01_North_American_XP-82_Twin_Mustang
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 P-82ツインマスタングはエドガー・シュミュードが設計、ノースアメリカン社が開発した長距離掩護用戦闘機で全幅15.62m、自重7,262kg、最大速度742km/h、航続距離3,600km、12.7mm機銃6挺、450kg爆弾4発が搭載できる。初飛行は1945年6月15日でP-51マスタングの機体を横に連結した特徴のある外観をしている。双胴でそれぞれの胴体にパイロットが乗り込み操縦する。このため交代で操縦でき長時間の飛行が可能となった。機体も速度、航続距離共に良好な高性能機であった。

 第二次世界大戦には間に合わなかったが朝鮮戦争初期には活躍、P-61ブラックウィドウに代わり夜間戦闘機としても活躍した。高性能な機体であったが1950年代に入ると徐々にジェット機へと置き換えられていった。

 

P-82 ツインマスタング

 

 

性能(P-82G)

全幅 15.62m
全長 12.93m
全高 4.22m
自重 7,262kg
全備重量 9,450kg
最大離陸重量 11,608kg
最大速度 742km/h(高度6,400m)
上昇力 1,149 / 分
上昇限度 11,860m
エンジン出力 1,600馬力(アリソンV-1710-143/145)2基
航続距離 3,600km(増槽装備時)
乗員 2名
武装 12.7mm機銃6挺
爆装 450kg爆弾4発
初飛行 1945年6月15日
総生産数 273機
設計・開発 エドガー・シュミュード / ノースアメリカン社

 

開発前史

 爆撃機が発達して航続距離が長くなると爆撃機を援護する戦闘機の必要性が高まってきた。これは世界各国同様で日本でも長距離戦闘機として陸軍の二式複座戦闘機屠龍や海軍の月光等が開発されていた。特に米国は超重爆撃機B-29の開発が行われており、その長大な航続距離に随伴できる戦闘機の開発というのは急務となった。そこで1943年10月、ノースアメリカン社の設計チームは長距離掩護戦闘機の開発を開始する。

 

開発

 ノースアメリカン社設計チームが考えた長距離戦闘機とはP-51マスタングを二機横に連結するという斬新な発想の戦闘機であった。ベースとしたのはP-51H型であるが、改造というレベルではなく完全な新規の設計の戦闘機であった。2機のマスタングを連結してその間に中央翼を設置、水平尾翼は双胴の内側で連結しており外側には水平尾翼はない。

 コックピットは2ヵ所あり、双胴の先端にはどちらにもプロペラが装備されている。このプロペラは左右反転してお互いのトルクを打ち消すように設計されており、2ヵ所のコックピットはどちらからでも機体の操縦が可能である。しかし単発単胴の戦闘機とは性能が異なるため胴体は一見同じであるが、形状や長さが変更されている。

 機銃は12.7mm機銃6挺であるが、通常の単発戦闘機が翼の左右に内蔵されているのに対して中央翼内に集中して設置されているため集中射撃が可能である。エンジンはアリソンV-1650-25エンジンで左右を反転させており、上方向に回転するように設計されていた。

 

性能

1945年4月15日、試作機XP-82は初飛行に成功した。筈であったが、何とXP-82は離陸できなかった。これはプロペラの回転方向が原因で回転方向が上方向だったため想定外の力が中央翼に加わり機体を陸地に押し付ける力が働いたためであった。このためエンジンを左右入れ替え下方向に反転するように変更した結果、揚力の問題は完全に解決した。5月25日には改修が完了、6月26日に初飛行に成功した。

 初飛行の結果は予想を超えるものであった。量産型のP-82Bでは最高速度が771km/h、航続距離は3,600kmであった。この時点で米陸軍から量産型500機の大量注文を受けており、早速量産が開始されたがその数ヶ月後に第二次世界大戦は終結してしまった。のちの1947年に行われた長距離飛行試験では大型燃料タンクを装着した機体がホノルル〜ニューヨーク間8,870kmを14時間33分、巡航速度は611km/hで飛行している。

 

 

生産

 試作機XP-82は1945年5月25日に完成、6月26日に初飛行に成功した。この一見トンデモ兵器のような外観をしたツインマスタングであるが性能は驚異的であり、最高速度は742km/h、航続距離は3,605kmに達した。しかし同年8月に日本が降伏したため第二次世界大戦で使用されることはなかった。

 米陸軍もツインマスタングの性能に注目、当初は量産型であるP-82B 500機の生産を発注していたものの戦争終結により480機を削減されわずか20機の注文となった。その後時代はジェット戦闘機の時代に移行していくが、1946年にB-29を上回る超巨大爆撃機B-36が完成するとその長大な航続距離にジェット戦闘機では援護が不可能であるため米陸軍はP-82E型100機、全天候型P-82F100機を再び発注している。

 バリエーションは量産型のP-82B、このB型を夜間戦闘機仕様に改造したC型、同様に夜間戦闘機仕様であるが異なるレーダーを装備したD型、護衛戦闘機型のE型、夜間戦闘機型のF/G型(これも搭載しているレーダーの種類が異なる)、寒冷地仕様のH型がある。生産数は試作機XP-82が2機、XP-82Aが1機、量産型のP-82Bが20機、Eが100機、Fが100機、Gが50機の合計273機である。尚、1948年に陸軍航空隊が米空軍として独立したことにより戦闘機を表す記号が「P」から「F」に変更されている。このためE型以降はF82となっている。

 

戦歴

 実戦配備される前に終戦となってしまったため第二次世界大戦では運用されることがなかったP-82であったが、長距離掩護戦闘機の必要性が高まったため運用されることとなった。実戦配備されたP-82は米国内の基地に配備され防空警戒任務に就いた。同時にそれまでP-61ブラックウィドウを運用していた部隊はP61からP-82へと更新されていった。

 1950年に朝鮮戦争が始まるとP-82も実戦に投入された。P-82は、この時点で182機が運用されていたが、スペアパーツが少なく共食い整備によって何とか運用し続けていた。戦争初期には空対空戦闘も行っており、朝鮮戦争初撃墜はP-82によって行われている。戦争中盤以降は徐々にF-94スターファイアなどのジェット戦闘機が空対空戦の主力となったためP-82は対地攻撃等で運用されることとなった。

 最後に実戦で使用されたのは1951年で最後の機体が退役したのは1953年11月12日である。

 

⇒航空機一覧へ戻る

 

amazonでP-82 ツインマスタングを探す

楽天でP-82 ツインマスタングを探す

 




 

↓良かったらクリックして下さい。


ミリタリーランキング