
(画像はwikipediaより転載)
要約
ベアキャットはウィリアム・トーマス・シュウェンドラー、ロバート・L・ホールが設計、グラマン社が開発した艦上戦闘機である。全幅11m、自重3,322kg、初飛行は1944年8月21日で最高速度は689km/h、航続距離は3,352kmであった。エンジンはF6Fと同じエンジンを装備しているが零戦よりも小型の機体である。第二次世界大戦には間に合わず初の実戦はフランス軍によるインドシナ戦争での運用である。小型化しすぎたため汎用性がなく実戦部隊での運用期間は短かったが、ブルーエンジェルスで採用された他、レシプロ機最高速度記録を達成している。総生産数1,265機。
F8Fベアキャット
性能
全幅 10.82m
全長 8.43m
全高 4.17m
自重 3,322kg
最大速度 689km/h(高度5,730m)
上昇力 6,096mまで4分54秒
上昇限度 10,607m
エンジン出力 2,100馬力(P&W R-2800-34W エンジン)1基
航続距離 3,352km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 12.7mm機関砲4門(携行弾数各300)
爆装 最大搭載量1,633kg
初飛行 1944年8月21日
総生産数 1,265機
設計・開発 ウィリアム・トーマス・シュウェンドラー、ロバート・L・ホール / グラマン社
小型の艦上戦闘機が欲しいの!
小型機に大馬力エンジンを装備するという新しいコンセプトのもとに開発された艦上戦闘機である。F8F設計当時の第一線機であったF6Fヘルキャットは堅実な設計によりまとめられた高性能機であった。しかし機体は大型化してしまったため、小型の護衛空母からはカタパルトを使用しないと発艦できなくなってしまった。このためエンジンはF6Fヘルキャットと同じP&W R-2800エンジンを使用し機体はF6Fよりも小型化したのがF8Fである。
重量級軽戦闘機
この結果、完成したF8F-1は全長8.43m、全幅10.82m、全高4.17m、自重3,322kg、翼面荷重193.5kg/�屐▲┘鵐献鵑�P&W R-2800-34W最大2,750馬力で最高速度は689km/h(高度5,730m)に達する。F6F-3の全長10.24m、全幅13.06mと比べると全長で1.81m、全幅2.24mも短縮され、重量はF6Fの4,176kgに対して3,322kg、プロペラもF6Fの3.99m3翅に対して3.84m4翅と小型化された。この結果、何と1,000馬力級の戦闘機である日本海軍の零戦よりも小型の機体となってしまった。しかし言っても2,000馬力級エンジン搭載機、機体が軽量化された分、上昇力は6,096mまで4分54秒と凄まじく、F6Fの6,000mまで7分00秒、零戦52型の7分01秒を遥かに凌駕していた。
特殊な艦上戦闘機
しかし小型化したために犠牲になった能力も多い。上昇限度は10,607mとF6Fの11,826よりも1,000m低く、武装はF6Fの12.7mm機銃6挺に対して4挺(各300発)と70%に減少してしまっている。何でもデカくて頑丈、汎用性が高い機体が多い米国製航空機としては珍しいパターンである。主翼の折畳方法はF6Fのように複雑な方式ではなく、主翼の外側1/3を上方に跳ね上げるというシンプルな形式となった。これは軽量化のために複雑な機構を省略した結果かもしれない。
1943年11月には機体設計が完了、1944年8月21日に初飛行をした。翌年1945年2月に米海軍に納入、VF-19に配備されたが実戦に参加する前に終戦となった。米海軍と一部の海兵隊航空隊に配備されたが、この時期になると戦闘機の趨勢はジェット機に代わりつつあり、これまでの主力戦闘機は戦闘爆撃機に任務を変えて運用されていったのに対して燃料や爆弾の搭載量が少ない本機には戦爆への道はなくジェット戦闘機に道を譲った。
バリエーションは大きくオリジナルのF8F-1とF8F-2の二種類がある。F8F-2はエンジンを2,250馬力R-2800-30Wエンジンに換装、垂直尾翼の大型化、カウリングの再設計、20mm機銃4門への換装等が行われた。それぞれ夜間戦闘機仕様、無人機使用などの特殊な仕様がある。総生産数は1,265機。
戦歴
F8Fの初めての実戦参加は第一次インドシナ戦争で米軍からフランス軍に引き渡された約200機のF8Fが実戦で使用されている。さらにこの200機の内、インドシナ戦争を生き残った28機が南ベトナム空軍に提供された他、タイ空軍に129機供与されている。米海軍では1955年に退役したものの、タイ空軍では1960年、南ベトナム空軍では1963年まで使用された。
「烈風200機あらば。。。」烈風との性能比較
ここで日本海軍艦上戦闘機烈風とスペックを比較してみたい。初飛行はほとんど同時期でF8Fは1944年8月、烈風は1944年5月である。全幅がF8F 10.82mに対して烈風14m、全長8.43mに対して11mとF8Fは烈風に比べ二回りほど小さいが、自重はF8F3,322kgに対して烈風3,110kgとほとんど変わらない。エンジン出力もF8Fが2,100馬力に対して烈風2,200馬力と同等だ。
翼面積はF8Fが22.67�屐癖進�メートル)であるのに対して烈風は30.86�屐癖進�メートル)とF8Fの方が小さい。このため最高速度はF8Fの689km/hに対して烈風は630km/hとF8Fが圧倒しているが、翼面荷重はF8F 190kg/�屐⇔�風143kg/�屬叛�回性能では烈風に軍配が上がる。上昇力は高度6,000mまでF8Fが4分54秒、烈風が6分5秒とF8Fが圧倒している。航続距離は烈風が全力30分とかいう基準を使用しているためよくわかんない。機銃はF8Fが12.7mm機関砲4門に対して烈風は20mm機関砲2門、13mm機関砲2門と口径だけは若干烈風が上だ。
これらのスペックから見ると速度はF8Fが圧倒的に上回っているが、旋回性能は烈風の方が上だといえる。機銃は一応烈風の方が上ということになるかもしれないが弾道特性が異なる機銃を装備している烈風よりも同一口径の同一機銃を装備しているF8Fの方が使い勝手は良いだろう。F8Fは高速、烈風は格闘戦が得意という相変わらず日米の個性が発揮されている機体同士といえる。実際の空戦になった場合、F8Fは格闘戦を避け、速度と上昇力を生かして戦えば戦闘の主導権を取ることができそうだ。何か大戦初期の零戦21型対F4FやP-38の戦いを彷彿とさせる。
但し、F8Fと烈風の最大の違いはスペックではない。F8Fの総生産数が1,265機であるのに対して烈風の生産数は7機。F8Fが太平洋戦争末期に実戦配備されたのに対して烈風は試作機が完成したのみである。「烈風200機あらば」と当時の烈風のテストパイロットは烈風の性能を絶賛したようだが、大戦末期になると日米の基礎技術力と工業力の違いは目を覆うばかりだ。200機製造したところでF8Fの総生産数の1/6でしかないし、その上稼働率まで考慮するとその差はさらに広がる。結局、日米の航空機の性能比較の結論は全部これなのさ。
まとめ
軽量化と小型化というコンセプトで設計された本機はジェット機の登場によって一気に陳腐化したもの、戦後に米海軍曲芸飛行チームブルーエンジェルスのF6Fに次ぐ二代目の採用機種となり、エアレースでは現在でもその特性を生かして活躍している。当時トップクラスの航空機開発技術を持ったグラマン社が大馬力エンジンを小型の機体に取り付けた究極のレシプロ戦闘機であった。850km/hというレシプロ機最速記録を持っているのも本機である。余談だがワイはグラマンのキャットシリーズの中ではF8Fが一番好き。だってカッコいいじゃん!以上だ。
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コメント
コメント一覧 (3)
堀越が、すなおに零戦の機体にハ-43搭載して設計してれば…
ただ当時の日本の航空業界には、Fw190の空力処理を理解できなかったから
(土井さんも不徹底だったから、キ-100も低性能に止まった)
F8Fほどの高性能は期待薄だろうけど。
低翼面荷重を求めすぎた海軍航空行政が悪い。
とりねこ
が
しました
とりねこ
が
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