タイトルが中々カッコいい。しかしこのタイトル、著者の一人、本田氏曰く編集者が勝手に付けただけで自身は「撃墜王」と自称してはいないそうだ。それはそうと、本書、基本的には月刊『丸』で掲載された零戦パイロットの手記を集めたものの文庫化である。本書に手記を寄せているのは著名な撃墜王である本田稔氏、梅村武士氏、安部正治氏等であるが、特に貴重なのは戦死した大野竹好氏、中沢政一の日記が載せられていることだ。戦死してしまっているため途中で手記が終わってしまっている。当初、私は何も知らずに読んでいき、途中で「この後、〇〇上空で戦死」等の注で戦争の悲惨さを感じた。本田氏の手記は主にラバウルでの戦闘について、梅村氏は終戦までを書いている。
本田稔氏は1923年生まれの当時としては若年搭乗員であるが、実戦部隊に配属されたのが1942年1月であるため搭乗員経験は豊富である。本書に寄せられている手記は主にラバウルでの空戦について書いている。本田氏の手記によると本田氏はラバウルで13機を撃墜したとしている。戦後も長寿を保たれたが2021年10月3日に他界されている。
梅村氏はユーモラスな方のようで南方の激戦で確か3回以上撃墜されているが、本書に寄稿した手記にはその悲惨さをあまり出さず、戦地の様子をユーモラスに描いている。私が特に印象に残ったのは最後の
「私は若い人達をみるのは楽しい。〜中略〜私達の仲間が尊い命をすてて守ろうとしたものも、そのような若さであったのではなかったろうか・・・」
梅村氏は手記の中で自身の武勇伝や自慢話を書かず、戦後の若者たちに対しても「最近の若者は」というような見方はしていない。予備知識なしに梅村氏の手記を読めば能力が低く、対して危険な目にも遭っていない楽をした士官パイロットという印象を持つかもしれないが、梅村氏は海兵68期、戦争中は中堅士官搭乗員としてかなりの戦死者を出したクラスであり、本書に日記が掲載されている戦死した大野竹好氏も梅村氏と同じ68期である。
そして梅村氏も決して安全な場所にいた訳ではない。「搭乗員の墓場」と言われたラバウルで激戦を展開して3度も撃墜されているほどだ。因みに撃墜されるというのはその時の天候や空戦の状況などの様々な要因がある。技量不足という場合もあるがそれだけではないのだ。熟練者でも撃墜されることはある。少なくとも激戦地ラバウルに進出、生き残ったというだけで梅村氏はかなりの技量と運を持っているといえる。梅村氏の手記ではそのような「自慢話」は一切書かれていない。
安部正治氏は本田氏、梅村氏とは異なり戦争後半担当の搭乗員である。戦争前半を担当した搭乗員が十分な訓練を受けたのちに実戦に参加したのに対して戦争後半の搭乗員はまともな訓練を受けずに激戦に投入された。そのため戦死者は多く、戦果を挙げた搭乗員は少ない。これは能力とは関係が無くあくまでも時期の問題だ。そんな中でも安倍氏は出来るだけのことをして生き残りかつ戦果を挙げた。所属していたのは戦争末期の海軍最強の戦闘機隊である戦闘303飛行隊である。
この部隊には安倍氏の他、216機を撃墜したといわれる岩本徹三、87機撃墜といわれる西澤廣義、18機撃墜の谷水竹雄などの歴戦の搭乗員達が在籍していた。これらの搭乗員についても触れられており、今では貴重な史料といえる。
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