆撃機である。全幅20.6m、自重8,859kg。初飛行は1940年8月19日で最高速度は472km/h、航続距離は2,437kmであった。機体は頑丈であり兵器搭載量も多く整備は容易、短距離離着陸能力もあり運動性能も優れているという優秀機であった。機首に75mm砲を搭載したガンシップ型もあり約10,000機が製造された。ドーリットル隊の日本爆撃に使用された機体としても有名である。

 

B-25

 

 

性能(B-25J)

全幅 20.60m
全長 16.31m
全高 4.97m
自重 8,859kg
最大速度 472km/h(高度4,572m)
上昇力 9.6 m / 秒
上昇限度 7,376m
エンジン出力 1,700馬力(ライト R-2600-13/-29 エンジン)2基
航続距離 2,437km
乗員 6名
武装 12.7mm機関砲12門(弾数計4,600発)
爆装 最大搭載量4,000ポンド(1,814kg)
初飛行 1940年8月19日
総生産数 9,816機
設計・開発 ジョン・リーランド・アトウッド / ノースアメリカン社

 

かなり優秀機であったB-25

 B-25ミッチェルは米陸軍が1941年に制式採用した中型爆撃機である。米陸軍は1939年3月11日に中型爆撃機の仕様書を発行した。それは最高速度400〜500km/h、爆弾搭載量900kg、航続距離4,800kmというもので、これに対してノースアメリカン社は、これ以前の1938年に出された米陸軍の中型爆撃機性能要求によって試作されたNA-40を基に、改良を加えたNA-62の設計を提出、マーチン社の提出した設計と共にどちらも試作機を製作することなしにそれぞれB-25、B-26として制式採用、量産機が製造された。

 完成したB-25は全長16.1m、全幅20.6m、自重8,840kg、中翼で初期の9機以外は正面から見るとカモメの羽のように胴体から上方に反った羽がエンジン部から水平になっていくというガル翼を採用してていた。エンジンは1,700馬力ライト社製R-2600-9エンジン2基を採用、初飛行は1940年8月9日であった。

 特徴はとにかく頑丈であったこと、さらに兵器搭載量が多く整備が容易、短距離離着陸性能も高く、運動性能も優れていた。実はB-25、かなりの優秀機であった。この特性を生かしてG型では武装を強化、何と機首に75mm砲を装備、さらに12.7mm機銃2挺を装備した。H型では武装をさらに強化、75mm砲に加え、12.7mm機銃を機首に4挺、機首側面に左右2挺の合計8挺の12.7mm機銃が搭載、最多生産数を誇るJ型では機首の75mm砲を廃止、代わりに機首に12.7mm機関砲8門、機首側面に12.7mm機関砲4門を装備した。要するにガンシップである。

 

バリエーション

 B-25は24機製造されたところでセルフシーリングタンク、防弾版等を強化したB-25A型に移行、40機が製造されたところで武装強化型のB-25Bに変更、これは119機が製造された。1941年12月にはエンジンをR-2600-13に変更(C型以降)、燃料搭載量を増加させたB-25C/D型(製造工場によってC型、D型に分けられる)が登場した。C型が1,625機、D型が2,290機が製造されている。

 B-25Eは試作機で次に改良されたB-25Gは機首に75mm砲、12.7mm機関砲2門を装備するガンシップ型で405機が製造された。このG型の武装をさらに強化したのがH型で機首に75mm砲1門、12.7mm機関砲14門と強化されている。これは1,000機が製造された。

 最も多く生産されたのがJ型で総生産数は4,318機、75mm砲を廃止、代わりに機首に12.7mm機関砲8門、機首側面に同機関砲4門を装備した。全シリーズの総生産数は9,816機である。

 

戦歴

 B-25は主に太平洋戦域で使用されている。初陣は1941年12月24日に米西海岸沖で日本海軍の潜水艦攻撃でその後、1942年4月18日には空母ホーネットから発進したB-25B型16機により日本本土空襲を行っている。この空襲に使用された機体は特別に燃料搭載量を増加させる改造を施していた。

 決死の攻撃であったが1機も撃墜されることなく爆撃を敢行、入渠中の空母龍鳳や民間人への攻撃も行っている。これに対して日本側は陸軍の九七式戦闘機、試験中の三式戦闘機等が迎撃したものの致命傷を与えることはできなかった。海軍も零式艦上戦闘機3機がB-25を捕捉したものの味方機と誤認攻撃を行っていない。

 この3機の零戦に搭乗していたのは片翼帰還で有名な樫村寛一少尉や宮崎勇少尉で宮崎少尉曰く「B-25は絶対に撃墜できる航空機」だそうである。

 その後も終戦まで太平洋戦域全域で運用され、前述のようにガンシップ型も開発、地上部隊や海上部隊の脅威となった。B-25は陸軍航空隊のみならず海軍や海兵隊でもPBJ-1H(-1J)として運用された。さらに米軍以外でも英空軍、カナダ空軍、オーストラリア空軍、オランダ空軍、ソビエト空軍、フランス空軍、ブラジル空軍、さらには中華民国、中国人民解放軍(中華民国から鹵獲した)でも運用された。最後まで運用したのはインドネシアで1979年に退役した。

 

 

日本機との比較

 B-25(1939年8月19日初飛行)とほぼ同時期に初飛行したのが陸軍の百式重爆呑龍(1939年8月初飛行)、海軍の一式陸上攻撃機(1939年10月23日)である。大きさでいえば呑龍はB-25とほぼ同じ、一式陸攻は一回りほど大きい。しかし自重はB-25が8,859kgであるのに対して一式陸攻は10%ほど軽い8,050kg、呑龍は6,540kgと30%ほど軽い。

 エンジンはB-25が1,700馬力なのに対して呑龍が1,520馬力、一式陸攻が1,850馬力、最高速度はB-25J型が472km/hなのに対して呑龍が492km/h、一式陸攻22型が437km/hである。航続距離はB-25の2,437kmに対して呑龍が過荷重状態で3,000km、一式陸攻が6,060kmとなっている。

 呑龍はB-25に対してエンジン馬力も弱いが機体も軽量であるため速度、航続距離も優っている。これに対して一式陸攻は大型でエンジンの馬力は1,850馬力と最大であるが機体重量はB-25よりも軽い。こうなると速度は早くなりそうなものだが最高速度はB-25に及ばず、代わりに航続距離は一式陸攻が圧倒している。

 武装はB-25J型で最大18門の12.7mm機関砲があるのに対して呑龍は20mm機関砲が1門、7.92mm機銃5挺と貧弱、一式陸攻も20mm機関砲2門、7.7mm機銃3挺である。防弾装備に関してはB-25の圧勝で間違いないだろう。その他、数値に現れない性能である耐久性や稼働率等もあるがこれも恐らくB-25に軍配が上がるだろう。

 

米国の航空機用エンジン

 B-25で採用されたのはR-2600エンジンである。このエンジンはライト社が開発したエンジンで14気筒、1,700馬力を発揮する。前述の通り、当初はR-2600-9を採用していたがC型以降はR-2600-13に変更されている。

 と言われても意味不明な読者も多いと思うのでここで米国の航空機エンジンについて簡単に説明してみたい。米国の航空機エンジンメーカーとしてはカーチス・ライト社、プラット&ホイットニー社、アリソン社等があり、それぞれB-17で採用されたR-1820エンジン、F4Fで採用されたR-1830エンジン、P-38P-39で採用されたV-1710エンジンがある。

 同じような名称なのにR-1820はライト社製、R-1830はP&W製と混乱してしまう。これはどうしてかというと、このエンジン名はメーカーの呼称ではなく米軍の呼称だからだ。名称の先頭のアルファベットはエンジンの型を表し、後の数字はエンジンの排気量を表している。R-2600エンジンを例にとると「R」はRadical engineのことで星型エンジンのこと。「V」はV型エンジンのことだ。V型エンジンは液冷エンジンである。

 「1820」やら「1830」は排気量で単位は立方インチだ。つまりR-1820は星型エンジンで排気量が1,820立方インチ(約30L)のエンジンということになる。V-1710も同様でV型エンジンで排気量が1,710立方インチということになる。

 星型エンジンの製造元は主にライト社とP&W社でライト社はサイクロンエンジンとも呼ばれ、R-1820(B-17等)、R-2600(B-25等)、R-3350(B-29等)で高出力化していく。同様にP&W社のエンジンはワスプエンジンと呼ばれ、R-1830(F4F等)、R-2800(F6F等)、R-4360(B-36等)と高出力化していく。これらのエンジンについてはまた登場するごとに説明していきたい。

 最後に重要なことを書き忘れたので書いておくが、これらの知識は社会人として生活する上では何の役にも立たないということだけは覚えておいて欲しい。

 

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