01_B-18 Bolo
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 B-18ボロはマーティンB-10爆撃機の後継機として制式採用された。真珠湾攻撃時には米陸軍の爆撃機の中で最大の配備数であった。しかし航続距離が短く米国が第二次世界大戦に参戦するとすぐにB-17爆撃機やB-24爆撃機に取って代わられた。それでも1943年頃までは対潜哨戒機として活躍している。最後まで運用していたのはブラジル空軍で1946年に退役している。

 

ダグラス B-18 ボロ

 

 

性能

全幅 27.3m
全長 17.6m
全高 4.6m
自重 7,403kg
全備重量 10,886kg
最大離陸重量 12,552kg
最大速度 348km/h(高度3,000m)
上昇力 3,000mまで9分54秒
上昇限度 7,300m
エンジン出力 1,000馬力(ライトR1820-53)2基
航続距離 1,400km
乗員 6名
武装 7.62mm機銃3挺
爆装 最大2,000kg
初飛行 1935年4月-日
総生産数 350機
設計・開発 ダグラス社

 

開発前史

 1934年6月に米陸軍の重爆撃機マーティンB-10が就役した。現在の感覚からすると考えられないかもしれないが、当時の航空機は3年もすれば旧式化してしまう航空機の発展期であった。このため米陸軍はB-10が制式採用されるとすぐに後継機の計画をスタートさせた。

 この時の性能要求とはB-10の2倍の爆弾搭載量と航続距離を持つ爆撃機というものであった。つまりは爆弾搭載量2,000kg、航続距離4,000kmである。これに対してダグラス社はDB-1、ボーイング社はモデル299(のちのB-17)、B-10の開発メーカーであるマーティン社はB-10をわずかに改良したモデル提出した。

 これら三機の検討でまずマーティン社の案が却下され、ダグラス社のDB-1とボーイング社のモデル299の対決となったが、性能的にはDB-1に比べてモデル299の方があらゆる面で圧倒的に優れていた。しかし試作機が墜落事故を起こしてしまったことや機体価格がDB-1の58,500ドルに対して99,620ドルと倍近い額であることが災いとなりモデル299の購入は保留され、1936年1月、DB-1がB-18爆撃機として制式採用された。この時期はちょうど世界大恐慌のさ中であったこともDB-1には幸いしたといえるだろう。

 

開発

 B-18は民間旅客機DC-2をベースに再設計された爆撃機で全長17.6m、全幅27.3m、DC-2の胴体を左右幅は狭く縦に長い形状に変更している。爆弾倉は機体下部に設けられたためにDC-2は低翼の機体であったがB-18は中翼の機体になった。

 主翼は直翼でDC-2よりも翼が1.4m延長されている。エンジンは1,000馬力を発揮するライトR1820-53が2基の双発機で主翼の胴体近くに設置された。爆弾搭載量は最大で2,000kg搭載可能で機銃は7.62mm機銃が3挺であった。このB-18を米陸軍はどーんと133機購入している。

 

性能

 初飛行は1935年4月で最高速度は348km/h、航続距離は1,400km、上昇限度は7,300mであった。これに対してB-17爆撃機はエンジンは1,200馬力ライトR1820-97エンジンを4基装備しており、最大速度が522km/h、航続距離は2,832km、武装は12.7mm機銃12挺、爆弾搭載量は5,806kgである。

 一見して分かるようにあまりにも性能に違いがありすぎる。B-17に比べてB-18は最高速度は180km/h近く遅く、航続距離は約半分、爆弾搭載量は半分以下で武装に至ってはB-18の7.62mm機銃3挺に対してB-17は12.7mm機銃12挺と比較にすらならない。

 因みにB-18の3ヶ月後1935年7月に初飛行をした日本海軍の九六式陸上攻撃機11型と比較すると、速度が348km/h、航続距離は2,854km、過荷重状態で4,550km、上昇限度が7,480mである。速度と上昇限度はほぼ同じであるが航続距離は倍以上の差が出ている。飛行性能だけ見れば九六陸攻に軍配があがる。

 但し、これは飛行性能に関してだけである。機体重量はB-18が空虚状態で7,403kgなのに対して九六陸攻は4,770kgとB-18の64%ほどである。この軽い機体をR-1820エンジンよりも10%ほど出力が劣る910馬力金星三型エンジンで飛ばしているため航続距離が長いのである。

 このため爆弾搭載量はB-18の2,000kgに対して九六陸攻は最大800kgと半分以下である。九六陸攻2機でもB-18の1機の80%しかの爆弾を搭載できない。つまりは爆撃任務ではB-18が1機で行う爆撃任務を九六陸攻は2機でもできないということだ。

 

戦歴

 1937年から米陸軍への配備が開始される。1941年12月8日の真珠湾攻撃時点では米陸軍の爆撃機中最多の数が配備されていた。しかし幸か不幸か太平洋戦争が開戦すると真珠湾やフィリピンに展開していたB-18爆撃機の大半は日本軍の攻撃により破壊されてしまった。

 米本土等にあった残存のB-18も爆撃機として実戦に投入できるレベルではないためB-17爆撃機が第一線で運用されるようになると、残存のB-18は磁気探知器とレーダーを装備して対潜哨戒機として運用されるようになった。これはB-18Bと呼ばれ122機が改修された。

 しかしこの役割も1943年にB-24リベレーターが担うようになると積載量でも航続距離でもB-24に及ばないB-18BはB-24に置き換えられ、その後は退役まで練習機や輸送機として運用された。米国以外ではカナダが20機購入した他、ブラジル空軍も購入している。最後まで使用していたのはブラジル空軍で1946年まで運用している。総生産数は350機、

 

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