
(画像はwikipediaより転載)
要約
P-36ホークはドノヴァン・リース・バーリンが設計、カーチス・ライト社が生産した戦闘機である。全幅11m、自重2,072kg、12.7mm機関砲、7.62mm機銃各1挺を装備する。初飛行は1935年5月6日で最高速度は504km/h、航続距離は1,706kmであった。全金属製、単葉、密閉式コックピット、引込脚で米軍では真珠湾攻撃時に迎撃戦闘をしたのが唯一の実戦参加であるが、米軍以外ではフランス、イギリス、フィンランド等が大量に運用している。1954年に退役している。
P-36 ホーク
性能
全幅 11.38m
全長 8.69m
全高 2.57m
自重 2,072kg
最大速度 504km/h(高度3,050m)
上昇力 1,036m / 分
上昇限度 10,363m
エンジン出力 1,050馬力(P&W R1830-13 ツインワスプエンジン)
航続距離 1,706km
乗員 1名
武装 12,7mm機銃1挺、7.62mm機銃1挺
初飛行 1935年5月6日
総生産数 1,115機
設計・開発 ドノヴァン・リース・バーリン / カーチス・ライト社
概要
P-36は、全金属製で単葉、密閉式コックピット、引込脚を備えるという米陸軍初の近代的戦闘機であった。しかし、1935年5月の米陸軍次期主力戦闘機のトライアルでライバル機のP-35に敗れてしまう。しかしヨーロッパ情勢が悪化していることを考慮して米陸軍は、エンジンを900馬力XR-1760試作空冷エンジンから1,050馬力P&W R-1830に換装した上でP-36を採用することに決定、1938年に制式採用。7月7日に210機の生産契約が結ばれた。これは平時における当時最大の発注であった。
初飛行は1935年5月6日で、当時の常識として操縦席、燃料タンクの防弾は考慮されていない。全幅11.38mの全金属製単葉機で重量は2,072kg、エンジン換装後の最高速度は504km/hとなった。武装は12.7mm機関砲1門、7.62mm機銃1挺である。主脚と共に尾輪も引込式であるが、主脚の引込脚の構造はボーイング社が開発したものである。主翼が大きく軽量であったため翼面荷重が低く、旋回性能、上昇性能で優れていた。総生産数はP-36が215機、輸出用のホーク75が900機である。
太平洋戦争開戦時にはすでに時代遅れと看做されていたが、1941年12月7日(米国時間)、日本軍の真珠湾攻撃の際にハワイに配備されていた5機のP-36が出撃、1機が撃墜されたものの、零戦2機、九九式艦爆1機を撃墜したとしている。これが米軍での唯一の使用である。
諸外国での運用
このP-36は米軍ではほとんど使用されなかったが、諸外国に売却された。特に大量に購入したのはドイツの脅威を感じていたフランスでドイツに降伏するまでに316機のP-36を受領、カーチスH75と命名、開戦後はドイツ軍相手に敢闘した。フランスの降伏後はこれらの内、229機は英国に逃亡、残存機はドイツ軍に接収された。
英国では当初P-36に関心を示したものの購入はしなかった。しかしドイツに降伏したフランスから脱出したP-36、229機を保有することになった。これらの機体はモホークと命名され、インド、ビルマ、南アフリカの防衛で使用された。
ノルウェーは19機を購入。ドイツの侵攻により13機が鹵獲されフィンランドに売却されている。フィンランドでは直接米国から購入したものでなないが、ドイツがフランス、ノルウェーで鹵獲した機体を44機ドイツから購入。対ソ戦において運用している。本機で12機以上を撃墜したエースも存在する。
その他、中国、タイ、アルゼンチン等が購入しているがこれらは固定脚の廉価版である。アルゼンチンではこの固定脚のホーク750をライセンス生産、カーチス社の30機とライセンス生産の20機が存在する。武装は11.35mmマドセン機関銃1挺と7.65mmマドセン機関銃3挺でパイロンに14kg爆弾10発を搭載することが可能であった。もっとも最後まで運用され、1954年11月に退役している。
さらにブラジルでは米軍より10機のP-36Aを受領、イランには10機が納入されたが英国に鹵獲された他、ペルーは28機のP-36が米国より受領、オランダでは24機を購入、本土がドイツに降伏したため蘭領インドネシアに送られ日本機と交戦している。ポルトガルも英国より12機を移管され運用している。
バリエーション
初期生産型のP-36A、ターボ過給機型の試作機P-36B、エンジンをP&WR-1830-17(1,200馬力)に変更した機体、その他武装の違いにより数種類のバリエーションがある。その他エンジンを液冷式にしたP-40ウォーホークがある。
同時期の日本機と比べると。。。
P-36を日本機と比較するとP-36の全幅11.4m、自重2,072kg、最高速度504km/hに対して零式艦上戦闘機が全幅12m、自重1,754kg、最高速度533km/h、一式戦闘機一型が全幅11.4m、自重1,580kg、最高速度495km/hと一式戦闘機の最高速度以外では日本機は全ての点においてP-36を凌駕している。
と言いたいところだがそうではない。P-36の初飛行は1935年5月、零戦の初飛行は1939年4月、一式戦闘機は1938年12月と3〜4年遅いのだ。当時の航空機界は日進月歩で進んでおり、新型機も3年で旧式機になってしまうほどであった。つまりは零戦や一式戦闘機は一世代あとの航空機なのだ。
それではP-36と同時期の日本機とは何かというと海軍では1935年2月初飛行の九六式艦上戦闘機、陸軍では1935年3月初飛行の九五式戦闘機がそれにあたる。九六式艦戦は全幅11m、九五式戦闘機は10mとP-36に比べ若干小型だ。圧倒的に違うのは自重でP-36の2,072kgに対して九六式が1,075kg、九五式が1,360kgと日本機はP-36の半分、若しくは70%程度だ。P-36は重量のある分、エンジンも1,050馬力と強力であったが日本機の場合は九六式艦戦が630馬力、九五式戦闘機が850馬力と非力である。
これを一馬力当たりの重量に換算するとP-36の1.97kg/psに対して九六式艦戦が1.71kg/ps、九五式戦闘機が1.6kg/psと日本機は機体は小型であるがそれに対してエンジンの出力は大きいのが分かる。しかし最高速度は全金属製、引込脚、密閉式風防を採用したP-36が504km/hと九六式艦戦の406km/h、九五式戦闘機の400km/hを圧倒している。
これは次世代戦闘機である一式戦闘機一型よりも高速であり、零戦の533km/hと比べても30km/hの差しかない。九六式艦戦や九五式戦闘機が太平洋戦争初期に前線から退いたのに対してP-36は第二次世界大戦終戦後まで運用され続けたという点からみても実はかなりの高性能機であったことがわかるだろう。まあ運用されていたといっても二線級だけどね(笑)。
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