偵察員という職種
また飛行艇戦記。著者は藤代護氏、乙種予科練9期出身の水偵乗り。偵察員であった。同期にはのちに台南空で撃墜王となる羽藤一志氏や同じく水偵乗りとなった本間猛氏がいる。
ところであまり海軍航空隊に詳しくない方は「偵察員」とは何かわからないかもしれないので説明しよう。水上偵察機には通常、2〜3名の搭乗員が乗る。操縦員と偵察員、または操縦員と電信員、偵察員である。これらを総称して搭乗員という。海軍には様々な搭乗員の訓練課程があるが、一般人が最も早く搭乗員になりたければ予科練が一番早い。予科練とは海軍予科練習生の略で15歳程度の少年を数年の訓練で搭乗員とする教育課程である。
そこで訓練を受けた後、それぞれの希望と適性に合わせて操縦員、電信員、偵察員等に振り分けられることになる。操縦員は飛行機の操縦をする搭乗員、電信員、偵察員は航法や爆弾の投下をしたり電信(当時はほぼモールス信号)を受送信したりするのが役目だ。因みに偵察員については詳しく書いた別の記事があるのでこちらも参照して欲しい。
どの職種も専門性が高く大変な知識と経験、そして適性が必要となる。それぞれがスペシャリストなのだ。とはいっても予科練を目指す者で初めから偵察員を目指す人はまずいない。みんながなりたいのはもちろん自分で飛行機を操縦する操縦員だ。
操縦員にはなれず・・・
著者も予科練では当然のように操縦員を希望していた。当時の予科練は難関中の難関、それを猛勉強で突破して非常に厳しい訓練を耐えてきたのは、ひとえに操縦員になるためだ。しかし操縦員には選ばれなかった。著者はトイレで泣いたという。
ここで著者がすごいのは気持ちの切り換えだ。だったら日本一の偵察員にやってやると気持ちを切り替える。著者はその後も数々の不本意な状況に置かれるがその都度前向きに頑張る。恐らくその時はそれまでの努力が全て無駄になったと思うだろう。それでもまた与えられた状況で全力を尽くす。著者が一番すごいのはそこだ。そしてその努力と適性は見事に開花することになる。
著者はやはり偵察員としての才能があったのだ。送受信ではモールスで送られてくる通信文を毎回一文字も間違えず、航法では、飛行時間1000時間を超えるころには300カイリを飛行しても推測航法で誤差が1カイリ以内だったという。これは本当にすごいことだ。海軍の航法には天文航法、地文航法、推測航法の3種類ある。天文航法は天体の位置から自機の位置を測るというもので地文航法とは地形を見て自機の位置を測るものだ。そして推測航法とは自機の速度と風向き、風速を推測して自機の位置を測るという最も難易度の高い航法である。
全て推測だ。300カイリ飛行して1カイリ以内に収めるというのがどれだけすごいことなのか想像できるだろう。kmに直すと500km以上を飛行して誤差は2km以内ということだ。著者は恐らく、操縦適性が無かった訳ではなく、操縦適性以上に偵察適性があったのだろう。そして操縦適性以上に偵察適性が高かったために偵察に回されたのではないかと思う。藤代氏の才能は個人技だけでなく、部下の統率にも能力を発揮している。とても有能な人だ。
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