01_大鳳
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 航空母艦大鳳は飛行甲板に装甲を施した空母である。これにより重心位置が上昇したため艦内甲板は翔鶴型より1層減らしており艦載機数は少なくなった。最高速度は33ノットである。初の実戦はマリアナ沖海戦であるがこの海戦で大鳳は米潜水艦の雷撃により撃沈されている。

 

航空母艦 大鳳

 

 

性能

 基準排水量 29,300トン
 全長 260.6m
 全幅 33.6m
 飛行甲板 257.5m × 30.0m
 エレベーター 2基
 機関出力 160,000馬力
 最大速力 33.3ノット
 航続距離 10,977海里 / 18ノット
 乗員 2,038名
 武装 10cm砲連装6基
    25mm機銃3連装17基
    25mm機銃単装25基
    爆雷6個
 搭載機 常用52機、補用1機
 竣工 1944年3月7日
 同型艦 1隻

 

建造

 1939年に計画、1941年7月10日に起工した。基本的な設計は翔鶴型空母と同じであるが、翔鶴型で問題となった飛行甲板の脆弱性を解消するために飛行甲板に装甲を張ることとなった。このため艦の重心位置が高くなり、艦内甲板は翔鶴型よりも1層減らし、エレベーターも通常の3基から前後の2基に減らし、さらにその2基にも50mmの装甲が施されている。

 この重装甲化は、500kg爆弾の直撃に耐えられることを目的に設計されている。因みに装甲は飛行甲板全面に張られている訳ではなく、前後のエレベーターの間だけである。しかしこれにより重心位置の上昇を防ぐために飛行甲板の高さを低くせざるえなくなった。このため、それまでの空母のように舷側に湾曲した下向き煙突を作ると、煙突が海面に接触してしまう可能性があったため煙突は艦橋と一体化した形状となった。

 大和級戦艦と同様に艦首にはバルバス・バウが装備され、エンジン出力は160,000馬力、最高速度は33.3ノットを発揮する。航空燃料の搭載量は990トンと翔鶴型空母の2倍の搭載量を持つが、搭載機数は52機と翔鶴型が80機程度を搭載できることを考えると少な目である。これは格納庫の面積が小さくなったこともあるが、翔鶴建造時に比べると大鳳建造時には航空機は大型化しており、その航空機(烈風流星艦上偵察機彩雲等)の大きさを元に計算したためでもある。

 昔からある話で、大鳳、信濃などの装甲空母は中継用の空母として「洋上補給基地」的な運用法を想定されていたということであるが、どうもこれは計画時に一度出た程度の話のようで実際にはどちらも通常の艦隊型空母として設計されている。そもそもいくら重装甲といっても敵機の集中攻撃を受けては耐えられないだろう。

 1941年7月に起工した大鳳は1943年4月7日に進水、1944年3月7日に竣工している。これは時節柄、当初の建造予定を3ヶ月ほど短縮した結果であった。

 

戦歴

 1944年3月に竣工した大鳳は同月10日、空母翔鶴、瑞鶴と共に第一航空戦隊を編成する。3月28日呉から出航、4月4〜5日にシンガポールに到着した。この際に配電盤火災で一時操舵不能となるが復旧、4月9日にスマトラ島リンガ泊地に到着、第一機動部隊の旗艦となる。

 リンガ泊地で主力空母翔鶴、瑞鶴と共に訓練を行うが、5月11日にはリンガ泊地発、タウイタウイ泊地へ移動、空母隼鷹飛鷹龍鳳で編成される第二航空戦隊、空母千歳千代田瑞鳳で編成される第三航空戦隊と合流した。ここでも訓練が行われるが付近の海域を米潜水艦が遊弋しているため十分な訓練は行えなかった。

 当時の艦載機は零戦52型天山艦攻、彗星艦爆であるが、特に天山艦攻、彗星艦爆は機体が大型で重量があり離着陸速度が速かった。さらに当時は開戦当初の練度の高い搭乗員もほとんど壊滅していたため経験不足の搭乗員による操縦となり訓練は困難を極めた。

 しかし戦雲急を告げ、6月に入ると米機動部隊が中部太平洋に進出してきた。このため第一機動部隊も泊地を出航、一路マリアナ沖に進出、6月18日には米機動部隊と激突、マリアナ沖海戦が勃発した。午前8時頃、大鳳以下第一機動部隊の攻撃隊が発艦、その直後に大鳳は米ガトー級潜水艦アルバコアの雷撃を受け、魚雷1本が命中した。

 この攻撃自体は致命傷とはならなかったが、これにより航空機用のガソリンタンクが破損、そこから漏れ出した航空燃料が艦内に充満していった。雷撃から4時間が経過した14時32分、気化したガソリンに引火して大爆発が発生、消火活動もむなしく2時間後の16時28分に沈没した。竣工から沈没までわずか3ヶ月半であった。

 

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