01_海鷹
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 海鷹は1939年に貨客船あるぜんちな丸として竣工、1941年に海軍に徴庸された。1942年に特設輸送船としてミッドウェー攻略戦に活躍するが1942年12月に海軍に買収、1943年11月に空母への改装が完了、同年12月に海上護衛司令部へ編入された。1944年12月より船団護衛に活躍したのち1945年4月には連合艦隊附属に編入したが7月に触雷したため別府湾に曳航、同月空襲により被弾擱座して終戦を迎えた。

 

航空母艦 海鷹

 

性能

 基準排水量 13,600トン
 全長 166.55m
 全幅 21.90m
 飛行甲板 160m×23m
 エレベーター 2基(13×12m)
 機関出力 52,510馬力
 最大速力 23.82ノット
 航続距離 7,000海里 / 18ノット
 乗員 587名
 武装 12.7cm高角砲連装4基
    25mm3連装機銃8基
 搭載機 常用24機、補用0機
 竣工 1943年11月23日
 同型艦 1隻(大鷹型としては5隻)

 

概要

 航空母艦海鷹は大阪商船が建造した貨客船あるぜんちな丸を海軍が徴庸して空母に改装した艦である。あるぜんちな丸は1938年2月5日に起工、同年12月9日に進水、1939年5月31日に竣工した12,755トンの大型貨客船であった。以降、南米航路を中心に活躍するが、1941年9月29日海軍に徴庸された。

 当初は航空母艦としての運用ではなく、一般徴庸船として輸送任務に従事していたが、1942年5月1日特設輸送船となり武装が装備された。6月のミッドウェー作戦では攻略部隊を乗せてミッドウェーに侵攻するが、ミッドウェー海戦の敗北により帰投した。その後、輸送任務に活躍するが、12月9日に空母へと改装するため海軍に買収された。

 1943年11月23日、改装工事が完了して軍艦籍に編入、大鷹型航空母艦海鷹となった。空母化された海鷹は排水量13,600トンと17,830トンの大鷹型に比べて二回りほど小型であるが、空母への改装時に主機を陽炎型駆逐艦のボイラーとタービンへ交換されたため、最高速度は23.82ノットと大鷹型に比べて3ノットほど速い。飛行甲板は160m×23mで大鷹型の162m×23.7mよりは若干狭い。

 どのみち大鷹型空母と同様に当時の第一線機を運用するには飛行甲板の大きさも最高速度も不足しており日本はカタパルトを実用化できなかったこともあり艦隊型空母として実戦投入するのは難しかったが、艦載機は零戦18機、九七式艦上攻撃機6機が搭載される予定であった。

 

戦歴

02_海鷹
(画像はwikipediaより転載)

 

 竣工した海鷹は、12月15日、シーレーン防衛の専門部隊である海上護衛総司令部に編入、大鷹型空母大鷹、雲鷹、神鷹と共に船団護衛に割り当てられる(冲鷹は12月4日に潜水艦の雷撃により沈没)。海鷹が実際に船団護衛を開始したのは、1944年3月17日付で第一海上護衛隊に編入されてからで、931航空隊の九七式艦攻12機を搭載、船団護衛任務に就いた。

 1944年12月10日、第1護衛艦隊に編入、12月から1945年1月にかけて船団護衛を行った。これが海鷹最後の船団護衛であった。3月28日には呉鎮守府護衛部隊、4月20日には連合艦隊附属に編入された。以降は内海で航空隊の訓練の標的艦として任務をこなしたが、7月24日、四国の佐多岬沖で磁器機雷に接触して行動不能となり駆逐艦により大分県別府湾に擱座、同月28日米艦載機の空襲で直撃弾3発を受けたため完全に着底、海鷹は放棄された。11月20日除籍、1946年9月1日解体開始、1948年1月31日解体が完了した。

 

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