01_ShootingStar
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 P-80シューティングスターはケリー・ジョンソンが設計、ロッキード社が開発したジェット戦闘機である。初飛行は1944年1月8日で全幅12m、自重3,593kg、最高速度898km/h、航続距離2,317kmを発揮。武装は12.7mm機銃6門に2,000ポンド爆弾1発を装備できる。設計開始から完成まで1年弱という驚異的なスピードで完成し、第二次世界大戦末期には実戦配備が完了したが偵察のみで戦闘には参加していない。基本性能は高く、朝鮮戦争で実戦投入された他、各国の空軍でも採用されている。練習機は日本の航空自衛隊でも使用された。総生産数1,715機。

 

 

ロッキード P-80 シューティングスター

 

 

性能

全幅 11.83m
全長 10.51m
全高 3.45m
自重 3,593kg
全備重量 5,534kg
最大離陸重量 7,646kg
最大速度 898km/h(海面高度)
上昇力 6,096mまで5分30秒
上昇限度 13,716m
エンジン出力 J33-GE-11またはJ33-A-9 1エンジン(推力1,746kg)
推力重量比 0.364
航続距離 2,317km
乗員 1名
武装 12.7mm機銃6挺
爆装 2,000ポンド(907kg)爆弾1発または
   5インチロケット弾10発
初飛行 1944年1月8日
総生産数 1,715機
設計・開発 ケリー・ジョンソン / ロッキード社

 

概要

 1943年春に連合軍諜報機関によってMe262の存在が確認された。Me262とはドイツ製のジェット戦闘機で世界で初めて実戦配備されたジェット戦闘機である。それまでのレシプロ機の最高速度が最高性能の機体でも700km/h前後であるのに対して869km/hという圧倒的な速度を実現している機体である。この情報を掴んだ米国は早速、対抗するためにジェット戦闘機の開発を開始した。

 ロッキード社が開発したP-80はケリー・ジョンソンが設計、設計開始からわずか143日で完成している。但し英国ハルフォードH.1Bエンジンの納入が遅れたため完成には189日かかっている。それにしても驚異的な早さであることには変わりはない。1944年1月8日初飛行、最高速度は800km/h以上を記録、量産化が決定した。

 機体は低翼でレシプロ機のような直線翼を採用しており、エンジンは単発、与圧コックピットは採用されていない。エンジンはその後、XP-80Aではゼネラルエレクトリック社製I40ターボジェット(推力1,814kg)に変更、これにより重量が増加したため主翼面積を拡大、胴体構造の強化がなされている。さらに量産型では同社製J33-GE-11(推力1,746kg)またはアリソンJ33-A-9(J-33の量産型)が装備されている。総生産数は1,715機で海軍、海兵隊でも運用されている。

 

 

バリエーション

 初期の量産型であるP-80Aは917機が製造、さらに射出コックピットを装備したP-80Bに変更された。このP-80Bは1947年3月から1948年3月までの間に米陸軍に引き渡されている。P-80CはエンジンをJ33-A35に変更、B型と同様に射出コックピット採用、さらに翼端に付ける増槽「チップタンク」を装備している。この機体は798機製造された他、P-80Aの129機もC型にアップグレードされた。

 同時に訓練用の複座機も製作された。これはF-94スターファイアで機首に全天候レーダーを装備している。さらにT33シューティングスター練習機も生産されている。これはP-80の改造ではなく練習機として設計された機体である。練習機のヒット作で6,557機が製造、日本でも川崎重工が210機ライセンス生産を行っている。米軍での退役が1997年4月、2017年7月31日にボリビア空軍から引退したのが最後なので相当な長寿命であった。

 

戦歴

 1944年末に12機のYP-80Aが部隊配備される。これらの内2機はは事故で消失、試験用に英国に2機、イタリアに2機の合計4機がヨーロッパに送られている。太平洋戦線では45機がフィリピンに進出したものの実戦参加前に終戦となった。大戦中に米軍に納入されたP-80は合計83機である。この内、イタリアに送られた機体が1945年2、3月に偵察で運用されている。因みに第二次世界大戦で40機を撃墜した米国のトップエースであるリチャード・ボング少佐は1945年8月6日、本機での事故で殉職している。

 P-80(米空軍独立後はF80)が最も活躍したのは朝鮮戦争である。1950年11月8日、世界初のジェット機同士の空戦でMiG15戦闘機を撃墜、その後も合計で6機のMiG15を撃墜している。しかし直線翼のF80では後退翼のMiG15よりも低速であり、F-86セイバー登場以降は対地攻撃と写真撮影を主に行った。出撃回数では米軍機中最高であった。

 1959年に米軍から退役、最後まで運用していたチリ空軍からも1974年に退役している。

 

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