
(零戦52型 画像はwikipediaより転載)
要約
零戦54/64型は1945年に初飛行した零式艦上戦闘機最後の改良型である。エンジンを栄から金星に換装、最高速度は590km/h、20mm機関砲2門、13mm機関砲2門を装備する。試作機が2機製造されたが量産前に終戦となった。
最強の零戦54型丙
性能
全幅 11.00m
全長 9.24m
全高 3.57m
自重 2,150kg
最大速度 590km/h(高度6,000m)
上昇力 6,000mまで6分50秒
上昇限度 11,200m
エンジン出力 1,560馬力(金星62型エンジン)
航続距離 全速30分+1,200km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 20mm機関砲2門(携行弾数各125発)、13mm機関砲2門(携行弾数各240発)
爆装 500kg爆弾1発または
30kg小型ロケット弾4発
初飛行 1945年4月28日
総生産数 2機
設計・開発 三菱重工業
栄エンジンの限界
1940年に11型が制式採用されて以来、21型、32型、22型、52型、53型、62型、63型とアホみたいにバリエーション展開をしてきた零戦。すでに二番煎じというレベルではなく、柳の下のどじょうも3〜4匹は居たもののさすがに53型、62型くらいになるとかつての駿馬零戦もポンコツ感が増してきた。この最大の理由はエンジンで、零戦開発当時は小型で高出力であった栄エンジンも戦争後期の重武装、重装甲型にシフトしつつある戦闘機を引っ張るには力不足であった。特にこの問題が顕著だったのが62型で、急降下爆撃機型に各部が強化された零戦を飛ばすには非力に過ぎ、最高速度が52型に比べて20km/h以上低下するという事態になってしまった。こうなるともう栄エンジンの性能が限界であることは誰の目にも明らかであった。
そもそも金星が好きなの!

(栄21型 画像はwikipediaより転載)
実は零戦のエンジンは当初から栄エンジン一択であった訳ではない。零戦の試作時点で候補に挙がっていたエンジンは、三菱製の瑞星13型と金星46型の二つで、栄エンジンは計画段階では完成していなかった。そして、この二つのエンジンはそれぞれ特徴があり、瑞星は小型であるが非力、金星は大馬力であるが大型であった。設計主務者の堀越技師としては将来性を考えて出力の大きい金星46型を選びたかったが、戦闘機といえば小型の九六式艦上戦闘機サイズが当然と思っている搭乗員と海軍。九六戦に比べるとバカでかい零戦に、さらにデカいエンジンを積んでしまっては海軍に採用されないかもしれない。そう考えた末に堀越技師は妥協することにしたようだ。結局、金星は諦めて小型で非力な780馬力瑞星13型を採用、さらに量産機では新しく完成した栄12型エンジンに変更されたという経緯があった(堀越P99)。つまり設計主務者の堀越技師は当初から金星エンジンを搭載したかったのだ。
1944年11月、海軍は零戦の次期改良型に金星エンジンの使用を許可した。これは栄の性能低下という理由も少しはあったのかもしれないが、最大の理由はエンジンの生産関係の問題であったようだ。この時期、栄エンジン生産工場を中島飛行機から石川島へ変更したことにより栄の生産低下が予想されたこと、さらに金星エンジンを使用している九九式艦上爆撃機、零式水上偵察機の生産中止によるものであった(古峰P,146)。理想のエンジンが使用したいと言ってもエンジンの生産には限界がある。上記2機種の生産を中止することで「枠」を作ったということだ。ともかくようやく零戦も新型エンジンを搭載することができるようになったのだった。
最強の零戦完成じゃー!

(零戦52型丙 画像はwikipediaより転載)
この金星エンジン採用の要望はマリアナ沖海戦の直後1944年7月に52型丙の開発命令が出た時にも行われた。この時期になるともうすでに栄21型エンジンは性能の限界に達しており、さらに重武装、重装甲を要求された零戦52型丙を栄21型は余裕を持って飛ばすだけの力はなくなっていた。そこで三菱側は零戦のエンジンを栄から金星へと変更を要望した。しかし海軍は、エンジンの換装ともなると大幅に時間がかかるためという理由で却下したのだ。
その却下から僅か4ヶ月後の1944年11月。海軍によりエンジンの換装も可能にした零戦の改造試作の指示が出された。この結果、三菱設計陣はエンジンを三菱製ハイパワーな金星62型に換装。さらに軽量化のため胴体内13mm機銃の廃止、胴体内燃料タンク以外は防弾版を廃止して自動消火装置に変更する等重量軽減が図られた。エンジンの変更に合わせてカウリングを再設計、プロペラも3翅3.15mのハミルトン定速プロペラに変更された。燃料タンクは胴体内140L1個、翼内215L、外翼内40Lが左右2個で合計650Lに150L増槽を左右翼下に設置可能であった。この燃料搭載量は21型520L、32型480L、22型580L、52型570L、52型、62型の500Lと比べて圧倒的に多く、全零戦中最高である。
武装は、九九式2号20mm機銃4型2挺(携行弾数各125発)、三式13mm機銃2挺(携行弾数各240発)、性格の違う2種類の機銃を装備するという非合理さは改善されなかったものの、少なくとも52型丙よりは1挺減らして軽量化。爆弾は60kgまでは左右翼下に各1発、500kg、250kg爆弾は胴体下に搭載できるようになっている。これらの変更に伴い重量は軽量化を意識したにもかかわらず零戦中最高重量である3,155kgとなった。
では最高速度はどうなのかというと様々な資料があって特定するのは難しい。この内、海軍資料では572km/h、三菱資料では563km/hとなっているが、『昭和二十年七月四日現在海軍現用機性能要目集』によると最高速度は590km/hとなっており、これが最も信憑性が高い数値と考えられる(古峰P,149)。そして上昇速度は三菱資料では6分58秒、『要目集』によると上昇速度は6,000mまで6分50秒、上昇限度は海軍資料で11,200m(『要目集』ではない)、三菱資料で10,780m、航続距離は全速30分プラス巡航2.5時間となっている。
最初から堀越技師の言う通りにしていれば

(零戦52型甲 画像はwikipediaより転載)
最高速度では海軍資料でいえば零戦中最高速、三菱側の資料を基にしてもそれまで最速であった52型と同等であり、上昇力に関しては間違いなく全零戦中最高である。制式採用後には64型と呼ばれる予定であったこの最強の零戦54型丙は、1945年4月下旬に試作1号機が完成、その後2号機も完成したがこの2機のみで終戦となり量産されることはなかった。
この金星エンジンを搭載した零戦は堀越技師が最も作りたかった零戦の改良型であったという(堀越P356)。仮に海軍が堀越技師に全てを任せ最初から通して十二試艦戦のエンジンを金星46型にして、以降、金星のバージョンアップ毎に機体を改良していけば、54型丙はもっと早くに量産実戦投入が可能であった。
こうなると堀越技師の意見に従っていればよかったと考えがちだが、航空機の量産にはエンジンやその他の生産という問題がある。設計者が機体にとって理想的なエンジンを装着したいと考えたとしても多機種との兼ね合いもある。前述のように五四型も2機種の生産中止によって金星エンジンを確保することが可能であった。零戦完成当時に金星エンジンを大量生産することが可能であったのかなどの可能性を考慮した上でなければ何とも言えない。
参考文献
- 秋本実『大いなる零戦の栄光と苦闘 日本軍用機航空戦全史 5巻』 グリーンアロー出版社 1995年
- 古峰文三「最強最後のタイプ”五四型”の全貌」『丸』2024年10月号
- 堀越二郎「零戦の諸問題への回答」『伝承零戦』1巻 光人社 1996年
- 堀越二郎「零戦主任設計者の回想(二)」『零戦よもやま物語』 光人社 1995年
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