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(画像は瑞鶴 wikipediaより転載)

 

要約

 航空母艦翔鶴型は前級飛龍型を大型化した空母である。機関は大和級戦艦と同じ機関を使用しているため大型空母でありながら34ノットという高速を発揮できる。飛行甲板が若干小さかったことを除けばバランスの良い空母で日本海軍の空母の一つの到達点と言って良い。太平洋戦争直前に竣工、翔鶴は真珠湾攻撃からマリアナ沖海戦、瑞鶴はエンガノ岬沖海戦まで活躍した。

 

航空母艦 翔鶴型

 

 

性能

 基準排水量 25,675トン
 全長 257.5m
 全幅 26m(水線幅)
 飛行甲板 242.2m × 29.0m
 エレベーター 3基
 機関出力 160,000馬力
 最大速力 34.2ノット
 航続距離 9,700海里 / 18ノット
 乗員 1,660名
 武装 12.7cm高角砲連装8基
    25mm機銃3連装12基
    爆雷6個
 搭載機 常用72機、補用12機  竣工(1番艦 翔鶴) 1941年8月8日
 竣工(2番艦 瑞鶴) 1941年9月25日
 同型艦 2隻

 

概要

 航空母艦飛龍の設計を拡大、艦隊型大型空母として設計された。建造開始時点で日本はロンドン海軍軍縮条約からは脱退しており、トン数制限のない状態で建造された。1番艦翔鶴は1937年12月12日に横須賀造船所で起工、瑞鶴は半年後の1938年5月25日に川崎造船所神戸艦船工場で起工している。

 航空母艦 翔鶴型は当初、アイランドを飛龍と同様に左舷に設置する予定であったが、レシプロ機の場合、着艦に支障があるため右舷に変更された。このため当初の計画であれば右舷に煙突、左舷に艦橋という形でバランスが取れていたのだが、どちらも右舷にいってしまったので飛行甲板の中心を左にずらし、内部構造を変更、さらにはバラストを搭載したりと手間がかかっている。

 エンジンは160,000馬力でこれは大和型戦艦よりも強力であり、日本海軍艦艇の中で最高出力である上に、艦首には大和型戦艦と同様にバルバスバウを導入、船体は高速を出すために細長く設計されていたため最高速度は34ノットと高速を発揮することができた。しかしこの船形のため飛行甲板は先に行くにしたがって細くなる形状、船体よりも15mも短くなってしまった。さらにローリングに弱いという欠点もあった。しかしそれ以外には特に目立った欠点は無く、日本空母の一つの到達点といってもよい。

 前述のように翔鶴は1937年12月起工、1939年6月1日に進水、1941年8月8日に竣工している。姉妹艦瑞鶴は1938年5月起工、1939年11月27日に進水、1941年9月25日に竣工しているが、瑞鶴の建造時はすでに太平洋の雲行きが怪しくなってきた時期であったので工期を短縮させて建造されている。

 

戦歴

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(画像は翔鶴 wikipediaより転載)

 

 竣工した翔鶴と瑞鶴は第五航空戦隊を編成した。因みに当時の航空戦隊の空母は、一航戦が赤城加賀、二航戦が蒼龍、飛龍、三航戦が鳳翔瑞鳳、四航戦が龍驤、五航戦が翔鶴、瑞鶴である。五航戦は訓練を終えると択捉島単冠湾に移動、1941年12月8日、一航戦、二航戦と共に真珠湾攻撃を行った。

 1942年1月にはラバウル空襲、3月にはインド洋作戦に参加、セイロン沖海戦、コロンボ空襲に参加する。5月8日には珊瑚海海戦に参加、空母レキシントンを撃沈、ヨークタウン撃破という戦果を挙げたが、日本側は祥鳳を失い、翔鶴が450kg爆弾3発、至近弾8発を受け大破した他、97機の航空機と多くの搭乗員を失った。

 五航戦の搭乗員の練度は第一航空艦隊の中では一番低く一航戦、二航戦からは馬鹿にされていたようだが、それはあくまでも一航戦、二航戦との比較の問題であった。開戦時の五航戦の搭乗員の技量というのは世界的にみても非常に高く、珊瑚海海戦でこの熟練搭乗員を多数失ったのは大きな痛手であった。同海戦に参加したエースパイロットである岩本徹三一飛曹は、海戦後、人がまばらになった搭乗員室に寂しさを感じている。

 幸か不幸か、珊瑚海海戦であまりにも損害が出てしまったため五航戦はミッドウェー作戦には参加していない。ミッドウェーの大敗により日本は主力空母4隻を一度に喪失したため翔鶴と瑞鶴が以後の日本機動部隊の中核となる。7月14日には五航戦は解隊、あらたに瑞鳳を加え3隻で一航戦を編成、同時に第三艦隊に編入された。

 8月、米軍のガダルカナル島進攻により一航戦もソロモン海に進出、8月24日にはエンタープライズサラトガワスプで編成される第61任務部隊と激突、第二次ソロモン海戦が勃発する。この海戦で米軍は空母ワスプを失い、日本側は翔鶴、瑞鶴には大きな損害がなかったものの龍驤を失っている。

 そして10月25日には南太平洋海戦に参加、瑞鶴はほとんど被害がなかったものの翔鶴が再び大破している。これらの連戦により翔鶴、瑞鶴は搭乗員の多くを失い、内地にて再編成を行ったものの経験の浅い搭乗員が多くなった。この状況に輪をかけたのが1943年11月より始まったろ号作戦であった。

 1943年11月1日、米軍がブーゲンビル島に上陸すると日本海軍は一航戦の航空隊のほとんどをラバウル基地に進出させ、基地航空隊と共に大反撃作戦を行った。このろ号作戦は10日間程度の作戦であったが、この作戦で一航戦は半数以上の搭乗員を失った。

 1944年3月には一航戦に空母大鳳が編入、翔鶴、瑞鶴、大鳳の3隻となった。6月19日にはマリアナ沖海戦に参加、この海戦で翔鶴は、米潜水艦カヴァラの放った魚雷3〜4発が命中、被弾時に気化した航空燃料が爆発、14時過ぎに乗員1,272名と共に沈没した。

 瑞鶴は被弾しつつも内地に帰還、マリアナの戦訓からガソリンタンクの防御強化や不燃化対策が採られた他、緑を基調とした迷彩が施された。しかし10月20日になると捷号作戦が発動、瑞鶴は機動部隊の旗艦としてハルゼー中将の第38任務部隊と戦闘を行うが25日14時過ぎ、米機動部隊の集中攻撃を受けて撃沈した。両艦ともに1945年8月31日に除籍されている。

 

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