01_強風
(以下画像はwikipediaより転載)

 

要約

 水上戦闘機強風は菊原静男技師が設計、川西航空機が開発した水上機である。初飛行は1942年5月6日で全幅12m、最高速度は489km/h、航続距離1,980km、20mm機関砲2門、7.7mm機銃2挺を装備している。無理な性能要求のために当初は二重反転プロペラを装備していたが通常のプロペラに戻された。自動空戦フラップを装備しており合計97機が生産された。実戦配備されたのは1943年暮れで終戦まで活躍している。

 

水上戦闘機 強風

 

全幅 12.00m
全長 10.58m
全高 4.750m
自重 2,700kg
最大速度 489km/h(高度 - m)
上昇力 4,000mまで4分11秒
上昇限度 10,560m
エンジン出力 1,460馬力(火星13型エンジン)
航続距離 1,980km
乗員 1名
武装 20mm機関砲2門(携行弾数各60発)、7.7mm機銃2挺(携行弾数各500発)
爆装 30kg爆弾2発
初飛行 1942年5月6日
総生産数 97機
設計・開発 菊原静男 / 川西航空機

 

背景から開発まで

 水上戦闘機は日中戦争で水上機の空戦能力に有用性が認められたことと対米戦が南方侵攻作戦が中心になることを想定して開発が進められた機種で、他国では試作機は造られたものの、量産化したのは日本だけだ。この量産化水上戦闘機で最高性能を発揮したのが水上戦闘機強風11型である。

 強風は上記の必要性から1940年9月に飛行艇を中心に製造していた川西飛行機(現在の新明和工業)に試作が命ぜられた。他の海軍機同様、試作機の性能要求は厳しく、水上戦闘機でありながら最高速度574kmが要求された。当時の新鋭戦闘機である零戦ですら533kmであることからもその要求の厳しさが分かるだろう。

 

開発

02_強風の原型機の2重反転プロペラ

 

 菊原静男技師を中心とする川西飛行機の設計チームはその性能要求に応えるべく、エンジンには、当時の日本では最高出力である1,450馬力火星エンジンを採用、機体は大出力ではあるが大型の火星エンジンを使用するために紡錘形の空気抵抗の少ない胴体が採用された。さらに空気抵抗を減らすためと出来るだけ水面から翼を遠ざけるために胴体の中央部に主翼を付ける中翼式を採用した。この結果、1942年4月に十五試水戦の試作1号機が完成する。この試作1号機には火星14型エンジンが採用され、二重反転プロペラが採用された。

 1942年5月6日に初飛行をするが、二重反転プロペラは、振動が多く、さらに構造が複雑になり生産や整備に手間がかかることや重量がかさむため採用は見送られ、2号機以降は一般的な三翅プロペラが採用され、同時にエンジンも火星14型エンジンから火星13型エンジンに変更された。

 最大速度、上昇力、航続距離共に現行の二式水上戦闘機に勝っていたが、格闘戦能力のみは傑作機零戦を母体とした二式水戦には敵わなかった。このため技術陣は、Gに応じて自動的にフラップが出入りし、常に最適のフラップ角度をとるようにした自動空戦フラップを開発。強風に標準装備された。さらに航空機の特性として高速時には舵の効きは敏感であるが、低速時には操作量が増大するという操縦性の悪さを解消するために腕比変更装置も採用された。これは強風が最初のようである。

 強風は最高速度489kmと性能要求の574kmには遠く及ばなかったものの、航続距離1,980km、上昇限度10,560mと水上戦闘機としては高い性能を発揮した。そもそもの性能要求が無茶過ぎなのだ。武装は翼内に20mm砲2門(九九式2号3型)、機首に7.7mm機銃2門を装備する。

 

 

強風の生産

03_強風

 

 試作機は8機製造され、3機が1942年末に海軍に引き渡された。1号機は火星14型エンジンに二重反転プロペラを装備したが、2号機以降は火星13型エンジン三翅プロペラを装備している。因みに2号機は試験中に転覆沈没している。3号機以降は、主フロートの主支柱が太くなっているのが特徴である。

 1943年8月10日(12月という資料もあり)、強風11型として正式採用され、1943年1〜12月までに89機が生産された。強風11型の総生産数は、この量産型89機と試作機8機の合計97機である。1943年に残りの試作機5機を含む65機が海軍に納入され、さらに1944年1月〜3月の間に残り29機が引き渡されている。この強風は初期生産型と後期生産型では若干の違いがある。

 

初期型と後期型

 初期生産型は集合式排気管で気化器空気取入口はカウリング内、スピナは先端のとがったものを使用しているが、後期型は排気管が推力式単排気管でカウリングとスピナが再設計され、カウリングは深く、全面上部に空気取入口が設けられた。スピナは直径と長さが小さくなり形も丸っこいものに変わった。カウリングが深くなったため機首の7.7mm機銃の発射口とカウリング前端との距離が広がっている。

 

22型(計画のみ)

 強風の派生型として、紫電21型(紫電改)を水上機としてフィードバックさせた強風22型の開発計画があったとされており、さらに後継機として川西十八試水戦という機体の開発が考えられていたが実現しなかった。

 

戦歴

 最初に強風が実戦配備されたのは1943年12月頃で、ニューギニア島西方セラム島南西に位置するアンボン島に展開していた934空水戦隊に配備された。翌月の1944年1月には甲木清実飛曹長操縦の強風がB-24を撃墜、強風の初撃墜を記録している。マレー半島ではペナン島に展開する936空の強風が1945年1月にB-29と交戦、翌月にも再び交戦している。さらに3月3日には第一南遣艦隊付属水上機隊の強風がB-24と交戦、ほぼ撃墜確実であったといわれている。他にも横空、鹿島空が水戦搭乗員教育のため強風を配備、さらに佐世保空、呉空、大津空、小松島空、宿毛空、901空、931空に配備されている。

 

生産数

 強風は、97機が生産された。終戦まで残存したのは31機で、内訳は、河和に22機、佐世保に5機、今宿に4機が残存した。現存しているのは戦後アメリカに接収された4機の内、3機のみである。

 

まとめ

 

 強風は太平洋戦争開戦前に計画され戦争後期に実戦配備された機体であった。しかし強風が実戦配備された頃には、南方侵攻作戦はとっくに終了しており水上戦闘機の出番は無かった。それでも南方資源地帯での防空戦や本土防空戦に使用された。甲木清実飛曹長のB24撃墜を始め若干の戦果を挙げた。F6Fヘルキャットを撃墜したことすらあったらしい。フロートを付けた「重い」機体は戦争後期の連合国軍新鋭機を撃墜するのは至難の業であった。しかし、陸上機型に改良された紫電、紫電改は海軍の決戦機として大活躍することになる。

 

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