
中高英語再び。。。
おっはモーニング!(例によって某有名ユーチューバーのパクり)
管理人です。最近、というより数ヶ月前から私は英語の勉強を始めたのだ。何でかって?それはもちろん英語の読み書き、何なら喋れるようになるためだ。現在ワシは49歳(ちゃい)、すでに日本語歴も50年近くなるベテランだ。このワシであれば英語をマスターするのなんてお手の物だろう。英語なんて所詮、単語と文法だけだ。
そんな浅はかな考えから始めた英語学習。巷(ちまた)にはいろいろな英語の学習本が乱発されている。やはりみんな英語が喋れるようになりたんだなー。とワシ。では、どうやって英語の学習をしようか、YouTubeで学習するもヨシ、英語本で学ぶのもヨシ。しかしワシが選んだ学習法はそう、
中高の勉強をやり直す
ということであった。なんだかんだで勉強というのは一番馴染んだ方法であるのが一番。そこにいくと中高の英語の勉強をやり直すというのは一番良い方法だと思うのだ。そこでワシが最初にやることはただ一つ。英単語本を買ってきて端から単語を暗記することだ。語学なんて所詮は単語さえ覚えてしまえば何とかなるだろう。
その結果、買ってきたのが上記の単語本。9月くらいからやり出して12月には全部みた(←コレ大事)。一回みて暗記できるほどワシの頭は出来が良くない。複数回繰り返して読むのだ。そして1月現在5周目の暗記中。それでもなかなか覚えられない単語があるのが悔しいね。でもオイラ頑張る。「諦めたらそこで終わりだよ」とキュウベエの声が聞こえる。そうさ、諦めたらダメなんだ。
山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』
ワシがかなり衝撃を受けた文人といえば山本七平大先生だ。もうすでに他界されたが『「空気」の研究』で有名だ。『空研』(←省略形。初めて使った)も二度ほど読んだがもう数回読まねばならぬだろうなー。しかしこの山本氏、徴兵されて戦争に行っているんだよね。大学生だったので少尉として何と末期のフィリピンに派遣された。
著書『一下級将校の見た帝国陸軍』や『私の中の日本軍』を読めば分かるが、それはそれは壮絶な体験をしている。激戦地中の激戦地末期のフィリピンなのだ。山本氏の最後の任務は対戦車要員。これは戦車を待ち伏せ、戦車が通ったら対戦車爆弾を投げ込むという決死、、、というよりも必死の攻撃を行う部隊の隊長だった。
その時のことを書いた『一下級将校の見た帝国陸軍』の中にこんな話があったのを最近ふと思い出した。それは米軍基地への斬り込み隊の隊長とのやり取り。その隊長は部下9名と共に敵基地への切り込みを命ぜられた。装備はというとベルトに軍刀一振り、そして脚絆に地下足袋。その姿を見た山本少尉は隊長にふと言う。
「大久保彦左ですな」
大久保彦左とは大久保彦左衛門のこと。戦国時代から江戸時代にかけて生きた剛の者だ。これに対して隊長は淡々と答える。
「あの時代の戦法ですからな。斬り込みは」
隊長は軽く敬礼をして出発していった。「出発」と簡単に書いたがこの「出発」は死への出発であることは間違いない。しかし隊長は淡々と行く。そして帰ってくることはなかった。山本氏によると本当に死を覚悟した人はこんな感じだという。気構えたりとかしていないそうだ。
この斬り込み隊、実はその後のことも判明している。この斬り込み隊は米軍により待ち伏せされていた。当時の米軍は現在同様潤沢な資金と高い技術力でハイテク装備をふんだんに使用していた。基地の周辺には小型の集音機なども設置していた。それが理由なのか分からないが出発した斬り込み隊は崖を滑り降りたところで米軍の機関銃の集中砲火を受ける。
その時に隊長は日本刀で周りの竹やぶを薙ぎ払いながら叫んだ。「左へ行け!」それを聞いた部下たちは訳も分からず左に逃げた。それでも隊長は大声で叫び続ける。最後には「メン!ドー!」等と意味不明な言葉を大声で叫び続けた。何でそんなことをしたのか。そう、敵の攻撃を自分に集中させるためだ。
隊長は戦死、部下も死んだ。しかし一人だけ生き残った。隊長の命令通りに左に逃げた隊員だ。その隊員からこの事実が分かったという。太平洋戦争では沢山の人達が死んでいったのだ。
今日のアップ記事
戦艦ノースカロライナ級
朝の記事は米国戦艦ノースカロライナ級。条約下で建造された最後の米国戦艦で主砲は当初は14インチ砲搭載予定であった。しかし1937年に日本が軍縮条約を脱退するとエスカレーター条項が発動、16インチ砲を搭載することが可能となったため16インチ砲に変更されている。エスカレーター条項とは海軍軍縮条約に調印している国が脱退した場合、残りの国は条約の制限を緩めるというものであった。
それまでの戦艦にあった籠マストも廃止、外観もスタイリッシュになった。全く個人的な好みだが私は米国戦艦が戦艦の中で一番好きなのだ。特にアイオワ級は最高!ノースカロライナ級、サウスダコタ級もスタイルがカッコいいのだ。ノースカロライナ級、サウスダコタ級共に16インチ砲を装備しており外観上も似ているが、ノースカロライナ級はそもそも14インチ砲搭載予定で設計されていたために装甲が若干薄いという問題点がある。それでもソロモン海戦では日本の戦艦相手に激闘、終戦まで一隻も沈むことはなかった。
コルトM1911
夜の記事はコルトM1911。いわゆる「ガバメント」というやつだ。制式採用されたのは1911年。当時、米西戦争で勝利した米国はフィリピンを植民地とした。しかしフィリピン原住民の強烈な抵抗に対してそれまで米軍が制式採用していた38口径コルトニューサービスでは歯が立たなかった。38口径では威力が弱すぎたのだ。
そこでサミュエル・コルトは大口径の自動拳銃の設計を開始。口径もコルト社お得意の45口径カートリッジを新しく開発した。これが45ACP弾と呼ばれるもので凄まじい威力を発揮する。38口径というのは強力なカートリッジではあるのだが興奮状態の人やイケナイお薬を打っている人には致命傷とはならない場合が多い。そこにいくと45口径の威力は絶大であった。
米軍に制式採用された後、第一次世界大戦、第二次世界大戦と米軍が参戦した戦争には全て使用されている。1985年にベレッタ92SB、2017年にはSIG P320が米軍に制式採用されているが現在採用され制式採用ではなくなったものの多くの部隊で未だに使用されている名銃中の名銃だ。
ちゅーことで今日も一日頑張ろう!
あでゅ〜!
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![]() WA コルトM1911 ブラックアーミー ウッドグリップ付 |
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