
(画像はwikipediaより転載)
要約
TBF アベンジャーはリロイ・ランドル・グラマンが設計、グラマン社が生産した艦上雷撃機である。初飛行は1941年8月7日で全長12.48m、全幅16.51m、重量4,788kgであった。最大速度は415km/h、航続距離3,758kmで12.7mm機銃3挺、7.62mm機銃1挺を装備、爆弾2,000ポンドまたは去来1発を搭載可能である。米軍以外にも世界各国で運用され、退役したのは1961年で最後まで運用していたのは日本であった。総生産数9,839機。
TBF アベンジャー
性能(TBF-1)
全長 12.48m
全幅 16.51m
全高 4.74m
自重 4,788kg
最大速度 415km/h(高度3,566m)
上昇力 5.46m / 秒
上昇限度 7,193m
エンジン出力 1,700馬力(ライト R-2600-8 エンジン)1基
航続距離 3,758km(偵察装備時)
乗員 3名
武装 12.7mm機関砲3門、7.62mm機銃1挺
爆装 907kg(2,000ポンド)爆弾(または魚雷)1発または
225kg(500ポンド)爆弾4発
初飛行 1941年8月7日
総生産数 9,839機
設計・開発 リロイ・ランドル・グラマン / グラマン社
開発
1935年に初飛行した米海軍の雷撃機TBDデバステーターは米海軍初の全金属製航空機であり、密閉式風防や折畳翼を装備した画期的な雷撃機であったが、初飛行から四年を経た1939年にはすでに旧式機となりつつあった。このため米海軍は後継の雷撃機の開発を計画、数社から入札があったが、最終的にはグラマン社の案が採用され、1940年4月に米海軍は試作機2機をグラマン社に発注した。
完成したアベンジャーは第二次世界大戦中に運用された単発航空機の中でP-47サンダーボルトと並んで最も重い機体であった。翼は航空母艦での運用を考慮して折畳翼としてが、TBDデバステーターが翼を上に跳ね上げる折畳であるのに対してアベンジャーは翼を後ろに折り畳む方式であった。これによって狭い空母内での専有面積が減少した。この方式はのちにF6Fヘルキャットでも採用されている。
全長は12.48m、全幅16.51mで自重4,788kgであった。デバステーターが全長10.67m、全幅15.24mであることを考えると若干大型化しただけであるが、自重はデバステーターの2,540kgに対して4,788kgと倍近くなっている。エンジンはライト社製R-2600-8エンジンで1,700馬力を発揮する。搭乗員は3名で武装は機首に7.62mm機銃が1挺、後部に12.7mm機銃1挺、さらに下部に7.62mm機銃が装備された。非常に頑丈に設計されており、内蔵式爆弾倉にはMark13魚雷1発または2,000ポンド(907kg)爆弾1発または500ポンド(454kg)爆弾4発が搭載可能であった。
デバステーター、九七式艦攻、天山艦攻と比べると

初飛行は1941年8月7日で最高速度は415km/hで上昇限度は7,193m、デバステーターの最高速度が322km/h、上昇限度が5,900mであるので性能は大幅に向上している。さらに航続距離は2,000ポンド(907kg)爆弾搭載時で1,778kmでデバステーターの航続距離が1,000ポンド(454kg)爆弾搭載時で1,152mであったことを考えると凡そ1.5倍の航続距離があった。それだけでなくアベンジャーは頑丈な上に安定性も抜群であった。
これを当時の日本の攻撃機、九七式艦上攻撃機と比較すると九七式艦攻が最高速度378km/h、上昇限度が7,640m、航続距離が1,021kmであるので全ての点で圧倒している。九七式艦攻の後継機である天山と比較した場合、航続距離は1,746kmと同等であるが、最高速度がアベンジャーの415km/hに対して天山482km/hと天山が俊足、上昇限度は9,040mとこれも天山が圧倒している。
但し、スペック的には天山が優秀であるもののこれも防弾装備や信頼性、稼働率などを考慮するとまた評価は変わってくるだろう。
戦歴
このアベンジャーが一般公開されたのは1941年12月7日(日本では8日)、真珠湾攻撃の日であった。このためTBFの名称が「アベンジャー(復讐者)」となったという説があるが、この名称はすでに同年10月に割り当てられているため事実とは異なる。この空襲のためグラマン社の工場は妨害工作に備えて全て封鎖された。
初陣は1942年6月のミッドウェー海戦で、グラマン社はそれまでに100機以上のアベンジャーを海軍に納入しており、6月初旬にハワイ島に送られたものの数時間前に空母部隊は出撃してしまったためにほとんどのアベンジャーはミッドウェー海戦に参加することはできなかった。
しかし6機のアベンジャーがミッドウェー島に配備されており、これら6機がミッドウェー島より出撃して日本機動部隊を攻撃している。米空母に搭載されていたのは旧式のデバステーターで、日本機動部隊攻撃のために41機が出撃したが帰還したのはわずか7機という惨状であった。
このためTBDは第一線から早々と撤収され、アベンジャーに更新されたのだが、この損害はデバステーターの性能だけでなく戦闘の状況や運用の問題でもあった。実際、ミッドウェー島から出撃した新鋭アベンジャー雷撃機も6機中5機が撃墜されており、デバステーターへの評価は若干厳しすぎると言える。
ミッドウェー海戦は米軍の勝利に終わったものの出撃6機中5機を失うというアベンジャーの初陣は散々であった。しかし同年8月24日の第二次ソロモン海戦では空母サラトガとエンタープライズに搭載されていた24機のアベンジャーが日本空母龍驤を撃沈、さらに第三次ソロモン海戦では戦艦比叡を撃沈するという戦果を挙げている。
1944年6月にはマリアナ沖海戦において空母飛鷹を撃沈した他、護衛空母に搭載されたアベンジャーは輸送船団の護衛に活躍している。第二次世界大戦中にアベンジャーの後継機であるA-1スカイレイダーが実戦配備されなかったためアベンジャーは第二次世界大戦終戦まで第一線で活躍した。
米国以外での運用

第二次世界大戦ではアベンジャーは米海軍以外にも英海軍、ニュージーランド海軍で運用された。戦後はカナダ海軍が125機のアベンジャーを取得している他、フランス、オランダ、ウルグアイでも運用されたほか、何と日本でも運用されている。
これは鹵獲機ではなく、戦後の海上自衛隊に供与された機体で1955年に索敵型のTBM-3Wが10機、1956年に攻撃型のTBM-3Sが10機供与されているが、すでに初飛行から14年が過ぎ機体も旧式化していたため主に訓練用として運用されている。
カナダ海軍は1960年7月、海上自衛隊は1961年8月に全機が退役しているが、その後も民間で使用され続けており、一部の機体は現在でも運用されている。
バリエーション
初期量産型としてTBF-1があり1,526機が製造された。TBF-1Cは12.7mm翼内砲が2基装備された型で765機が製造されている他、エンジンを1,900馬力のXR-2600に換装したTBF-2がある。1943年になるとグラマン社は同社の艦上戦闘機F6Fの生産を優先させるためにアベンジャーの生産はジェネラルモータース社のイースタン・エアクラフト部門で生産されることとなった。ここで生産された機体はTBMと呼ばれる。
イースタン・エアクラフトで生産されたTBM-1(TBF-1と同じ)は550機、TBM-1Cが2,336機製造された他、エンジンがR-2600-20に変更されたTBM-3が4,011機、レーダーを装備腹部機銃が廃止されたTBM-3Eが646機生産されている。
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コメント
コメント一覧 (1)
二度の撃墜でも生存できたのは、
アベンジャーの生存性の高さを証明してる。
ピエール隊長
が
しました