
(画像はwikipediaより転載)
要約
キ83は久保富夫が設計、三菱重工が開発した双発複座戦闘機である。全幅15.5m、航続距離3,500km、30mm機関砲2門、20mm機関砲2門を装備する。初飛行は1944年11月で最高速度は686km/hと高速であった。構造は極めてユニークで一見双発単座戦闘機のように見えるが後席が胴体内にある機体で高空性能、速度ともにずば抜けており、特に速度は米軍が戦後に行った試験では762km/hを発揮した。これは日本機の最速記録であった。試作機4機が完成したが3機は事故と空襲で消失、終戦時には1機のみが残存した。
試作遠距離戦闘機 キ-83
性能
全幅 15.50m
全長 12.50m
全高 4.60m
全備重量 9,430kg
最大速度 686km/h(高度8,000m)
上昇力 10,000mまで10分30秒
上昇限度 12,660m
エンジン出力 1,930馬力(ハ211ルエンジン)2基
航続距離 3,500km(増槽装備時)
乗員 2名
武装 30mm機関砲(ホ5)2門
20mm機関砲(ホ203)2門
爆装 50kg爆弾2発または250kg爆弾2発
初飛行 1944年11月
総生産数 4機
設計開発 久保富夫 / 三菱
背景から開発まで
日中戦争において戦闘機による掩護を受けられなかった日本軍の爆撃機はしばしば甚大な損害を受けた。これを受けて爆撃機に随伴できる長距離戦闘機の開発が指向されたのと同時に当時活躍していた戦略偵察機である百式司令部偵察機の後継機の必要性もあり、陸軍は百式司偵を開発した三菱1社に対して特命で試作命令が発せられた。
開発
1941年5月23日、三菱に対して爆撃機掩護用の長距離戦闘機の開発が指示された。この指示の設計基礎要求は、行動半径1,500kmプラス2時間の余裕、最高速度は680km/h以上、将来の目標として720km/h以上という苛烈さで、さらには燃料タンクの防弾、搭乗員保護用の防弾版の設置等、非常に厳しい要求であった。これに対して三菱は設計主務者を久保富夫技師として作業を進め1942年4月に実物大模型を完成させたが、現場サイドから戦闘機は小型であるべきであるという強硬な意見が出されたため作業は混乱した。
以降、陸軍と三菱の間で仕様の決定に手間取り、最終的に仕様が決定したのは1943年7月であった。決定した仕様は、双発複座戦闘機であること、最大速度800km/h以上(高度10,000m)、実用上昇限度13,000m、武装は前方に30mm機関砲3門、20mm機関砲2または4門、そしてエンジンはハ211を使用するというもので、行動半径こそ1,046kmプラス2時間と緩和されたが、それ以外の要求はさらに過酷になっていた。
これを受けて三菱側は設計を進め、1944年10月には試作1号機が完成した。発動機は海軍の試作艦上戦闘機烈風にも搭載された三菱製ハ211ルである。これは同社製14気筒金星エンジンを18気筒化した上に排気タービン過給器を装着したものであった。これにより高度9,500mでも1,720馬力を発揮することが可能であった。
機体は百式司偵を彷彿とさせる流線形の非常に美しいフォルムで、風防は操縦席のみ涙滴型風防を装備、後席は胴体内に収められている。後席の視界は上面、左右面に窓により確保されている。操縦席と後席の間には巨大な燃料タンクがあり、連絡は通話装置を使用して行われる予定であった。防弾装置としては操縦席後方には厚さ12mmの防弾鋼板を装備、往路で使用する翼内燃料タンクには防弾装置は設けられなかったものの、胴体内燃料タンクは16〜30mmの防弾ゴムで覆われていた。
武装は30mm機関砲(ホ155)が機首上段に2門(弾数各80または100発)、20mm機関砲(ホ5)が機首下段に2門(弾数各160または200発)が装備された。全体的にコンパクトに収められた機体であったが、自重は重く、翼面荷重は262.5km/立方メートルと一式戦闘機隼の2.6倍にも達していた。
1944年11月より飛行試験に入ったが、性能は全体的に良好であり、速度は高度8,000mで686.2km/hを発揮した。この結果を受けて翌年1月に試作2号機、3月に3号機、4月に4号機が完成した。1、2号機には排気タービンと中間冷却器が装備されたが3、4号機はタービン関係以外の試験を促進するため単排気管となった。
しかし同年3月、2号機のテスト飛行中に風防が飛散、これが操縦者に当たり搭乗員は殉職、機体は墜落大破した。さらに3、4号機は6月25日の各務原への空襲で大破消失、1号機のみ当時大本営が建造中であった長野県松本市へ移動し、引き続き試験が行われていたが終戦となった。戦後、再整備の後に米軍の手に引き渡され、米軍のテストパイロットヘンリー中尉の手でテストが行われた。この際に高度7,000mで最高速度762km/hと日本戦闘機最速を記録している。
司偵型(計画のみ)
当初はキ83乙、その後キ95と称された機体で司令部偵察機用に武装を撤去し機首に偵察席を設置する予定であったが、後に計画が変更され20mm機関砲を装備することとなった。これとは別に襲撃機型のキ103も計画されていた。
生産数
合計で4機の試作機が完成した。2号機は試験飛行中の事故で墜落、3、4号機は空襲で大破。終戦時には1号機のみが残存していた。
まとめ
キ83は最高速度762km/hという高速に加え、排気タービンによる高い高空性能と長大な航続距離を持った戦闘機で仮に量産されていたとすれば百式司偵に続く司令部偵察機や本土防空戦においてB-29迎撃機として活躍したことが想像される。大戦末期に三菱が作り出した究極の戦闘機であった。
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コメント
コメント一覧 (1)
(キ45て護衛戦闘機『万能戦闘機』じゃなかったか?)
軍のグダグダ要求が現場を混乱させ、結果として出来上がりが遅れるのは陸海軍変わらないな。
早い時期にキ-83が量産化してれば、ハ43エンジンも量産化されるから烈風の開発速度も上がったかも。
にしても高オクタン価ガソリン製造できなかったのは残念過ぎるな。
とりねこ
が
しました