
(画像は雲龍 wikipediaより転載)
要約
雲龍型は1944年8月6日に竣工した航空母艦で土俵入りの型ではない。排水量17,150トン、全長227m、最大速度34ノット、航続距離8,000海里、航空機51機を搭載できる。飛龍型をベースにした中型空母で同型艦は3隻。1番艦雲龍は竣工数ヶ月で米潜の雷撃により撃沈、2番艦は呉軍港空襲で大破、3番艦は航行可能な状態で終戦を迎えたため復員船として活躍する。1946年11月末に解体。
航空母艦 雲龍型
10分頃より空母天城
性能
基準排水量 17,150トン
全長 227.35m
全幅 27m
飛行甲板 216.9m×27m
エレベーター 2基
機関出力 152,000馬力
最大速力 34ノット(葛城は32ノット)
航続距離 8,000海里 / 18ノット
乗員 1,167名
武装 40口径12,7cm高角砲連装6基
25mm機銃3連装9基
12cm28連装噴進砲6基
爆雷投下台1基
搭載機 定数51 機
竣工(雲龍) 1944年8月6日
竣工(天城) 1944年8月10日
竣工(葛城) 1944年10月15日
同型艦 3隻(就役艦)
開発経緯
雲龍型は飛龍型をベースに改良された中型空母である。1941年、米国のエセックス級空母の建造計画に対抗するために海軍は大鳳型空母3隻の建造を計画した。しかし予算の関係で大型空母3隻は無理ということになり、大型空母2隻、中型空母1隻という形に変更された。この中型空母がのちの雲龍である。
開発
雲龍型は飛龍の設計を流用して建造されたが、何かと問題のあった左舷にあった艦橋は右舷に移動、飛龍がエレベーターが3基あったのに対して雲龍型は2基のみである。しかし飛龍が前方から16×12m、12×11.5m、10×11.8mであったのに対して14×14m、14m×13.6mと大型化しているだけでなく、昇降スピードもアップしている。これは開発中の烈風、流星、天山等の大型化していた新型機に合わせるためのものである。
その他、新型着艦制動装置の設置、対空兵装の強化、飛龍型で採用された舵は小回りが利かないため蒼龍型と同じ並行式2枚舵に戻されている。当初は同型艦3隻を建造する計画であったが、ミッドウェー海戦後の空母不足のため同型艦15隻が建造されることとなった。しかし実際に建造されたのは雲龍、天城、葛城、笠置、生駒、阿蘇の6隻で竣工したのは雲龍、天城、葛城の3隻のみである。
但し、機関製造が間に合わなかったため三菱長崎造船所で建造された天城、笠置は同出力の伊吹型巡洋艦の機関を搭載、呉海軍工廠で建造された葛城、阿蘇は駆逐艦用の機関を2セット搭載している。同出力の機関を搭載した天城は雲龍と同速度を発揮することができたものの、駆逐艦用の機関を搭載した葛城は雲龍、天城よりも2ノット遅い32ノットとなった。
他空母との比較
艦載機数は一応57機+補用8機ということになっているが、これは搭載機が零式艦上戦闘機、九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機だった場合である。完成時の主力は零戦52型、彗星艦上爆撃機、天山艦上攻撃機である。この時期の艦載機は徐々に大型化していたるため艦載機数は57機よりも少なくなっているはずである。
雲龍型のベースとなった飛龍と比較してみると飛龍が排水量17,300トン、全長227.35m、全幅27.4mで雲龍とほぼ同じである。艦載機数は器が同じ大きさなので当然同じ57機。最高速度は飛龍の34.6ノットに比べると雲龍は34ノットと若干遅いがこれは誤差の範囲内であろう。雲龍型は太平洋戦争末期に完成したため戦時急造艦のような印象もあるが、性能は飛龍と同等、若しくは一部飛龍を上回る高性能艦であった。
しかし対抗する米海軍の空母エセックス級と比較してしまうとエセックス級の排水量が27,100トン、全長265.8m、全幅32.9mと雲龍型よりも排水量は10,000トン多く、全長は約30m、全幅は約5m違う。艦載機数も段違いでエセックス級は90機から100機が搭載可能である。しかもこれはF6Fヘルキャット、SB2Cヘルダイバー、TBFアベンジャー等の日本海軍の艦載機に比べて大型の機体の搭載数なので実際の艦載機数の違いは倍どころではない。エセックス級に比べ二回りほど小型の空母といえる。
雲龍型は15隻が計画されたが実際に竣工したのは3隻のみであるが、エセックス級は32隻が計画され内24隻が竣工した。米国ではこれ以外にインディペンデンス級空母9隻、ボーグ級護衛空母45隻、サンガモン級護衛空母4隻、カサブランカ級護衛空母50隻、コメンスメント・ベイ級護衛空母19隻等を建造している。正規空母の数だけでも倍以上の能力を持った空母を8倍建造している。何もかも違いすぎる戦争であった。
戦歴

(画像は天城 wikipediaより転載)
1番艦雲龍は1942年8月1日起工、1943年9月25日進水、1944年8月6日に竣工している。竣工すると天城と共に第一航空戦隊を編成するが、この時点ではマリアナ沖海戦で航空隊は壊滅していたため空母機動部隊として運用されることはなかった。12月17日、フィリピンへ特別攻撃機桜花を始め大発、各種車両等の軍事物資を輸送するために呉を出航したが、19日、米バラオ級潜水艦レッドフィッシュの雷撃により撃沈された。
2番艦天城は1942年10月1日起工、1943年10月15日進水、1944年8月10日に竣工している。竣工すると雲龍と共に一航戦を編成するが出撃の機会はなかった。1945年4月20日、竣工していた同型艦葛城と共に大型艦による水上作戦が放棄されたため予備艦に指定される。7月24日、呉軍港空襲により被弾、さらに28日の空襲により横転沈没した。
3番艦葛城は1942年12月8日起工、1944年1月19日進水、1944年10月15日に竣工している。竣工すると同型艦雲龍、天城と共に一航戦に編入されるが出撃の機会はなく呉に係留された。1945年4月20日には予備艦指定、7月24日、28日の呉軍港空襲で被弾、僚艦天城は沈没するが葛城は大破しつつも致命傷とはならず航行可能な状態で終戦を迎えた。
戦後は復員船として運用、復員船としては最大の船であったため遠方の南方方面を担当、ラバウル、オーストラリア、仏印(ベトナム)等を合計8航海、49,390名の復員者を輸送した。1946年11月20日特別輸送艦解任、11月30日解体完了した。未完成の4番艦笠置は1943年4月14日起工、1944年10月19日進水するが、1945年4月までに工事進捗率84%で建造中止となった。5番艦阿蘇は1943年6月8日起工、1944年11月1日進水するが同月9日に進捗率60%で工事中止、6番艦生駒は1943年7月5日起工、1944年11月17日進水するが阿蘇と同じく11月9日に工事中止、進捗率60%であった。
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コメント
コメント一覧 (1)
工廠での建造に拘った結果が、
長期間の工期と数が揃わなかった原因だな。
もっともガラ(船体)の量産できても機関周り(特に減速機)の生産が追いつかないんだろうけど。
アメリカすら減速機の生産追いつかず、
一部の艦艇にターボエレクトロニック(電気推進)導入する始末。
機関周りこそ国力が現れる。
とりねこ
が
しました