(画像はwikipediaより転載)
要約
龍鳳は軍縮条約の抜け道として潜水艦母艦として建造、有事の際には航空母艦に改装できるように設計されていた。電気溶接を多用したことと大型艦としては初めてディーゼル機関を採用したことが特徴である。
潜水艦母艦として太平洋戦争開戦を迎えたがすぐに空母への改修を開始するが工事中の被弾や他の艦艇の修理が優先されたため空母として竣工したのは1942年11月28日であった。同年暮れより実戦部隊に配属、輸送任務に就いたのちマリアナ沖海戦に参加する。その後は航空部隊が壊滅してしまったため輸送任務に就くが空襲で被弾、そのまま終戦を迎える。損傷が大きかったため復員船には指定されていない。
航空母艦 龍鳳
性能
基準排水量 13,260トン
全長 215.65m
全幅 20.0m
機関出力 52,000馬力
飛行甲板 185m×23mm
飛行甲板 200m(または206m)×23.0mm
エレベーター 2基(13×12m)
最大速力 26.2ノット
航続距離 11,340海里 / 10.5ノット
乗員 785名
武装 40口径12.7cm高角砲連装4基
25mm3連装機銃10基
25mm連装機銃4基
25mm単装機銃23挺等
搭載機 常用24機、補用7機
竣工 1942年11月28日
同型艦 1隻
概要
龍鳳は瑞鳳型空母の準同型艦である。瑞鳳型同様、ワシントン、ロンドン海軍軍縮条約では、戦艦から駆逐艦に至るまで総トン数が定められ、それを超えての建造は禁止されていた。そこで日本はその抜け道として、潜水母艦や給油艦として建造し、有事の際には3ヶ月以内に空母に改装できる艦の建造を計画した。その計画によって建造されたのが瑞鳳型、そして準同型艦である龍鳳である。
1933年4月12日に起工、1933年11月16日進水、1934年3月31日に潜水母艦大鯨として竣工した。大鯨の特徴は1万トン級大型艦としては初めて電気溶接を多用して建造されたことが挙げられる。大型艦としては初めてディーゼルエンジンを採用したことである。計画ではディーゼルエンジンを搭載した大鯨の最高速度は20ノットとなる予定であった。
この20ノットとは空母に改装する艦としてはあまりに低速であるが、これは軍縮条約の制限外となるための対策で、空母改装時はディーゼルエンジンを4基から8基に強化して最高速度33ノットを出す予定であった。
潜水母艦大鯨
(画像はwikipediaより転載)
竣工したものの、大鯨は翌年1935年9月の第四艦隊事件で溶接部分に亀裂が出るなどの被害を受けたため、その修理と主機換装を行ったため、1936年2月から1937年7月まで横須賀に入渠した。1937年8月には第三艦隊に所属、中国方面に進出するが、10月には工事を再開、各種補強工事等が行われた。これら一連の改修工事により問題点はほぼ解決され1938年9月には第一潜水戦隊に編入、艦隊旗艦となった。
1940年11月15日に新たに潜水艦艦隊である第六艦隊が編成されると第一戦水戦隊も編入されたが、1941年4月10日には第二戦水戦隊に変更、第二戦水戦隊艦隊旗艦、さらに9月3日には第三戦水戦隊に変更、11月にはクェゼリン環礁に進出、真珠湾攻撃に参加する潜水艦隊に補給を行ったのち12月4日には呉に帰港している。
航空母艦龍鳳
太平洋戦争開戦後は、瑞鳳型空母と同様に空母改装工事に着手、予定では3ヶ月で完了するはずであったが、ディーゼルエンジンをタービンエンジンに換装したことやドーリットル隊の爆撃を受けたことで工事が遅延、さらに珊瑚海海戦で被弾した翔鶴の修理等が重なり空母改装が完了したのは1942年11月28日であった。空母として竣工した大鯨は新たに航空母艦龍鳳となった。
龍鳳と瑞鳳型は基本的に同型艦であるが違いがある。排水量が瑞鳳が11,000トン強であるのに対して龍鳳は13,260トンと2,000トンほど大きく、飛行甲板も5mほど長いが、最高速度は瑞鳳型28ノットに対して26.5ノットと低速になっている。その他エレベーターの位置等も瑞鳳型と異なる。
戦歴
空母として竣工した龍鳳は直ちに第三艦隊に編入、12月には陸軍の九九式双発軽爆撃機を輸送するためにトラック泊地に向かうが、12日には八丈島沖でガトー級潜水艦ドラムの攻撃を受けたため横須賀に引き返した。1943年1月には空母鳳翔と共に第五十航空戦隊を編成、母艦搭乗員の錬成教育にあたった。
6月12日には航空機輸送任務中であった第二航空戦隊の飛鷹が被雷してしまったため、龍鳳は二航戦に編入、二航戦は飛鷹の輸送任務を受け継ぎトラック泊地に進出した。7月には龍鳳航空隊のみがブーゲンビル島ブイン基地に進出するが1ヶ月の戦闘で航空機の半数を失い解隊した。その後龍鳳は輸送任務に活躍している。
1944年6月にはマリアナ沖海戦に参加しているが、これが龍鳳唯一の海戦である。マリアナ沖海戦では被弾こそしなかったものの、航空部隊を失った龍鳳は再び輸送任務に活躍することになる。1945年には練習空母として運用されるが、3月19日の呉軍港空襲により中破している。因みにこの呉軍港空襲が戦闘機紫電改の初陣であった。4月20日にはもう大型艦が作戦を行う余地がないため龍鳳を含めた大型艦は全て予備艦に指定された。
その後は対空砲台として利用されて終戦を迎える。戦後は損傷が酷かったため復員船としては指定されずに1946年4月に解体開始、9月25日に解体完了した。
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