01_XF-85 Goblin
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 XF-85ゴブリンはハーマン・D・バーキーが設計、マクドネル社が生産した戦闘機である。初飛行は1948年8月23日で最高速度1,050km/h、12.7mm機関砲4門を装備する。B-36爆撃機の護衛のために開発された寄生戦闘機で爆撃機を母機とする。このため全長4.5m、全幅6.4mと小さく飛行時間も1時間20分であった。無理な設計のために性能は悪く、特に母機への着機は不可能に近く実用化されることはなかった。総生産数2機。

 

XF-85 ゴブリン

 

 

性能

全長 4.5m
全幅 6.4m
全高 2.5m
自重 1,696kg
全備重量 2,064kg
最大離陸重量 2,540kg
最大速度 1,050km/h
上昇力 64m / 秒
上昇限度 15,000m
エンジン出力 推力1,361kg(ウェスチングハウス XJ34-WE-22エンジン)1基
推力重量比 0.66
飛行時間 1時間20分
乗員 1名
武装 12.7mm機関砲4門
爆装  -
初飛行 1948年8月23日
総生産数 2機
設計・開発 ハーマン・D・バーキー / マクドネル社

 

開発前史

02_XF-85 Goblin
(画像はwikipediaより転載)

 

 第二次世界大戦中、B-17B-24B-29に代表される重爆撃機の存在価値というのは飛躍的に増大した。特に核爆弾の完成により超大型爆撃機、いわゆる戦略爆撃機というもののが一国の存立にかかわるほどに重要な存在となっていった。そこで問題となったのはこの爆撃機を敵戦闘機から守る護衛戦闘機の存在である。

 護衛戦闘機というのは戦前から各国で研究がされており、日本では月光二式複座戦闘機屠龍などが有名である。米国では第二次世界大戦後半にはB-29爆撃機に対する護衛戦闘機としてP-47サンダーボルトP-51マスタングというような航続距離の長い戦闘機が充てられていたが、第二次世界大戦後に航続距離13,134km(地球の円周は40,000km!)を誇るB-36ピースメーカーが出現するに至るとさすがにこれを護衛することができる戦闘機は存在しなくなった。

 そこで考えられたのが寄生戦闘機という種類の爆撃機に搭載または係留される戦闘機でXF-85ゴブリンはこの寄生戦闘機に該当する。

 1942年12月3日、米国陸軍航空隊は小型レシプロ戦闘機の提案書を作成、約1年後の1944年1月計画戦闘機の機関はレシプロからジェット推進方式に変更された。このコンセプトに反応したのがマクドネル社でモデル27と呼ばれる寄生戦闘機の計画を開始した。

 

開発

03_XF-85 Goblin
(画像はwikipediaより転載)

 

 1945年3月19日、マクドネル社はモデル27の改良型であるモデル27Dの設計案を米陸軍航空隊に提出したものの中々許可が下りずにいたが、1947年2月に開発が決定された。1947年末に試作機が完成、XF-85ゴブリンと命名された。ゴブリンとは「小鬼」のことである。

 一応、許可はしたものの米空軍(1947年9月18日に米陸軍航空隊は独立して米国空軍となる)も何か引っかかったのだろう。戦中のように試作機段階で数百機の発注というようなことはこのXF-85にはせずに「テスト結果が良好であれば」という条件付きで100機超のXF-85の量産が決定されることとなった。

 完成したXF-85は総重量約1,696kg、全長わずか4.52mの樽のような形状をした胴体に最新の後退翼を装備、X型に配置された垂直、水平尾翼を備えていた。主翼は折りたたみ可能でB-36への空中格納が前提であるために格納用のフックが設けられ、車輪はなく橇のみを備えていた。

 それでもそこは米国、桜花のように搭乗員もろとも。。。というようなことはなく射出座席にパラシュート、緊急用の酸素ボンベも用意されていた。武装は12.7mm機銃4挺で当然爆装はできない。飛行時間は1時間20分程度で戦闘飛行を30分間行える計画であった。

 

 

性能

 初飛行は1948年8月23日で本来であればB-36の量産機を使用して試験をするはずであったが手配がつかずB-29を母機としてテストが行われた。最高速度は1,050km/hと当時の主力戦闘機であるF-84と同等であったが安定性が悪く当初4枚であった尾翼は1枚追加されて5枚に、その後さらに1枚追加されて最終的には6枚になった他、主翼端にも方向安定板が追加された。

 さらに飛行性能も悪く、肝心の母機への着機はB-29が起こす乱気流によって非常に難しく、第一回目の飛行では母機に着機することが出来ずB-29の収容用空中ブランコに激しく衝突して不時着した。その後もエンジンの出力を調整したりして試験を行ったが試験中3回したのみであった。

 マクドネル社はさらなる改良を行おうとしたが、1949年10月24日に計画は中止となった。しかし寄生戦闘機の研究はさらに行われ、F-84をB-36の翼端に連結する方法や胴体下に懸架する方法等が研究された。しかし空中給油が導入されるとこれらの研究も終了した。

 この宮崎駿氏が好きそうな寄生戦闘機は2機製造されたが2機とも現存しており、それぞれ空軍博物館において展示されている。

 

アニメ等を観る時に参考になる

 この寄生戦闘機、私は興味ありまくりで記事を執筆したのだがアクセス数は芳しくない。そもそもこのブログ自体のアクセス数が低いので仕方ないのではあるが、この寄生戦闘機の面白さについて追記しておく。機動戦士ガンダムを筆頭に主人公の搭乗機がロボットに合体するというパターンがあるが、実際に製造された場合はXF-85のように設計に様々な条件が課せられるので条件の少ない通常の戦闘機と比べて性能は大きく劣ることになる可能性が非常に高い。

 アニメだと通常の戦闘機と同様かそれ以上の活躍をするのだが、現実には無理な設計のために通常の戦闘機とは比較にならないほど性能は低くなると思う。それをはっきりと見せてくれるのがXF-85でこの機体を調べるとこの手の戦闘機は通常の戦闘機に全く太刀打ちできないというのが分かる。だから富野由悠季氏は比較的制約なく作れるようになった劇場版では戦闘機を出す際はコアブースターでコアファイターは脱出の際に使用するとしたのかも。なーんて思ったりしてワシは楽しんでいるのだ。

 

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