
(画像はwikipediaより転載)
要約
飛龍は1939年7月5日に竣工した日本海軍の航空母艦で排水量17,300トン、全長227m、最高速度35ノット、航空機73機を搭載できる。蒼龍と姉妹艦として建造が開始されたものの軍縮条約脱退により設計の自由度が増したため蒼龍とは異なる準同型艦となった。最大の特徴は蒼龍よりも大型化された艦橋が飛行甲板上左側に設置されていることである。日中戦争で実戦参加、太平洋戦争では第一航空艦隊に所属して活躍するがミッドウェー海戦で撃沈された。艦橋の位置以外は非常にバランスの良い空母であったため以降の中型空母は飛龍の設計をベースとして建造された。
航空母艦 飛龍
性能
基準排水量 17,300トン
全長 227.35m
全幅 27.40m
飛行甲板 216.9m × 27.4m
エレベーター 3基(前16×12m、中12×11.5m、後10×11.8m)
機関出力 153,000馬力
最大速力 34.6ノット
航続距離 7,670海里 / 18ノット
乗員 1,103名
武装 40口径12.7cm高角砲連装6基
九六式25mm高角機銃3連装7基
九六式25mm高角機銃連装5基
九一式爆雷6個
搭載機 常用57機、補用16機
竣工 1939年7月5日
同型艦 1隻(準同型艦に蒼龍)
開発経緯
1934年に空母蒼龍の姉妹艦として建造が決定した。しかし起工するまでに友鶴事件、第四艦隊事件が発生したことにより蒼龍に比べて復元性の高い、強度の高い空母となった。1936年7月8日起工、1937年11月16日進水、1939年7月5日に竣工している。
蒼龍との違いは船体構造溶接化の破棄したことや、それまでの空母の運用実績から飛行甲板を広く設計、蒼龍に比べて幅が1m広くなっており、復元性、凌波性を向上させるために艦首1m、艦尾も40cm乾舷を高く設計している。飛行甲板に装甲は施していないものの機関室と操舵機室は12.7cm砲の直撃、ガソリンタンクと弾薬庫は20cm砲の直撃にも耐えられるように設計されている。
外観上最も特徴的な違いは、艦橋で、蒼龍に比べて大型化、高層化している他、蒼龍の艦橋が右舷の中心よりもやや前方に設置されたのに対して飛龍は左舷中央に設置されている。これは右舷に設置された煙突とのバランスをとるというのが主な理由であったが、実際に運用してみるとプロペラの回転方向の関係からレシプロ機は左に流れやすいため、左舷に設置された艦橋は飛行機の発艦の邪魔になった。着艦に際しても気流が乱れるため運用上は都合が悪く、以降の空母は右舷艦橋で統一されている。
しかし艦橋の位置以外には非常にバランスの良い空母であったため、以降の中型空母は飛龍の設計を踏襲して建造された。全長は227.35m、全幅22mと空母としては中型の部類に属するが、最高速度は34.6ノットと高速である。
戦歴

(画像はwikipediaより転載)
1939年11月5日に竣工、15日に蒼龍と共に第二航空戦隊に配属される。1940年4月の福建省爆撃が初の実戦参加となった。さらに9月には仏印進駐を支援を行った後、1941年4月10日、二航戦は第一航空艦隊に編入、7月には南部仏印の支援を行っている。
太平洋戦争開戦後は、真珠湾攻撃に参加するも航続距離が他の空母よりも少ないため軍紀違反の過剰な燃料搭載を行っている。真珠湾攻撃では第二波攻撃隊から零戦1機、九九式艦爆2機の損害を出している。作戦終了後、一航戦、五航戦の空母はそのまま帰途に就いたが、二航戦はウェーク島攻略の支援を行ったことにより九七式艦上攻撃機2機を失ったのち12月29日、内地に帰還している。
1942年2月には南方に進出、インドシナ方面で作戦行動を行ったのち4月にはセイロン島コロンボ空襲、セイロン沖海戦に参加、飛龍攻撃隊は他の空母の攻撃隊とともに空母ハーミーズを撃沈している。6月にはミッドウェー海戦に参加、空母赤城、加賀、蒼龍が米海軍のSBDドーントレス爆撃機の攻撃により大破したのちも米機動部隊への反撃を行い空母ヨークタウンを大破させたもののヨークタウン攻撃隊の爆撃により大破、6日に沈没した。
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