01_F4U
(画像はF4U wikipediaより転載)

 

要約

 F4Uはヴォート社が開発した艦上戦闘機である。初飛行は1940年5月29日で要目は全幅12.49m、全長10.16m、最高速度は671km/h、航続距離は3,573km、武装は12.7mm機銃6門である。開発は難航、初飛行から実戦配備まで3年近く経っているが性能は高く米海軍で1953年まで戦闘爆撃機として運用された他、ホンジュラス空軍が1979年まで運用している。総生産数は12,571機。

 

F4Uコルセア

 

 

性能(F4U-1)

全幅 12.49m
全長 10.16m
全高 4.48m
自重 4,074kg
最大速度 671km/h(高度6,066m)
上昇力 14.68m / 秒
上昇限度 11,278m
エンジン出力 2,000馬力(P&W R-2800-8/8W エンジン)1基
航続距離 3,573km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 12.7mm機関砲6門(携行弾数計2,350発)
爆装 907kg(2,000ポンド)
初飛行 1940年5月29日
総生産数 12,571機
設計・開発 レックス・ブレン・ベイゼル / ヴォート社

 

概要

 F4Uは太平洋戦争開戦前に開発された米海軍艦上戦闘機であまりの高性能から戦前に開発された機体でありながら1950年代まで米軍で使用され続けた。当時の戦闘機は3年ほどで旧式機とされていたことを考えると驚異的である。むろん最後は戦闘機としての運用ではなかったものの設計の優秀さが良く分かる。このF4Uは、当時の米海軍の主力戦闘機F2Aバッファローの後継機として開発が開始、計画当初から2,000馬力エンジンであるプラット&ホイットニーR-2800エンジンを使用する予定であった。

 初飛行は1940年5月29日で量産機の初飛行が1942年6月25日、試作機の初飛行から量産機の初飛行まで2年以上かかったことになる。最初の型であるF4U-1は、全長10.16m、全幅12.49m、全高4.48m、全備重量5,461kg、翼面荷重187kg�屐∈嚢眤�度671km/h、上昇力は高度6,066mまで7分42秒、実用上昇限度11,278m、航続距離1,633km、武装は12.7mm機銃6挺、胴体下、翼下合計で907kg分の爆弾を搭載できる。当時の戦闘機としては大型で非常に頑丈な構造であった。

 この重量級の機体を2,000馬力の高出力エンジンで引っ張り上げるために直径約3.96mの大型プロペラが装備されたが、このプロペラを装備したことにより主脚が長くなることが問題視された。この対策として逆ガル翼を採用する。結果、主脚が短くなり同時にパイロットからの視界が良好となった。高速の艦上戦闘機であるためか戦闘機には珍しくダイブブレーキを装備している。

 

陸上機として運用される

 機体は頑丈でコックピットは防弾版で囲まれており、燃料タンクには自動消火装置が装備されていた。しかし垂直尾翼の大半を占める巨大なラダーは空中では高い機動性を発揮したものの低速では失速しやすく、さらにエンジンオイルが漏れという問題も発生した。このエンジンオイル漏れは着陸時にはパイロットの視界を塞いでしまうこととなった。これらの問題は特に航空母艦への着艦では致命的な問題であった。

 このため海軍は空母での運用は不適と判断されたが、陸上基地での運用は可能という判断だったのだろうかほとんどが海兵隊に引き渡されることとなった。実戦配備は1943年2月からで、1943年2月12日、最初のF4U12機がガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に到着、二日後の2月14日に初空戦を行った。初戦では日本の海軍航空隊に惨敗したものの、その後は運用方法を改善、その高性能振りを発揮することとなった。

 この間にエンジンオイル漏れ等の問題(その他のオイル漏れも発生していた)はシーリングやカウリングの形状変更によりほぼ解決、1944年初頭には水メタノール噴射装置を装備した後期生産型が実戦配備された。同時に失速問題も徐々に解決、米海軍主力艦上戦闘機であったF6Fとの比較でもF4Uの優位が確認された。1944年4月には空母への着艦資格も取得、11月より空母でも運用されるようになっていく。

 さらにF4Uのダイブブレーキを装備した強靭な機体構造はSBDドーントレスと比較しても遜色なく、1945年の硫黄島攻略では急降下爆撃機として活躍した。F4Uは、その後も戦闘機、戦闘爆撃機として活躍、大戦機としてはP-51マスタングと並んで最強のレシプロ機の一つと言われている。

 

米国以外での運用

 1943年に95機のF4U-1が英国に引き渡された。英国ではコルセアMk1と呼ばれる。続いてF4U-1A/D 510機が納入されコルセアMk2と呼ばれる。さらにブリュースター製F3A-1 334機、F3A-1D 96機の合計430機が納入、これらはコルセアMk3と呼ばれる。グッドイヤー製FG-1/1A 400機、FG-1D 457機の合計857機が納入、これらはコルセアMk4と呼ばれる。実戦に使用されたのはMk2、Mk4のみ。

 英国ではF4Uを直ちに艦載機として運用。英空母の格納庫の高さの関係から翼端を200mm切り詰めている他、操縦席を180mm上げることやキャノピーの形状変更、エンジンオイル漏れ対策等も行い着艦時の視界確保を行っている。1943年以降、終戦までF4Uはヨーロッパ、アジアの戦域で運用されている。

 P-40を運用していたニュージーランド空軍へも約400機のF4Uが配備されている。1944年3月に30機のF4Uがニュージーランドに到着、5月から実戦配備された。1947年に全機が退役。

 フランスは1950年頃に米国からインディペンデンス級空母ベロー・ウッド、ラングレー、英から2隻の空母を取得。これらの艦載機としてF4Uが配備された。F4Uの最終型であるF4U-7型94機がフランスに引き渡され第一次インドシナ戦争、アルジェリア戦争等で運用された。

 南米のアルゼンチン、エルサルバドル、ホンジュラスでも運用されたが、1969年に勃発したサッカー戦争においてエルサルバドル、ホンジュラス両国でF4Uが使用されて最後のレシプロ機同士の空戦が行われた。

 

 

戦後

 戦後は、主力戦闘機の座はジェット機に譲ったものの朝鮮戦争にも投入、何と1953年まで戦闘爆撃機として運用され続けた。1940年に初飛行をした戦闘機としては驚異的な寿命であろう。諸外国でも米国同様に運用され続け、前述のように第一次インドシナ戦争、アルジェリア戦争、サッカー戦争でも実戦に投入された。1979年にホンジュラス空軍から退役したことによりF4Uは全機退役した。

 

バリエーション

 F4Uのバリエーションは大きくF4U-1〜7までの7タイプに分けられる。F4U-1は初期生産型で1942年7月に部隊配備が開始された。このF4U-1の操縦席を178mm上昇させキャノピーをバブル型に変更した上で尾脚を高くして着艦能力を向上させたのがF4U-1A型、英国に供与されたF4U-1B型、機銃を20mm機関砲4門に変更したF4U-1C、エンジンを水噴射装置付きR-2800-8Wエンジンに換装した上で主脚も改良したF4U-1D型がある。

 F4U-2は夜間戦闘機型でレーダーポッドを装備している。少数がマリアナ沖海戦に参加した。XF4U-3はターボ過給機装備の試作型である。

 F4U-4はF4Uの第二期生産型でR-2800-18W(2,100馬力)または42Wエンジンを装備した型で大戦中に生産された最後の型。最高速度は721km/hとなり上昇率は1,400m/分と大幅に向上した。1947年まで製造された。20mm機関砲を搭載したF4U-4B、夜間戦闘機型のF4U-4N、偵察型F4U-4P等がある。

 F4U-5は1945年12月21日に初飛行した型でエンジンを2,760馬力R-2800-32に変更、全金属製主翼に20mm機関砲4門を装備、最高速度756km/hを発揮した。これにもレーダー搭載型F4U-5N、偵察型P、冬季仕様NLがある。F4U-6は海兵隊用に製造された対地攻撃機型でF4U-7はフランス海軍向けモデルでエンジンをR-2800-43Wを装備する。

 AU-1は海兵隊向けの攻撃機型で装甲が強化されている。1952年に生産開始、1957年に退役した。その他F4Uのバリエーションにはブリュースター社製造モデルであるF3A、グッドイヤー製FGシリーズ等がある。

 

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