01_大鷹
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 大鷹型3隻は戦時には軍艦に改装することを条件に海軍が助成金を出して建造した貨客船改造空母である。太平洋戦争開戦後3隻とも特設空母に改装、1941年から42年にかけて竣工した。しかし空母としては小型、低速であったため艦隊空母としては使用されず航空機輸送船として運用された。この間、3隻とも10〜20回の輸送任務に活躍2,000機以上の航空機を前線に輸送した。

 1943年に海上護衛総司令部が設置されると3隻とも同司令部に配属されるが、冲鷹は1943年12月に米潜の雷撃により撃沈、他2隻も1944年8月、9月に米潜の雷撃により撃沈されている。艦隊空母としては活躍していないため目立たない存在であるが本級の存在なしには前線で航空機の運用はできなかった。

 

航空母艦 大鷹型

 

性能

 基準排水量 17,830トン
 全長 180.24m
 全幅 23.7m
 飛行甲板 162m×23.7m
 エレベーター 2基(13m×12m)
 機関出力 25,200馬力
 最大速力 21ノット
 航続距離 8,500海里 / 18ノット
 乗員 747名
 武装 12.7cm高角砲単装6基
    25mm連装機銃4基
 搭載機 常用23機、補用4機
 竣工(1番艦 大鷹) 1941年9月5日 ※空母として竣工
 竣工(2番艦 雲鷹) 1942年5月31日 ※空母として竣工
 竣工(3番艦 冲鷹) 1942年 11月25日 ※空母として竣工
 同型艦 3隻

 

豪華貨客船新田丸級

02_新田丸
(画像はwikipediaより転載)

 

 大鷹型航空母艦は1937年に発表された優秀船舶建造助成施設によって建造された航空母艦である。優秀船舶建造助成施設とは民間船を軍用に使用することを前提に建造する政策で、政府が助成金を出す代わりに有事の際には海軍が徴収、軍事用に使用するというものであった。このため建造に際しても改装が容易になるように様々な制約があった。

 この優秀船舶建造助成施設によって日本郵船が3隻の建造を開始、日本郵船株式会社のイニシャル(NYK)に因んでそれぞれ新田丸(Nittamaru)、八幡丸(Yawatamaru)、春日丸(Kasugamaru)と命名され、1938年5月9日には、1番艦新田丸が起工、さらに同年12月14日には八幡丸、1940年1月6日には3番艦春日丸が起工、それぞれ1939年5月20日、同年10月31日、1940年9月19日に進水している。

 

航空母艦として竣工

 1940年3月に同クラスで最初に竣工した新田丸は、貨客船として1年半ほど運用されたが、1941年9月12日、海軍に徴庸された。徴庸されて以降は輸送船として運用されるが、航空母艦への改装が決定、1942年5月1日に改装工事が始まり8月20日には工事が完了、11月25日特設航空母艦新田丸として竣工、さらには8月31日に航空母艦冲鷹として軍艦籍に編入となった。

 1940年7月31日に竣工した2番艦八幡丸は1年ほど商船として運用されたが、1941年11月25日、航空母艦への改装が開始、1942年5月31日に特設航空母艦八幡丸となったが、同年8月31日に軍艦籍に編入され航空母艦雲鷹となった。

 3番艦の春日丸は建造途中で航空母艦への改装が決定、1941年5月1日に特設航空母艦への改装が決定、商船としては運用されないまま1941年9月5日、特設航空母艦春日丸として竣工した。春日丸は貨客船としては3番艦にあたるが、空母としての竣工は春日丸が最初であるため航空母艦としては大鷹が1番艦、雲鷹が2番艦、冲鷹が3番艦となっている。

 これら3隻は、排水量が17,830トン、全長180.24m、飛行甲板は162m×23.7mと排水量でいえば飛龍型、飛行甲板の広さでいっても瑞鳳型に匹敵するが、空母への改装時に機関を変更しなかったため最高速度が21ノットしかなく、米国のようにカタパルトが完成しなかったため艦隊型空母として運用するのは難しかった。このため大鷹型は主に輸送船として運用されることとなった。

 

戦歴

 最初に空母として竣工した特設空母春日丸(大鷹)は、竣工すると第1航空艦隊第4航空戦隊に編入、太平洋戦争開戦時には艦載機は九六式艦上戦闘機、九六式艦攻という旧式機であったものの空母龍驤と共に作戦行動を行っている。1941年12月22日には春日丸に代わり空母祥鳳が4航戦に編入、春日丸は連合艦隊附属となり母艦搭乗員の訓練に使用されたのち輸送任務に就く。

 その後、竣工した姉妹艦ともども輸送任務に就くが、1943年11月15日海上護衛総司令部が設置されると大鷹型空母3隻は同司令部に編入された。この部隊は司令部の名称からも分かるように船団護衛を専門の部隊で大鷹型空母は旧式となっていた九七式艦上攻撃機12機を搭載、対潜哨戒任務に就いた。

 しかし同部隊編入の数週間後の12月4日、冲鷹がサーゴ級潜水艦セイルフィッシュの雷撃により沈没してしまう。その後、大鷹、雲鷹は、12月15日付で編入された空母神鷹海鷹と共に海上護衛作戦に活躍するが、1944年8月8日、大鷹はガトー級潜水艦ラッシャーの雷撃を受け撃沈、さらに9月17日には雲鷹もガトー級潜水艦バーブの雷撃により撃沈された。冲鷹は1944年2月日、大鷹は10月10日、雲鷹は11月10日に軍艦籍より除籍されている。

 大鷹型空母は他の空母に比べて地味な存在であるが、この大鷹型空母の輸送艦としての活躍は凄まじく、就役から海上護衛総司令部に編入されるまでの間に大鷹が18回、雲鷹が21回、冲鷹が13回の輸送任務を行っている。この間に輸送した航空機は2,000機以上であった。この大鷹型空母の活躍なしに日本軍は作戦行動を行うことはできなかったであろう。

 

⇒艦船一覧へ戻る

 

amazonで航空母艦 大鷹型を探す

楽天で航空母艦 大鷹型を探す

 




 

 

↓良かったらクリックして下さい。


ミリタリーランキング