(画像はwikipediaより転載)
要約
震電が量産されてもエンジンや機体の不具合に悩まされる上、材料の不足や生産力から機体数が揃えられず、その機体に練度不足のパイロットが搭乗することになる。さらに日本のレーダーや無線機は能力が低いため戦果は挙げられなかったのではないか。所詮は一兵器で戦局が挽回されることはなく戦争の勝敗は国力が物を言う。ゲームチェンジャーは存在しない。
震電が実戦配備されていたら戦局は変わったか
空想よ。クウソウ
局地戦闘機震電とは九州飛行機が第二次世界大戦中に開発した局地戦闘機である。特徴はエンテ式と呼ばれる機体の構造とジェット戦闘機のようにエンジンが機体最後部に位置していることである。震電は1944年6月に開発が決定、1945年6月には一号機が完成するというスピード開発であったものの、戦局はひっ迫しており、同年7月に初飛行、さらに8月に2回目の初飛行をしたところで終戦となり、わずか1機が試験飛行をしただけで量産されることはなかった。
しかし計画の性能が最高速度750km/hを想定していたことや独特の形状から架空戦記等では人気があり、中には量産化された震電が敵重爆撃機をバッタバッタと撃墜するようなものもある。それではこの震電、もしも完成していれば本当にそのような活躍をすることが出来たのだろうか。頭の体操のつもりで想像してみよう。
例によって私は綿密に調査をして思考実験をしている訳ではなく、遊び半分で適当に考えて書いているので「可能性をもっと考慮するべきだ」「一面的な見方である」というような批判は御遠慮願いたい。なぜならばこれから書く内容は全く一面的な見方で何ならデータも間違っているかもしれない。どうせ空想の話、楽しく想像を膨らませればようじゃあないか。
局地戦闘機とは
震電とはそもそもどういう飛行機なのかというところから書いていきたい。震電は海軍の分類では局地戦闘機と呼ばれるもので、これは対爆撃機用の戦闘機を意味する。一般的な零式艦上戦闘機等の対戦闘機戦を主としている機体は海軍では艦上戦闘機(艦戦)と呼ばれる。特徴としては主に基地の防衛用に使用される機体であるため艦戦に比べて重武装で高速であるが、同時に航続距離はあまり重視されない。このため滞空時間が短いものが多く、重武装で高速であるが故に対戦闘機戦は不得手である。
一応、局地戦闘機とはそのような「傾向」のある機体であるが、あれもこれもと「万能戦闘機」を要求する帝国海軍、「速力が早く格闘戦能力も高く重武装で航続距離も長い方がイイのー!」とそれが出来れば苦労はないということを結構本気で主張してくるのだ。たまに技術者が反論するとグーパンチが出てしまうこともあったとか。。。
その結果、局地戦闘機でありながら制空戦闘機としても高性能を発揮した紫電改のような機体もあるが、夜間戦闘機月光のように盛り込み過ぎで凡庸になってしまった機体もある。もっとも月光は偶然が重なり本土防空戦に活躍することになるのだが。
それはともかく局地戦闘機というのは対大型機用の機体で当時の日本の用兵としては基本的には敵爆撃機の上空で待機、来襲した爆撃機に対して急降下、一撃してすり抜け、さらに上昇して同じことを繰り返すというものであった。スパッと剣を抜いて一撃、さらに鞘に納めてまたスパッとやる。居合のようなものだ。
震電の特徴
(画像はwikipediaより転載)
特に震電はそれに特化した機体となることを想定していたようで、エンテ式、前翼式ともいう主翼がコックピットよりも後方にある現在の戦闘機のような形状をしており、プロペラは何と最後尾に付いている。この独特の形状のため機首部に機関砲を集中させることが出来るため命中精度も期待ができた。
そしてエンジンは零戦が初期に採用を検討した金星エンジンの系統に属するハ43エンジン。これは2,000馬力級エンジンで紫電改に搭載されていた誉エンジンよりも強力なものであった。予想されていた最高速度は何と750km/h。前述の戦い方に特化すれば相当な戦果を挙げられたといわれる。
この震電がもしも早め本土防空戦に間に合う時期に開発が成功していたらどのようなことになったのか。ということを想像してみよう。が、それ以前に、震電は完成していても計画のスペックは発揮できなかったのではないかと思うのだ。これを言ってしまうと白けてしまうかもしれないが、少しこれについて書いてみよう。
機体数が揃えられない
日本は陸海軍共通で同じような航空機を何機種も試作、量産した。太平洋戦争中盤にはもはや実用性がないことは判明していた水上戦闘機強風等も戦争中盤以降も開発が続けられ全くもやは水上戦闘機の出番のない戦争後半に実戦に投入されているなど無意味な航空機の生産を行っていたりしたのだ。これは陸海軍共通で、その上、陸海軍は仲が悪かったためか零戦と隼のように同じような性能の機体を別々に生産、運用したりした。このため工場は様々な機種の機体が同時に生産されるという地獄絵図となっていた。
さらに日本(特に海軍)はシーレーン防衛なんて全く興味がなかった。「やはり男は敵戦艦と正面から戦ってナンボのもんじゃーい!」と言わんばかりに輸送船の護衛など後回し、「シーレーンって食べられるんですかぁー?」くらいのレベルに軽視していた。このため戦争が始まるとシーレーンが攻撃され南方資源地帯から輸送される物資はどんどん減少していった。
少ない資材に多機種の製造と工場の生産ラインがヒーヒー言っているところにさらに震電が生産ラインに入る訳なので材料や生産ラインから考えてると大量生産など夢のまた夢だ。
機体の粗悪乱造
それでも震電が生産ラインに乗ったとしよう。当時の工業で使う部品は現在のように規格がしっかりとしたものではなく、現在からみれば結構いい加減だった。同じパーツでも大きさが微妙に違うというのは当たり前。そこを調整するのが熟練工だったりする。
しかしその熟練工たちも徐々に徴兵されていき、その代わりに動員されたのは学生やらその他もろもろのトーシローばかりとなった。技術は無い、経験もないというナイナイ尽くしの素人集団が航空機の製造を行うという修羅場と化していた。
丁寧にゆっくり教えて育てれば何とかなったかもしれない。しかし軍の監督官は決まった数を決まった期日に納入せよとブチギレ、その上ノルマはどんどん上がっていく。こうなると仕方ないのでとりあえず数だけは揃えて納品する。もちろん品質は強烈なものになる。太平洋戦争後期になると部隊から航空機の受領に来たパイロット達は航空機の形をした物体の中からちゃんと動く航空機を探して取り合い勝ち取った部隊が受領するという惨状となっていた。
粗悪乱造は全ての航空機、いや、航空機だけでなくあらゆる兵器の製造構造で起こっていたことなので震電が生産ラインに乗ったとしても同様の状態になっただろうことは間違いない。工場には粗悪な震電らしき形状の飛行機っぽいのが並んでいるという状態になっただろう。
エンジンの不具合に悩まされる
(画像は誉エンジン wikipediaより転載)
それでも一応、実戦配備ができるくらいの震電が生産されたとしよう。生産された震電数百機は迎撃を主任務とする302空や332空、352空等に配備された。とする。しかしここでもまた問題がある。それは稼働率というものだ。当時の日本の技術力は欧米ほど高くはない。完成した製品も故障なく正常に作動するとは限らないのだ。
工業製品というのは優秀な設計者が図面を引いてその通りに作れば出来上がるというものではない。その設計の通りに作るためには部品が必要だが、その部品を作る技術、その部品を作る機械を作る技術。。。と優秀な製品を作るためには膨大な技術の蓄積が必要なのだ。当時の日本は未だ工業化して数十年、残念ながら欧米のような技術や工業の蓄積がなかった。エンジンを開発しても技術レベルの問題でどうしても欧米のようにはいかない。エンジンも非力な上に不具合も多かった。
このため日本の航空機は欧米に比べ稼働率が低い。震電のエンジンであるハ43は金星エンジンの系統をひくエンジンだけど実戦で使用されることはなく終戦までに77台が製造されたのみだ。このためハ43がどのくらいの稼働率であったのかは分からない。だが太平洋戦争末期のエンジンは陸海軍問わず全エンジンが不具合に悩まされているのでハ43も同様であっただろう。
さらに高空から飛来するB-29を激撃するためにはさらに高高度に位置しなければならないが、このために必要な高高度過給機の開発も難航しており、とても量産なんてできるレベルではなかった。つまりは完成したとしても震電はエンジンの不調に悩まされる上に高高度過給機が未熟な(もしくは装備されていない)状態で運用されることとなる。
操縦する人がいない
それでも1機も動かないということはないので数十機の震電が実戦配備されたとしよう。しかしここで機体とは別の問題が出て来る。パイロットがいないのだ。日本のエンジンはパワーがなかった。そのために機体は軽量化され当然のように防弾性能は低かった。
さらに問題は日本軍に蔓延していた人命軽視思想だ。脱出したパイロットの救出も米軍のように徹底してない。それどころか敵地で脱出するなら戦死せよと命令していた指揮官もいるくらいだ。このため戦闘で撃墜されると多くの場合パイロットは戦死する。
その結果、戦争後半になると熟練パイロットは消耗し尽くしてしまっており、第一線の航空隊は飛行経験の浅いパイロットばかりになっていた。何とか震電が実戦部隊に配備されたとしてもそれを駆るのは経験の浅いパイロット達が主力となる。
レーダー、無線機の低性能
さらに局地戦闘機に戦果を挙げさせるために必要なものはレーダーである。前述のように局地戦闘機は航続距離が短い。敵が来襲したことを正確に察知して決まった時間に待ち受けていなければならない。遅すぎるのはもちろん駄目だが、早すぎても燃料切れになってしまう。ジャストでないとダメなのだ。
日本のレーダー、正直性能は悪かった。これは日本軍が正面装備を重視してレーダー等の支援装備を軽視した結果だ。欧米は早くからレーダーの有用性に着目、開発を続けていた。これに対して日本は、太平洋戦争が始まってからレーダーの重要性に気が付き、開発、生産を行ったものの、欧米に大きく水を開けられてしまった。
そして地上から航空機を誘導するために必要なのは無線機であるが、こちらもこちらでパイロットの間で「聞こえなくて当たり前、聞こえたら雑音だと思え」と言われるほど低性能であった。欧米の航空機は当然のように無線機で連絡を取り合い、編隊同士や地上と連絡を取り合い有効な攻撃を行っていたのだが、日本の場合は無線機の低性能もあり欧米ほどの連携は行われなかった。
むしろ量産されていたら航空戦力の弱体化になった可能性すらある
震電が完成していたとしても震電自体が計画のスペックを発揮できたのかは疑わしい。さらにエンジンや機体の不具合に生産体制の問題、実戦部隊のパイロットの練度やレーダーや無線機などの装備の貧弱さ。これらを考えると震電が仮に量産されていたとしても戦局を変えることは難しかったのではないか。
さらに前述のように日本陸海軍は様々な機種の航空機をいろいろ試作していた。少数の機種、機体を大量生産するのが一番効率が良いのだが、日本の場合は戦争末期になるまで多様な種類の機体を少しずつ生産していた。
そのため物資や人的資源は分散し生産効率は非常に悪かった。そこに震電の生産が始まればさらに航空機の種類が増え、他の航空機の生産ラインを圧迫しただろう。考えようによってはむしろ震電は生産しない方が総合的には日本の防空に貢献したという考え方もできる。
対する米軍の戦闘機
それではこの時期の米軍はどんな感じだったのだろうか。まず戦闘機だが陸軍の主力戦闘機がP-47サンダーボルトとP-51マスタング。P-47の最高速度が735km/hでP-51の最高速度が710km/h。数値だけ見ると震電の方が上だけど米軍には高高度過給機がある。高空性能は震電の比ではない。そして生産数はというとP-47、P-51ともに16,000機弱、合計で32,000機が生産されている。
その上太平洋戦争末期にはジェット戦闘機P-80シューティングスターを装備した部隊がすでにフィリピンまで進出していた。P-80の最高速度は900km/hを超え、震電の750km/hでは太刀打ちできない。これらの航空機が高性能のレーダーと無線機をフル活用して挑んでくるのだ。
しょせん国力が違う
震電がいくら高速だったと言ってもそれは日本機の中での話。連合軍の戦闘機では震電と同じくらいの速度を出す機体は多い。そもそもガソリンのオクタン価が違うのだ。ガソリンの精製技術も欧米の方が上、エンジンも上、部品の精度も上と、日本と欧米、当時はすでに「土俵が違う」のだ。第二次世界大戦中に与圧室や高高度過給機の実用化に成功、その上米国ではすでにジェット機の配備が始まっていた。
技術だけではない。生産体制は資源も段違いだ。上記のP-47、P-51以外の戦闘機にしてもP-38ライトニングが10,000機、海軍でもF6Fヘルキャット、F4Uコルセアがそれぞれ12,000機製造されている。戦後に製造された分もあるがこの5機種の戦闘機だけでも66,000機製造されている。所詮は国力が全く違うのだ。震電が生産されたとしても恐らく数百機が限度、正直、戦局を変えることは出来なかっただろう。という風に管理人は想像するのだった。
戦争にゲームチェンジャーは存在しない
「もしもこんな兵器が開発されていたら?」というテーマで何本か記事を書いたが、ぶっちゃけた話、結論は全て同じ。戦争とはその国の経済力、工業力、科学力等総合的な条件で勝敗が決まるものなので、たった一つの兵器の登場で戦局が挽回することはあり得ない。仮に日本が原子爆弾を開発していたとしても勝敗は一緒である。
原爆を投下するためには原爆を運ぶための航空機が必要であり、その航空機の行動半径までの地域を支配下においておくことが必要だ。さらに目標上空に着くまで敵戦闘機の妨害を排除する必要もある。原爆だけポンとあっても使えないのだ。
これは原爆だけでなく兵器全てにいえることで、一つの兵器が活躍するためには様々な条件が必要だ。そしてそれらを達成するために必要なのは畢竟、国力ということになる。一つの高性能兵器があったところでどうにもならない。戦争にゲームチェンジャーは存在しないのだ。
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