
(画像はwikipediaより転載)
要約
浅間級は日本帝国海軍の装甲巡洋艦で同型艦は2隻でどちらも1899年に竣工している。排水量9,700トン、全長135m、最大速度22ノット、主砲は45口径20.3cm連装砲2基である。日露戦争前に就役、日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争に参加する。特に2番艦常磐は太平洋戦争においても敷設艦として第一線で活躍、大破しつつも撃沈されることなく終戦を迎えたという殊勲艦であった。両艦共に戦後解体処分されている。
装甲巡洋艦 浅間級
性能
通常排水量 9,700トン
最大排水量 -トン
全長 134.72m
全幅 20.45m
吃水 7.4m
機関出力 18,000馬力
最大速力 21.5ノット
航続距離 7,000海里/10ノット
乗員 661名
武装 45口径20.3cm砲連装2基
40口径15cm砲単装14基
40口径8cm砲単装12基
4.7cm砲単装8基
45.7cm水上発射管1門
同水中発射管4門
装甲 舷側 17.8cm
甲板 7.6cm
主砲 -cm
竣工(1番艦 浅間) 1899年3月18日
竣工(2番艦 常磐) 1899年5月18日
同型艦 2隻
特徴
英国アームストロング社が売却目的で見込み生産していた巡洋艦を日本が購入、1番艦浅間は1899年に竣工した。艦首に衝角を装備した最後期の軍艦である。排水量9,700トン、全長134.7m、全幅20.45mで18,000馬力、最高速度21.5ノットを発揮する。主砲は20.3cm連装砲で前後に1基ずつという当時の一般的なレイアウトであった。主砲の射程距離は18,000mで発射速度は2発/分である。最大仰角は30°、俯角5°、揚弾は電動で各砲120発の砲弾が搭載されていた。副砲は40口径15.2cm単装砲14基で他に40口径8cm砲12基、4.7cm単装砲8基、さらに45.7cm水上魚雷管1基、同水中魚雷管4基を装備している。装甲はハーヴェイ鋼で喫水線を中心に配置されている。
同型艦
浅間(起工1896年10月20日、進水1898年3月22日、竣工1899年3月18日)
常磐(起工1897年1月6日、 進水1898年7月6日、竣工1899年5月18日)
戦歴

(画像はwikipediaより転載)
1番艦浅間は1897年10月に就役、一等巡洋艦に類別される。1900年には義和団の乱鎮圧に出撃、日露戦争では仁川沖海戦、黄海海戦、日本海海戦で活躍した。第一次世界大戦では巡洋艦出雲、戦艦肥前と共にアメリカ西海岸での哨戒任務についた。その際にメキシコで座礁事故を起こしている。1921年9月、一等海防艦に類別変更。1935年10月には瀬戸内海で再び座礁。この座礁での損傷により練習艦となった。1945年11月除籍、1947年に解体された。
2番艦常磐は1899年5月に竣工、同年7月に就役する。1900年、姉妹艦浅間と共に義和団の乱の鎮圧に出撃、日露戦争でも活躍する。第一次世界大戦では青島攻略に参加、1921年9月一等海防艦に類別変更。1922年から1923年にかけて敷設艦に改造された。その後、日中戦争にも参加、太平洋戦争開戦後はマーシャル諸島に展開、1943年6月、本土に帰投。日本近海で機雷敷設や訓練に従事する。1945年8月、大湊で米軍機の空襲を受け大破した状態で終戦を迎える。1945年11月除籍、1946年解体される。
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ピエール隊長
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