翔べ!空の巡洋艦「二式大艇」―巨人飛行艇隊員たちの知られざる戦い

 

木下悦朗「炎の翼「二式大艇」に生きる」

 予備学生とは大学生等の高等教育を受けた学生を海軍の士官として採用する制度で戦前からあるが、太平洋戦争開戦後には士官の不足から大量に採用されるようになった。しかし基本的にリベラルな人間が多い学生と「麦飯の数」がものをいう軍隊では相性がいいはずがない。手記などには予備士官と職業軍人の軋轢について書かれているものも多い。

 この手記の著者である木下少尉はその予備士官である。しかし野球部出身ということで体育会系のノリがあったのだろうか軍隊でうまくやれたようだ。さらに大学の恩師の著書を焼いてしまうという思いっきりの良さで部下からの信頼も厚かったようだ。木下という名前から木下藤吉郎にあやかって瓢箪をマスコットにしたりとチームの団結が強いのが分かる。作戦は危険な作戦が多く、良く生き残れたなと思うほど危険をくぐり抜けている。『二式大艇空戦記』の著者、長峯五郎氏もそうだが、重防御で重武装の二式大型飛行艇といってもやはり危険なことには変わりないんだなぁと思う。

 著者が搭乗しているのが1機のみ造られた二式大艇の「K3」型で、離水すると翼端のフロートが跳ね上がる構造になっていたようだ。一般の二式大艇に比べて速度も5ノットほど速かったという。面白かったのは嚮導機として出撃した時に米軍のB-29を含む大型機と「すれ違った」ことだ。お互いに気付いていたが任務があるので何事もなく通り過ぎるという。これも戦争の「妙」なところだ。さらに特攻隊員の幽霊が出たりもしたという。

 戦場での霊に関しては横山保『あゝ零戦一代』に「ケンダリーの怪談」というのが登場する。同じように霊が現れるが、横山大尉がちゃんと足まで布団をかけて寝るようにと全隊に指示したところ霊が現れなくなったという。要は体調の変化による幻だったようだ。本書の特攻隊員の霊もやはり夏の蒸し暑い時期に出てきているので同様の理由だろう。当時、「ケンダリーの怪談」はかなり有名な話だったようでいろいろな手記に話が出てくる。

 

日辻常雄「大いなる愛機「二式大艇」奇跡の飛行日誌」

 日辻氏は著名な飛行艇隊の隊長だ。初戦期から戦闘に参加し、南方での戦闘も経験している。この手記の中でも南方でのB-17との空中戦はすさまじい。しかし飛行艇隊は消耗が激しく、飛行艇の講習を修了した同期11名は1942年の末に日辻氏を残して全員戦死してしまう。日本海軍機で最初に電探(レーダー)を搭載したのが九七式大型飛行艇であったことや飛行艇でパナマ運河を爆撃するという発想(有馬正文少将の考え)もあったことも知ることが出来る。

 本書で手記を書いている木下少尉や『二式大艇空戦記』の長峯五郎氏が参加した梓特別攻撃隊を隊長の視点から見ているのも興味深い。最後の二式大艇を操縦して米軍人を感嘆させる場面は見もの。詳しく知りたい人は日辻常雄『最後の飛行艇』を読んでみるといい。

 

山下幸晴「わが潜偵米機動部隊の直上にあり」

 これまた貴重な潜偵搭乗員の手記だ。潜偵とは潜水艦偵察機の略で潜水艦に搭載される小型水偵のことだ(因みに晴嵐は攻撃機)。潜偵は一度偵察に出ると生還することはかなり難しい。発艦は良くても着艦する時にまず潜水艦を見つけられない可能性がある。さらに見つけたとしても敵機に追跡されていれば母艦は潜行してしまう。そして敵機に追跡されていなかったとしても洋上の波が荒ければ着水できないこともある。

 このため潜偵乗りの生存者は非常に少なくその潜偵乗りの手記はかなり貴重なものだ。山下氏の手記を読むと、潜水艦の中の生活が生々しく描写されている。入浴ができないので体中垢だらけだとか、爆雷攻撃を受けている時の恐怖心など、体験しているだけに凄まじい迫力だ。潜偵搭乗員は特攻隊員のような気持ちだそうだ。一度偵察任務が命じられたならば生還の可能性は低い。偵察時期が近づくと死の階段を一段一段登っていくような気持ちだという。

 その山下氏もメジュロ環礁の偵察が命じられる。薄暮に出撃して夜に帰還。潜偵は廃棄して搭乗員のみ収容という計画が立てられる。山下氏はメジュロの偵察を敢行し何とか無事にたどり着く。貴重な潜偵搭乗員の手記だ。他に潜偵搭乗員の手記は高橋一雄『神龍特別攻撃隊』と藤田信雄『わが米本土爆撃』、「米本土爆撃記」『トラ・トラ・トラ』所収くらいだろう。ただ、『トラ・トラ・トラ』はもう絶版なので入手は困難。別に藤田氏が乗艦した伊25号の乗組員が書いた手記、槇幸『伊25号出撃す』等もある。余談だが藤田信雄氏が行った潜偵による米本土爆撃については「【米本土爆撃】藤田信雄中尉と伊25潜水艦の戦い」に詳しく書いたので興味があれば読んで欲しい。

 

 

佐々木孝輔「翔べ!空の巡洋艦「二式大艇」」

 著者は海軍兵学校67期の出身である。この67期というのは太平洋戦争開戦前に訓練を修了したギリギリのクラスだ。戦闘機では笹井醇一少佐、艦上攻撃機では肥田真幸大尉など太平洋戦争全般を通して海軍航空隊の中核として戦ったクラスの一つで、当然、戦死者も多かった。

 著者は飛行艇に進んだが、その飛行艇というのもまた損害が多く前述の日辻少佐の同期はわずか一年間で同期が皆無となってしまったという。その中で生き抜くことができた佐々木氏は実力と同時に幸運も兼ね備えていたのだろう。操縦した飛行艇は、九七式大艇、二式大艇で九七式大艇は水上滑走しながら雷撃ができることなど興味深い。

 さらに1943年にイタリアが降伏したため日本はイタリアを今後敵国として扱うこととなった。その時、昭南島(シンガポール)にあったイタリアの潜水艦隊が抑留され、ドイツ軍に引き渡されたが、潜水艦母艦「エレトリア」は監視の目をかいくぐって逐電してしまった等あまり知られていないエピソードは面白い。

 佐々木氏の手記の特長は特に操縦関係に関して詳しいことだ。対空砲火の中を銃爆撃している時は怖くないが帰還する時、急に怖くなる等、搭乗員でなければ分からない心理も書かれている。圧巻なのは、インド洋で潜水艦から燃料補給を受けて遠距離作戦を行ったことだ。残念ながら着水して潜水艦との合流は上手くいったものの離水に失敗して水没してしまったという。幸い、搭乗員は潜水艦に救助され無事に帰還した。

 

佐々木孝輔「南海の空に燃えつきるとも」

 これも佐々木氏の手記。初出は1984年9月で前出の手記の翌月に掲載されたものだ。前出の手記が著者の海軍生活の前半、この手記が終戦までの後半という形になっている。あの猛将角田覚治中将がテニアン島で戦死する前に著者に対してしっかり頼むと手を握りしめ、涙をポロポロ流しながら話したというエピソードや公刊戦史に記録されていない「あ」号作戦時の飛行艇隊の記録等は貴重だ。

 さらに幻の木製飛行艇「蒼空」の審査を担当していた。蒼空の記事はかなり貴重だと思う。蒼空は3階建てで人員102名を乗せる予定だった。中は畳敷きであったなど面白い(P391)。以上が本書の私が興味を持ったところだ。山下氏以外は全て飛行艇戦記である。その山下氏も潜偵戦記とかなり珍しい1冊になっている。二式大艇は海面をバウンドする「ポーポイズ」に悩まされたことは有名だ。荷物の積み方まで工夫する必要があったという。これに対して九七式大艇は非常に安定した離水性能だったという。同じ飛行艇乗りのベテラン下士官北出氏は、選べる時は九七式大艇に登場したという(北出大太『奇跡の飛行艇』)。

 

 飛行艇戦記では他に、日辻常雄『最後の飛行艇』や長峯五郎『二式大艇空戦記』等があるので興味のある方は読んでみるといいと思う。

 

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