01_九七式艦攻
(画像は九七式艦攻 wikipediaより転載)

 

要約

 九七式艦上攻撃機とは1937に制式採用された日本海軍の艦上攻撃機である。ひとくちに九七式艦攻といっても中島製と三菱製の二種類が存在する。それぞれ一号、三号(中島)、二号(三菱)と呼ばれている。中島製は1937年1月8日初飛行、三菱製は1936年11月21日に初飛行をしている。どちらも高性能であったが、中島製は特に性能が高く、栄エンジンを搭載した3号は、太平洋戦争開戦後も海軍の主力攻撃機として活躍した。しかし防弾装備が未熟であったため多くの犠牲を出すこととなる。合計で1,250機生産された。三菱製は固定脚で約150機ほど生産されている。

 

九七式艦上攻撃機

 

 

性能(3号)

全幅 15.518m
全長 10.3m
全高 3.7m
自重 2,200kg
最大速度 377.8km/h(高度3,600m)
上昇力 3,000mまで7分40秒
上昇限度 7,640m
エンジン出力 970馬力(栄11型エンジン)1基
航続距離 1,021km(正規状態)
乗員 3名
武装 7.7mm旋回機銃1挺
爆装 800kg爆弾(または魚雷)1発または
   250kg爆弾2発または
   60kg爆弾6発
初飛行 1937年1月18日
総生産数 1,400機(1号、3号計1,250機 三菱製2号 150機)
設計・開発 中村勝治 / 中島飛行機

 

開発

02_九七式2号艦攻
(画像は三菱製2号 wikipediaより転載)

 

 1935年秋、海軍は、中島飛行機、三菱重工の2社に対して十試艦上攻撃機の名称で新型艦上攻撃機の開発指示を出した。これを受けた中島飛行機では中村勝治技師を設計主務者として開発を開始した。全金属製単葉機で密閉式風防、折りたたみ翼にフラップ、可変ピッチプロペラやセミインテグラル・タンク、日本の実用機としては初である油圧機構の引込脚を装備した画期的な機体であった。

 可変ピッチプロペラとは速度によってプロペラの角度を変える機能のことで、高速になるにつれてプロペラの角度は水平に近くなっていきプロペラを効率的に回転させる機能で、日本海軍機としては初の採用であった。セミインテグラル・タンクはタンクの外壁の一部が機体の外装となっているタンクでこれにより燃料の容量を多く確保することが出来る。エンジンは最新の栄エンジンを搭載したかったが未だ開発中だったため光3型エンジン(710馬力)が採用された。のちに零戦と同じ栄エンジンに変更される。

 1936年12月31日、試作1号機が完成、1937年1月18日初飛行に成功した。三菱製は1936年10月末に試作1号機が完成、11月21日に初飛行に成功した。両機とも海軍に領収され、性能試験が行われた。性能要求では最大速度は333km/h以上であったが、中島製は368km/h、三菱製は固定脚であったため若干遅かったがそれもで353km/hと両機とも基準を満たしていた。速度以外の性能も両機とも大幅に上回っており、1937年11月26日、中島製を九七式1号艦上攻撃機(後に11型と改称)、三菱製を九七式2号艦上攻撃機(後に61型と改称)としてどちらも制式採用された。

 1938年4月より量産が開始、秋には栄エンジン(1,000馬力)を搭載した試作機が完成、1939年12月、九七式3号艦上攻撃機(後に12型と改称)として制式採用された。

 

 

生産数

 1号艦攻、3号艦攻は中島で練習機30機を含む669機製造された他、愛知航空機、広工廠でも約580機製造された。中島製九七式艦攻の合計は約1,250機、三菱製2号艦攻は約150機で合計1,400機が生産された。

 

まとめ

 

 完成当時は速度、航続距離等、海軍の性能要求を上回っており、世界的に見ても最高水準の艦上攻撃機であった。技術的には全金属製単葉、引込脚、可変ピッチプロペラ等、かなり先進的なものであったが、太平洋戦争開戦後はその防弾性能の低さから多くの機体と搭乗員を失うこととなる。

 

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