伊400
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 日本海軍は何でも潜水艦に搭載した。零式小型水偵に水上攻撃機晴嵐、甲標的に特攻兵器回天、海軍特殊部隊や戦車まで潜水艦に搭載した。特殊部隊以外は潜水艦に搭載することにあまり意味があるとは思えないが当時の日本は仮想敵国である米国に対して正面戦力が劣勢であったため様々な「搦め手」を考えたのだろう。

 

潜水艦に偵察機を積む

 

02_零式小型水偵
(画像はwikipediaより転載)

 

 まず最初にあげられるのは零式小型水偵を始めとする小型水上偵察機。これは潜水艦搭載用に設計された小型水上偵察機である。機体は木と金属で成っており、翼はは羽布であった。開発したのはのちに震電を開発して有名になる九州飛行機で、最高速度246km/h、航続距離882km/h、7.7mm機銃1挺に小型爆弾を搭載することもできる。

 この零式小型水偵は世界で唯一アメリカ本土を爆撃した航空機なのだ。この任務を遂行したのは有名な藤田信雄飛曹長。1942年に2回空襲をしている。因みにこの潜水艦伊25はタンカーを撃沈するついでにソビエト連邦の潜水艦も撃沈している。なぜこんなところにソビエトの潜水艦がいたのかはよく分らないけど、この攻撃、ソビエトにバレちゃったようだ。結局、大人の事情で表沙汰にはならなかった。

 

潜水艦に潜水艦を積む

 

03_甲標的
(画像はwikipediaより転載)

 

 潜水艦に潜水艦を積む。。。マトリョーシカ人形のような良く分からない状態だが、日本の潜水艦は甲板上に「潜水艦」を搭載することもあった。潜水艦といってももちろん二人乗りの小型潜水艦でその名は甲標的。太平洋戦争開戦前、仮想敵国が激リッチな米国である日本海軍の悩みの種は、その圧倒的な戦力差であった。何とかその差を埋めようと考案されたのが「漸撃戦術」という戦術であった。

 まさか航空機が海戦の主力となるとは露ほども考えなかった日本海軍では、海戦は戦艦で決着を着けるものと当然のように考えていた。しかし残念ながら非常に貧乏な日本は戦艦の数では米国に太刀打ちできない。おまけにワシントン海軍軍縮条約で戦艦の数も制限されてしまっていた。そうなると戦艦以外の攻撃で相手の戦艦の数を減らそうと当然のように考える。それが「漸撃戦術」なのである。

 中部太平洋から何も知らずにのんきに突き進んでくる米国戦艦部隊に対して、潜水艦、陸上攻撃機、母艦攻撃機、甲標的による攻撃で滅多打ちにして残った艦隊を日本の戦艦部隊が攻撃して大勝利を収める。。。というのが構想である。まあ、当然、米国も同じことをするだろうことは容易に想像できるのであるが、そこはそこ、大和魂や精神力で何とかするつもりだったのだろう。

 ともかく、そのために開発されたのが、小型潜水艦甲標的である。名称が甲標的とヘンテコな名前なのはもちろん外国を騙すために「標的ですよ〜」という意味を込めた名前である。最高速度は23ノット、潜航時は19ノットと意外と速い。武装は魚雷2本を艦首に装備しているのみである。太平洋戦争開戦劈頭の真珠湾攻撃から戦争末期まで使用された。舵がスクリューの前に付いているため旋回性能が悪かったことと、なにぶん潜水しているため潜望鏡以外では外が全く見えないのが欠点であった。

 真珠湾攻撃では潜水艦に搭載された5隻の甲標的が発進したが生還した艇は1隻もなかった。これらの甲標的が戦艦オクラホマに魚雷を命中させたという説もあるが実際のところは不明だ。潜水艦から発進する場合が多かったが、甲標的母艦千代田、陸上基地からも運用された。地味に戦果を挙げてはいるものの生還率が非常に低いため決死の出撃をすることになる。ともあれ、潜水艦に潜水艦を搭載するというのも日本以外無いんじゃないだろうか。

 

潜水艦に爆撃機を積む

 

04_晴嵐02
(画像はwikipediaより転載)

 

 そして晴嵐。偵察機からさらにグレードアップして、潜水艦に攻撃機を搭載することにした。晴嵐とは太平洋戦争開戦後に開発が開始された超高性能水上攻撃機である。最高速度は474km/hでフロートを投棄すると560km/hと零戦52型並みの高速を発揮することができる。航続距離は2,000kmで終戦までに28機が生産された。超高性能仕様だったため生産コストは零戦50機分にも相当すると言われている。

 この晴嵐は伊号400型潜水艦に3機、伊号13型に2機搭載することが可能であった。本来の目的は海戦初期の段階で、パナマ運河を破壊して米大西洋艦隊を足止めすることだった。晴嵐が完成したのは1943年、海軍が受領したのは1944年。これって開戦当初に必要だった戦力な訳で・・・。

 ともかくこの晴嵐、世界初(そしてたぶん最後)の潜水艦搭載攻撃機という意義は大きい。世界初の戦略潜水艦の誕生とまで言われることがあるが実際の攻撃力は攻撃機3機のみ。最大800kg爆弾1発が搭載可能なので晴嵐3機で世界中のあらゆる場所に800kg爆弾3発が投下可能である。戦略にどこまで影響を与えることができたのかは難しいところだ。

 

潜水艦に戦車を積む

 

05_特二式内火艇カミ車
(画像はwikipediaより転載)

 

 日本の潜水艦は戦車も積んでしまう。その潜水艦搭載戦車とは、水陸両用戦車「特二式内火艇」。もう名称からして戦車なのか船なのか分からない。「カミ車」ともいう。これは海軍の頭文字「カ」と出処不明の「ミ」を合わせたコードネーム。「ネ申」ではないので注意。陸軍の九五式戦車をベースに水上航行可能に改造した車両?、艇?である。

 全長7.42m、最高速度が37km/h、水上では9.5km/h、主砲は37mm戦車砲である。上陸後にフロートを外すことになっているが、本体の装甲があまりにも貧弱であるためフロートを装着したまま使用されることも多かった。本来、強襲揚陸艦に搭載されて運用されるものであるが、潜水艦に搭載して運用することを想定していた。

 実は日本軍にはその強襲揚陸艦の元祖ともいえる特種船あきつ丸が存在していたのであるが、これは海軍とあまり仲がよろしくない陸軍が建造した空母であったため、陸軍とあまり仲がよろしくない海軍が作った戦車を運用することは難しかったのである。陸軍が造った空母に海軍が作った戦車を載せられない。。。もう何だか分からない。因みに後継の特三式内火艇も潜水艦に搭載することができる。

 

 

人間魚雷回天

 

回天01
(画像はwikipediaより転載)

 

 甲標的は極めて危険度の高い決死の兵器であったが、回天は必ず死ぬ必死の兵器である。これも潜水艦に搭載されていた。初期のものは回天と潜水艦に交通筒が無く、回天を発進さるためには一旦浮上して乗員を回天に登場させる必要があった。つまりは敵の近くで一旦浮上するということでかなり危険が伴った。

 一見、人間が操縦するので命中率が高いのではないかと思われるかもしれないがそうでもない。まず窓がないので外が見えない。そしてあったとしても海中は真っ暗で何も見えない。位置の測定は潜望鏡とジャイロスコープで行う。要するに「目が見えない」状態での操艦を余儀なくされる。

 潜望鏡を上げれば発見されてしまうので搭乗員はジャイロスコープとストップウォッチで自艦の位置と目標を計算しながら同時に操艦もする。このため搭乗員には高い知能と練度そして強靭な意志と勇気が必要だ。つまり回天搭乗員は高度な能力を持った人材でなければならない。もちろん特攻兵器なので乗員は使い捨てだ。

 

運貨筒

 

 潜水艇が積めるのであればもちろん同じ潜水艇である運貨筒も積める。この運貨筒というのは物資輸送用の潜水艇だ。潜水艦によって曳航され目的地で切り離される。それを大発等で回収するのだ。南方で使用されたようだ。

 

海軍特殊部隊

 

 正式には呉鎮守府第101特別陸戦隊という。これは潜水艦等で隠密裏に上陸を行い各種の特殊任務を行うという現在のアメリカのSEALチームと同様の発想で1944年に養成が始められた海軍特殊部隊だ。剣道や柔道の有段者を集め信じられないくらい過酷な訓練を行った。もし日本海軍が存続していればSEALのような部隊が独自に日本でも編成されていたかもしれない。

 

まとめ

 

 以上のように日本海軍の潜水艦にはさまざまなものが搭載された。または搭載されるところだった。発想自体は革新的なものも多かったが、水陸両用戦車を搭載するという基本的に意味がないものもあった。このような「搦め手」を選んだ背景には日本の国力が米国に対して劣勢であったことが挙げられる。管理人の意見として「まずは正攻法で潜水艦を運用したらどうだ?」と言いたいね。

 

⇒艦船一覧へ戻る

 

amazonで潜水艦を探す

楽天で潜水艦を探す

 




 

↓良かったらクリックして下さい。


ミリタリーランキング